SAND STORM

朝ぼらけ

2014年3月6日

日誌 – 平成二十六年三月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 12:25

◇限られた者
生者はいい。余剰あるものはいい。
しかし、人は与えられた条件で戦わねばならない。
その中において、与えられたものは、すべて使わねばならない。
役に立つのは自分と関係の無い紛い物ではなく、本当に、自分に与えられたものだけなのだ。

◇託宣
「今お前を救済しているものを否定するな
 社会そのものもそれを肯定せよ」

そういえば主要目標の内、明治村に行き損なった。一日疲れて寝ていた上に、雨が降ったせいで豊田市に切り替えたのだった。

◇帰還
行は果たした。人生でこれだけ待つのにイライラしたのは初めてだ。間に合わなければそれまでの縁と思ったが、運命らしい。

旅全体を通して、主要作戦目標はすべて達成し、それらに付随して体験した意外性、外界と自己の肉体・精神に関する知覚の発見、切り分け、深化は素晴らしいものがある。副次的に派生した目標は時間的余裕があるものだけに限られた。

◇豊田

豊田市って外国人労働者とか技術者とかいっぱいいるのかと思ったら、案外地方の日本人ばかりの街だった。

博物館はいい。このトヨタ鞍ヶ池記念館は、昭和49年(1974)竣工というが隣の公園と同じで改修されているのだろう、1980~1990頃のbubble景気時代の余った金の使い道がわからないので、上品なものに使ってみた感じですべて固められていて実に素晴らしい。これを維持できるのはTOYOTAならではだな。展示品は多くないけど、今でも綺麗に整備されてる別世界で、下品さがないんだ。受付のお姉さんなんか実にいい。無料だしね。

こういう博物館って子どもや老人しかいかないけど、社会人こそ行くべきだよ。現代って歴史的遺産がそのまま見える形で残ることなんかほとんどないから、こういう場所の中に隔離した形でしかない。博物館や歴史資料館にあるものを子ども見たって何もわかるわけがないんだから。現実の体験や色んな知識を身につけた大人が見てこそ視野や見識を広げて、良い志操を育んでくれると思うね。

◇岡崎の歴史観光とcosplay idol

岡崎城に行ったら、「なんたらバサラ」か「うんたら無双」のcosplayした兄ちゃんが天守閣で「~じゃのう」などと観光案内をしているのに、森girlか山girlかよくわからん女が数名いるのでなんだろうと思ったら、城門で同じようなcosplayした娘がsignをせがまれて色々絵を描いている。

今時の観光案内としては、出来たもので「さすが名古屋だなぁ」などと思い、後で飯屋で聞いたら、地元岡崎ではなく近在の男女を集めてidol groupのようなものをつくり、それに期間限定で案内と集客をさせているらしい。それでfanが来ていた訳だ。

個人的には武将風雲録の冒頭demoの、面がバカーンと真っ二つに割れる朱一色で描かれた信長の平敦盛のcosplayを見たかったが、可愛いからいいか(その娘が博物館内で観光客に案内する言葉を聞くに、モロに歴女?的なおたくのようで、すべてそっち方面から解釈し直して話していた。cosplayすることの方が、溌溂として可愛くなる娘もいるのだろう)。


◇最近の若者世代が垢抜けている理由

いわゆる”おたく”まで格好が垢抜けたものになった理由は、真性のおたくが減ったというよりは親世代が交代した影響だろう。いわゆるいかにもおたく的な格好が戯画化された時代は1990年代中盤辺りまでと思うが、その時代に若者であったのは団塊Jr.で、必然その親は団塊世代な訳だ。団塊世代は都市の一部を除いて自由に自分の嗜好に基づいて流行の容装を消費した訳ではなく、選択肢が少ない中で画一的なものを真似したのがせいぜいだろう。このような親の元で自身が容装に興味がない場合、垢抜けない格好になるのは必然の理だが、それから二十年経って、即ち一世代交代するとその親は1970’sから1980’sの一番景気がいい時代を若者としてたんまり味わった世代になる。彼らは自身が好景気の中で容装を様々な形で経験しているので、子どもが大して興味なくともそれに垢抜けた格好をさせる。また、そういった知識や技能の伝授も自然と行われるだろう。結果、若者は誰も彼もが垢抜けてしまったのではないかなぁ、と田舎者丸出しの格好で喫茶店から眺めて思うのであった。

