SAND STORM

朝ぼらけ

2009年10月3日

[Gamebook] Gamebookはなぜ滅んだか

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 20:19

◇Gamebookはなぜ滅んだか – ものがたり体験の否定

Gamebookについては幾つも語っておきたいことがあるが、手元に資料がない。Gamebookが完全に終わった価値のない古本として大手の古書店などで安売りされていた頃、当時買えなかった思いもあってやたらと買い漁ったのだが、ひとつとしてplayしなかった為にほとんど廃棄してしまった。大半の物はほとんどの人間にとって価値のないものと見なされているのだから、当時のものも含め再入手自体は社会思想社版「送り雛は瑠璃色の」の様な一部の稀覯本を除けば簡単だろう。しかし、今更部屋の空間を潰してまで所有したいという気は起きない。

幾つか復刻されたもののうち、当時やらなかったSorcery!を買ったが、機能するだろうと思っていたPCでのgamebook data記録/dice roll支援utilityが機能せず代行品もなかったのであきらめた。

こういう大して、というかまるでもって面白くない戦闘の機械的処理を延々やらせるのがgamebook最大の欠点であり、それが逐一死ぬことで失敗routeを判明させて当然という小説的なものがたり体験の否定と絡んでいるためにgamebookは捨てられたのだ。

開始能力点をdice rollで決めるというのも実に馬鹿げていた。せめてこれを固定していれば、game全体のbalanceを確率的にも、経験的にも調整することができたはずだ。(今時のvideo gameでは当たり前のことだが、開始能力点をEasy/Normal/Hardという難度設定と連動させれば、death trap以外の難度調整の問題は簡単に解決する。例えばEasy:技12点/体力24点、Normal:10/20,Hard:8/16といった具合。)

gamebookが滅んだのは、そもそも登場時期がcomputer game登場後という時期であったにも関わらず、systemの基礎部分をFighting Fantasyの様な簡易な癖に面倒で繰り返しが多く、death trap山盛りという駄目な組み合わせに依拠し続けたためで、つまる所基礎部分を上の次元に押し上げるような革新がなかったのが根本要因だと自分は確信している。機械的繰り返しならcomputerの方がいいに決まっている。

Fighting Fantasyがgamebookを勃興させたが、その同じFighting Fantasyがgamebookを滅ぼしたのだ。決して粗製濫造の和製Junk本のせいだけではない。

gamebookが間違えたのは、その進む方向が「ものがたり体験をgameを用いて味わわせる」ことでなく、下らない繰り返しgameをひたすら強いる方向に終始したことにある。J.H.BrennanのGrailQuest(グレイルクエスト/ドラゴンfantasy)などは文章は最高だったが、gameとしては最悪だった。文章や世界観、基本的なAdventureとしての作りはいいが、それを回すgame engineの部分が低劣で悪質だったということに尽きる。

幾らgamebookに面白味があるといっても、同じ場所を楽しみながら繰り返し遊べるのは数度が限度だろう。しかし、ほぼすべてのgamebookが死んでroute構造(正確にはその至る所に仕掛けられているdeath trap)を覚える構造になっている。これがもたらすのは「死んだら同じrouteを何度も最初からやり直さなければならない」という、今のsave/loadが常識となったcomputer gameからは考えられない実態だった。その度にcharacter makingからやり直さなければならないのだ!

せっかく作ったcharacterに思い入れをしてplayを進めても、何度も、正確には何十度も死の罠に落ち、最後には機械的にmapやrouteを描いて攻略playをせねばならない。gamebookはそんな攻略playに耐えられるほど出来のいいものではない(パンタクルなどmap design/balanceに優れたものはあるが、低劣なCore systemからは逃れられない)。本来gamebookがその強みを活かせたのは本であることを生かした小説部分であり、その小説的ものがたり体験をFighting Fantasyを初めとしたgamebookのほとんどが否定していた。

そのgameを用いて能動的ものがたり体験を味わわせることに唯一成功したのが”送り雛は瑠璃色の”だったということに過ぎない。だから送り雛もroute design、balanceについては褒められたものではない。ただし、小説の内容をgameを用いて能動的に体験できるという点では傑出している。

◇Gamebookはなぜ滅んだか – flag方式

gamebookにおいて、Fighting Fantasy式の戦闘systemがRPGから取り入れた駄目な部分だとすれば、flag式による成否判定はAdventure gameの駄目な所を取り込んだ部分だ。

