SAND STORM

朝ぼらけ

2017年5月13日

投資日記 2017/05 vol.1

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 10:40

◇どうやって「過ちを犯す自己」を改め、「正しい行い」をできるようにしていくのか

20170512の日中(5分足)の市場の動き(TOPIXの方がtrend lineを素直に反映するのでこちらで見る)。bull連動ETF売建で下がったら儲かるようにしていたので、前引け手前である程度処分しようと思っていたのだが、週末だしまだ下げるだろうと放置するとどんどん戻してしまった。いつもの、「こういう状況だから、今目の前で有利になっていても、待てばさらに儲けられるだろう」と放置して失うpattern。

失敗した(記録を取り、反省すれば気づきの機会になる)

ああするべきだった(記録の検証により何をやるべきかのfeedbackを獲得したが、まったくできる状態ではない)

似たような状況でまた失敗した(feedbackの強化は得たが、まだまだできる状態から遠い)

なぜ気づいたのに「できない」のか?
失敗するということは、無意識的に誤ったことをする心身がすでに強固に構築されていることを意味する。
一方で正しい行いをする心身は、実践においては無力なほど薄っすらとしかできていない。
「誤った行いをする心身」から「正しい行いをする心身」に転換するには、それと同じだけの正しい行いを重ねて、正しい行いをする身体と神経網を構築していかない限り切り替わらない。

仮に前者が5あるとすれば、5以上の構築がなされるだけの回数を重ねていかねば切り替わらない。つまり、希薄化するように正しい行いを繰り返し練習・実践していかないと改まっていかない。人間の構造上、希薄化していけば、古い方は忘れられていき、新しい方が強い影響力を持つので、繰り返せば繰り返すほど楽になっていく。ただし、最初から上手くできるなどと考えてはならず、希薄化してさらに逆転させる過程には長い時間がかかる(『達人のサイエンス』で言う所のプラトー期間)。

相場は他の競技の様に部分を切り離して練習することが難しい。「仮想取引などで「練習」しても無意味だ、まるで違う」と多くの先人が語っている。意味のある実践の場で繰り返しの行いである練習を可能にするにはどうしたらいいか。建玉を少なくして仕掛けと手仕舞いをするしかない。資金量に対する比率を小さくすれば拙いやり方で繰り返しても問題は起きないからだ。

#これは逆に言えば、玉を増やして、資金量に対する比率を大きくすれば、「練習」と同じ場面が「大会」になってしまう。さらに信用などでlevarageを掛ければ人生をかけた大勝負と化す。相場における練習・本番・一世一代の大勝負などは、自己の側の建玉量(資金比率)で簡単に変わる。

何が課題かをすでに得ている、失敗のfeedbackで得た「ああすべき」、かつ今できていない「やること」を明確化し、問題の起きない少玉での取引にすればそれは必然的に意義ある練習となる。意義ある練習の回数を重ね、その中でさらにより正しい「ああすべき」をfeedbackとして獲得し、練習の「やること」にしていく。正しい行いをする心身が分厚くなっていけば、過ちを犯させる以前の構築は出る幕がなくなってくる。

この練習を繰り返すmasteryの過程に意味を見い出せば、「儲けにつながらない」少玉での取引が意義あるものとして感じられるし、いたづらに大きな玉を張らずに、玉を絞ったり、早目に分割で手仕舞いしていく良い理由ともなる。

◇20170512 – Infoteria決算

Infoteriaは決算日で、昼過ぎに決算発表が出たのか後場途中から急上昇する展開になった。そのかなり上げた所で見ていたのだが、「決算日を挟んで上昇に向うだろう」と思っていたので、特に利確することもなく、逆指値も置かず放置したらほとんど変わらない所まで下げてしまった。

