SAND STORM

朝ぼらけ

2011年12月5日

運動におけるCheating – 雑稿

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 14:30

・cheatingとは何か

型にとらわれることなく、自分の状態を優先して負荷を減らした運動にし、そこで回数や頻度を上げて、活動状態を上げていくこと。

腕立てをする時、手と足の先だけで支えるのではなく、膝をついたり下半身を床に置いて負荷を減らしてやる。

腹筋をする時、頭の後ろで手を組んだりせず、手の力を利用する。

腕の力だけで懸垂したりせず、足をついて、適度に自重で負荷を変えたり、跳ねたりしての懸垂

毎日、ある距離を走ると決めたとする。だからといって全部走ったりしない。まず散歩を基本とし、調子が上がった場合のみ、できる範囲で走る。調子次第で距離の削減も当たり前。負荷ではなく頻度を重視する。

すべて型に捕らわれず、自己の調子を最優先する。それは怠けるためではなく、むしろ運動から遠ざかりがちな精神・肉体状態を容易く、であるが故に頻繁に運動・活動状態に移行させ、また回帰し、また移行する。

最終的には普段の平常状態と活動状態相互の移行はまったく滑らかなものとなり、あらゆる場面で運動が可能になる。

・負荷運動

負荷運動はそれが腹筋や腕立ての様なありふれたものであっても、恒常的にそれをやる体勢を整えている人間以外には有害。

全身の神経、筋肉、関節、細胞のひとつひとつまでが運動する体勢になって上で行う運動は有益、その様な体勢が整わない状態で行う運動は平常時に活性化している極一部の筋肉・関節に極端な負荷をかけることになるので有害。

・学校や部活でやらされる運動はタチの悪い”ダイエット”法と同じ

“りんごダイエット”や”バナナダイエット”、”炭水化物ダイエット”などでたまたま痩身に成功する人間もいる。しかし大半の人間は生態としての人間の道理を無視した偏ったやり方では失敗し、むしろ反動で精神的にも肉体的にも逆の結果を生む。

学校などでやらされる運動は、それをやらせる人間にとって都合のいいものを追求したものであり、せいぜい群の中からたまたま効果が出た使えるものを拾えればそれでいいという劣悪極まりないものに過ぎない。

それは運動する側にとっての合理を追求したものとは真逆である。

・運動を勉強させる学校が日本人を健康と快から遠ざけている

近代化後の日本人は”勉強”を生態を無視して知識を刷り込むことに、ひいては学ぶことにまで誤ってりようしているが、勉強の字義であり本来の意味である”勉め強いる”ことは、体育・部活動のような運動においても学校では適用されている。ここで行われているのは生態を無視した運動の刷り込みである。

生態を無視しているために、勉強をさせていた強制がなくなれば途端にそんな運動はやらなくなる。生態にとって意味のない強制されたものに過ぎなかったのだから。

それどころか、勉強させられたことで、運動すること身体を動かすこと自体に負の印象が植え付けられる。

こうすれば、こう身体は変わっていく、こんなことをすれば壊れてしまう、そういった生きた知識を一切教えられることも学ぶこともなく、生体にとって有益で快である運動がしたくないものとして刷り込まれる。これは最悪の結果を招いている。強制的な運動にハマった極一部の競技者や、強制運動が生態に合致した一部の人間を除く大半の国民は健康と快を得続けられる運動から遠ざけられているのだ。

・なぜcheatingが有効であり、かつ必要か?

全身のほとんどが運動状態になっていない時にいきなり負荷運動を行うことを避ける

運動を精神的にも肉体的にも軽いものとする

運動が激しく、面倒で、大変なもの、という印象が刷り込まれているから、本来は健康と快楽の塊である運動から遠ざかってしまう。

それが普段から頻繁に運動を行うことに繋がり、柔軟で健康、逞しい体へ近づいていく。

負荷運動の様な激しい状態にいきなり移行せず、軽いcheat運動から自然と活動状態が高まればより激しい運動へ、そしてその延長線に自然なものとして負荷運動を置く。型としての負荷運動を勉強(つとめしいる)するのではない。

負荷運動=激しい運動はcheat運動を行っている内に偶然生まれるものに過ぎない。

・剛ではなく柔の運動の評価をこそ高めよ

運動競技(sports)を中心に正の印象をバラ撒いている負荷運動の様な剛の運動を極端で人間の身体に有害なものとして”悪”として価値観を逆転させる必要がある。

政府がこんなものを支援するのは間違っている。政府がやらなければならないのは、圧倒的大多数に健康と快をもたらす柔の運動を学ばせ生態に取り入れるようにさせることである。

剛の運動: 体育会系、運動競技、柔道・空手など剛性の強い格闘技

柔の運動: ヨーガ、柔軟、散歩

・剛の運動はその特殊な形態で利益を得るものが勝手にやればいいのであり、政府が支援するものではない。

・運動競技の様な剛の運動は有害

運動競技で起きている明示的な事故だけでも年間二桁の死亡、もちろんその何倍もの障害に到るような事故を引き起こしている。これは当たり前のことだ。個々の生態を重視するのではなく、特殊な運動競技の形態で利益を得るなにがしかのものが他者や己自身に生態を酷使して強制しているのだから当たり前である。

何も運動しないのは最悪だが、剛の運動ばかり強要するのはその次に悪い。重視しなければならないのは柔の運動である。


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