JICC出版局のアドベンチャーノベルスが典型的なflag判定に依存したgamebookだったが、gamebookのflag式が悪質なのはどのflagが最終攻略に繋がるかハッキリせず、必要な攻略flagを得る手法もまたハッキリしないことだった。どうやってflagを取りに行けばいいのかわからず、取ったflagが後で何の意味を持つのかもわからない。五里霧中の中ですべて行き当たりばったりにすべてのrouteを調べ上げるしかないという訳だ。結局、こういうflagを用いたgamebookでは派生routeを全部漁るような無意味な攻略playを行わざるを得ない。これでは小説的な冒険体験など吹き飛んでしまう。

粗製濫造された和物gamebookは悪質なflag立てgameが多い。この手は幾つかやったが、その一見Adventure game的構造にも関わらず”送り雛は瑠璃色の”とは内容に系統的な関連がない。

いわゆるSound Novelが既存のAdventure gameと異なるgenreを築いたのも、低次元の劣ったplayを強いる型式に依拠しなかった送り雛のような存在があったればこそだ。

◇gamebookはなぜ滅んだか – 無意味な繰り返しの強要が構造的に仕込まれている

gamebookはdeath trapによる死であれ、粗悪なbalanceによる死であれ、flag回収missによる詰まりであれ、正解routeを得るために、いや正解routeを選べば選ぶほど、開始地点から手動でまったく同じplayを繰り返すことになる。何十回もだ。

これは明らかにsave/loadを用いて処理すればいい部分だが、gamebookの場合、save/loadはbook側でちゃんと機能するように処理されていないとflagで詰まる。save/loadもそうだが、何より同じ場面を何十回も読み、めくり、diceを振って繰り返すのは救い難いほどRoleplayによるものがたり体験を否定する。playerは冒険者として小説の主人公を能動的に振る舞い、物語りの創出を味わいたいのだ。機械的に正解routeを見つけ出して機械的に正解routeを執行したいのではない。

欠点をまとめると

・面倒で繰り返しが多く面白味のないFighting Fantasy型戦闘system
・獲得経緯/事後展開ともにハッキリしないflag立ての多用
・character能力が固定していないために、game全体のbalanceがbestに調整されていない。もしくは破綻している。
・やたら死ぬ。つまりdeath trapの多用と理不尽なflag立てのために、同じ場面を何十回も繰り返し手動でなぞらねばならない。
・小説体験、ものがたり体験でなく、低次元の繰り返しgame強要に終始

結局gamebookが生き延びる道というのは、低劣なcomputer RPGもどきであることをやめ、能動的ものがたり体験を最大限に生かすgame、それは同時にものがたり体験を極力妨害しないgameに変化する道しかなかった。この道のみが老若男女関係無く、小説という広大な市場から客を呼び込みつづけることが可能だったからだ。

本、つまり文章と挿絵で独特の想像世界を幻出する美点があっても、その基幹部分がTabletalk RPGとcomputer RPGの手軽な代用品でしかなかったgamebookは、computer RPGが進化し、多彩になり、手軽に手に入るようになれば滅んで当然の存在だったのである。

ゲームブックの栄光と没落 | 宇駆の都

追記2での論旨はほぼ同じ。

展覧会の絵は一度収集した時に手に入れたのだが、dice rollがあったことなどから他のgamebookとそこまで変わらないものだと思い放置していた。(ウォーロックは現在送り雛が掲載された#30,31のみ持っているが、購読し始めた時には、すでにgamebookからTRPGへと主題が移っており、展覧会の絵が目についた記憶はない。)

gamebook発祥の元となったと言われる、T&TのSolo Adventureについてはあまりにも破綻したbalanceだった。character makingにTRPGと同じ時間がかかる癖に、死ぬ頻度はgamebookよりさらに高い。手間と破天荒な内容がまったく釣り合っていない。

一冊、富士見書房から出ていた今のHidden Object gameのような、豊富なillustrationが基盤となり、その中から物を選んで調べたり組み合わせたりするgamebookがあり、あれは他と全く毛色が違って面白かった。あれを捨てたのは惜しかった。paragraph接続にbugがあったのでclearできなかったのは残念。

今から後あえてやるとすれば、展覧会の絵、低劣な戦闘systemを我慢することを前提でSorcery!、FFの中でも名作と見なされているものの中から更に厳選してひとつといった所。

どちらにせよsoftwareによる支援utilityが欲しい。現在のparameter/装備品の記述とdice rollによる戦闘処理が一体になっているもの。gamebookの復刊といって確かに出すに値する物が復刊されたのだが、こういう支援utilityを開発頒布しなかったのは手落ちだろう。また現在では紙での復刊・発刊はともに経費や利便性から困難であったり意義が薄い。必ず電子書籍化して販売すべきだ。

平田真夫/森山安雄の挑戦――ゲームブック『展覧会の絵』から小説『水の中、光の底』へ」平田真夫/森山安雄×岡和田晃 [2011年9月]|Science Fiction|Webミステリーズ!


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