結局、ここは「吹いたら売りつけられる」のがAIやalgorithm含め参加者の習性となっている。

日足をbollinger bandsで見ると、また長剣型で、下落必至。

一つ反省としては、Infoteria固有の特性としての「吹いたらとりえあず売り」だが、決算発表で感情的に殺到して一方向に流れ、それが反転していくという流れもあるのだから、やはり76.4%ぐらいで利確のstopを置いておくべきというのがもう一つ。さらに、資料をつくっているのだから、それを早急に更新して上昇率と比べれば決算playが出来たのではということ。何にせよすでに仕掛けてある銘柄の決算日は後場から変化が起きることを前提として構えておくべき。

◇『達人のサイエンス』

われわれがよく目にする競技者の写真は、一連の「勝利の興奮」や「敗北の苦悩」を写したものだ。激しい応酬で苦痛にゆがんだ顔、あるいは勝利の喜びでクシャクシャの顔など、どれもこれもclimaxの瞬間ばかりで、例外はほとんどない。しかしほんとうのmasteryの顔は、relaxしていて落ち着きがあり、時にはかすかな笑みさえあるものだ。
 実際、最高の選手は時に異次元にでも入り込んでいるかのように見えることがある。こうした選手は、敵に攻め込まれ観客が割れるような歓声を上げている中、超自然的にすら見える難しい技をやってもケロッとしているようにみえるし、混乱のさなかにあっても何らかの方法で調和を作り出してしまうのである。p.53

達人といわれる人は、自己の技倆を伸ばすことだけが目的で何かの技能に専念するのではない。ほんとうは、彼らはまず何よりも練習(practice)が好きなのであって、その結果、上達は後からついて来るのだ。そして上達すればするほど基本の動きを繰り返すのが楽しくなるという、cycle が出来上がる。
 われわれの合気道道場の基本を教える学級で学習している初心者は、ある動きの組み合わせを10回近くやると、しきりに新しい動きをやりたがってソワソワしはじめる。だが同じ学級でも黒帯たちには、きわめて初歩的な技においてもその繊細さと底深さを味わうだけの知識と経験があり、それがまた彼らの感性ともなっているのだ。p.82
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2017年4月26日

投資日記 2017/04 vol.3

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 05:56

◇認知の歪み

相場で儲けるとは市場参加者の認知の歪みを利用し、自らが賢明かつ果断に立ち回ることでしかない。つまり、人々の認知に逆らうことでしか儲けることはできない(相場参加者の95%を構成する二流以下の素人が儲けられるのは経済の拡大期ないし個別会社の成長に、人々の認知が追いついていない場合だけである。)

この際、自分の認知や行いが歪んでいたら爆死する。
賢明さは「不遜と傲慢」に、果断は「無謀と恐怖」に硬貨の裏表のように入れ替わるからだ。

賢明さは知能と理性に、果断さは本能に依拠しており、相場の様な危険と投機に向き合う時、両者は交錯する。どちらもひとつの肉体に収まっており、肉体は社会的存在として社会環境と自然環境の中に収まっている。

知性と本能が肉体全体の、社会環境の、自然環境の影響を受けないことはありえない。むしろ支配的な影響を受け、意識して逆らってもそれは一時的な例外に過ぎない。

◇日常

相場で儲けたからといって浪費してはいけない。
相場で損したからといって日常を回していく上で必要なものを買い渋ってはいけない。
日常を曲げて上手く行く取引などない。
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日誌 – 平成二十九年四月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 00:37

◇朝五時起床

朝五時に起きれば、すべてがうまくゆき始める。ぼやっと起きて、一時間ぐらいかけて、じわじわ動き出す。
六時台になれば、どんな少しでもいい、外に出て軽く運動するだけで、信じられないくらい快便になる。
仕事が始まるまで時間があるので、状況を確認するのも、資料を整えるのも、食事をしてもたっぷり余裕がある。
自分の体調を整えながら、周囲の環境と体調の良し悪しをじっくり確認して事に臨むことができる。とにかく焦る必要がない。
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