SAND STORM

朝ぼらけ

2012年11月18日

カタカナ英語をやめよう – 応答集/よくある質問(FAQ)

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 23:35

◇なぜカタカナ外国語全体でなくカタカナ英語に対象を絞っているか

そもそも英語(English alphabet)以外の文字は認知そのものが困難であるということ。専門に習ったり学んだりしない限り、英語以外、例えばHebrew(ヘブライ)文字、Cyrillic(キリル)文字を原語で書いてもほとんどの人間が認知すらできない。

逆に英語、英文字(English alphabet)は、既に日本への流入は長期かつ膨大で、しかも日本国民は義務教育として半世紀以上英語教育を受けている。そして英語は文化から経済、研究に至るまで全世界の共通言語となっている。

英語以外は認知もできず、基礎教育すらまったく行われておらず、実用性においても雲泥の差がある。当然カタカナ外国語の大半も英語が起源。だから無闇に対象を拡大することなくカタカナ英語に絞っている。

◇カタカナを用いた外国語表記の許される形態

カタカナを用いた外国語表記は、English/英語であればSamuel Morison(サミュエル=モリソン)、Greek/希臘語であればΑχιλλεύς(アキレス)など、まず原語を表記してその後に括弧で仮の呼び名として便宜上カタカナの読みを付けるという形態のみ許される。そして、その様な原語が前にでるなら、カタカナ表記は池谷裕二が提唱しているような、限りなく原音に近い発音表記でいい。

絶対的な原則として、国外の事は国外の事、異物として扱わせ、その語が表す意味は海の向こうの別社会にあるのであり、閉鎖的な島国の身勝手な思い込みではないことを意識させる必要がある。異物であることを自覚させれば、勝手な意味づけを膨らませたり、安易に本来日本語で表記すべき文を異物にたよって表記したりはしなくなる。

◇歴史的通用性と空間的通用性

カタカナ英語をやめよう – 近代日本と断絶の日本語で詳述しているが、”カタカナ英語をやめよう”運動の軸になる原理は従来無意識に日本語と認知されてきたものの母体である和語とそれが取り入れ(日本人が勝手に変造し)た外国語部分を切り離し、その両者を徹底的に歴史通用性と空間通用性に適合させる点にある。

一.外国語部分は身勝手な意味づけや変造をせずに徹底的に歴史的・国際的合一をはかり通用性を重視する
二.そのような外国語を受け入れ駆使する母体である和語をきっちりと守り発展させる

前者の通用性は時間軸における通用性つまり歴史通用性と、面における通用性、より広く多様な地域でより多くの人間と通用する空間通用性の両方が求められる。単に今、最大の人口を誇る共産支那(Communist China)が著しく変造された簡体字を用いているからといって、安易にそれに合わせたりはしない。適合させるのは敗戦後に変造されるまで用いていた旧字とほぼ同じの繁体字になる。

和語そのものの用い方や意味づけも、可能な限り古代にまで遡って同調させる。日本人がその時代の内輪だけのノリで勝手に変造した意味や用い方を公式なものとして採用していくなど害でしかない。

そもそも漢字自体が外国語であり、自分達で技術・思想・概念を生み出せなかった日本人がその時代に取り入れたに過ぎないことを意識しなければならない。日本人が守る必要があるのは和語だけであって、自分たちが世界で通用する規格や文明を生み出す主役となれない以上、和語以外の部分は徹底して歴史と国際環境における通用性を重視しなければならない。二千年の昔も今も極東の島国の住民に過ぎない日本人がやることは同じである。


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