◇名古屋 – 大須

単に大須が電脳街だという情報だけで、無線のmouseとkeyboardを買いに出かけたのだが、大須というのは元々家康が大須観音を移設した所から始まっているので、浅草のような神仏習合の伝統信仰とそれ絡みの街が古層にあり、そこになぜだかわからないが、秋葉原というより大阪でいう所の日本橋のような電脳街と、アメリカ村みたいな若者の向けの衣装屋がやたらとある流行好きの若者向け要素が一緒になった、何ともよくわからん単一の特性では語れない街になっている。

名古屋は都会、つまり、単に都市文化を中途半端に受容させられるだけの側でなく、その場を核に容装を独自に発展させ蓄積してきている場所だ。その代表的なものが、あの名古屋独特のjacketを絡めた格好なのだろうが、見慣れるとあれも名古屋という見栄を第一にする性質が表れていて、よく感じてきた。

◇門出

ぐらっ、ぐらーっぐらっぐらっぐらーっ、と長揺れした地震でどうなるかと思ったら、三十分も列車到着が遅れて、安全確認の為通常の速度の三分の一程度で鈍行し、本来一時間で着く所が合計二時間ぐらい寒い列車の中で過ごす羽目になった。しかも、その遅れた列車を待っている最中に、駅前広場に隣接する建物に住む頭のおかしい電波系な男に三階の窓から「何をウロウロしてるんだ!」「不審者!」「警察を呼ぶぞ!」と罵声を浴びせられる門出となった。いやはや、こういう所に日頃の行いがでるね。そう言えば前帰る時も、線路沿いが火事だとかで随分待たされたな。

しかし、移動が上手く行かずに待たされるというのは、体力・精神ともに削られる。ちょっと対策立てて動けるようになったと思ったらこれだから、悉皆苦行だ。

旅立ちに 罵声で送る 電波系

◇なぜ自分は山城に登るのか

それは、第一に下界の流れから切り離された”異界”だからだ。ゼェハァゼェハァと腹を灼くような思いをしながら登っている最中は、「一体自分は何をやっているんだ!?」との思いに捕らわれるが、それを越えつつ登っていくと身体と意識の両方がそんな下界の存在としての意識から抜け出していく。

登り切った頃には意識は完全に切り替わり、世俗から遊離した遊びの場としての遺跡がそこに広がる。自己は山野をうろつく原始の存在に帰っている。

第二に、そこが下界に対して上から関わる場であるからだ。

山城というのは、いわゆる”登山”で連想するような一般社会から隔絶した高峰ではない。

山城はその一帯の主要平野、平野へ入り込む街道などを必ず監視している。山城に立って(木や塔に登らねばならないこともままあるが)下を見渡せば、その地そのものが手に取るように理解できる。これは幾ら下を車で走り回っても、衛星写真を見てすらわからない。

日本というのは大半の土地が山でできている。都市機能として見た時、地方のほとんどは憐れなほど小さな価値しかない。しかし、山に入ってその土地を上から見た時、初めて無意味で卑小に思えた、バラバラの地域の意味と繋がりが見える。

これらを歴史と組み合わせて考える知的刺激はこれ以上ないほど最高だ。

最後はそこが数百年の時を凝縮した場所である点にある。

山城というより、現代では山自体が見捨てられた場所であるが故に、数百年の蓄積がそこには露出したまま残っている。今を見、数百年の過去を見、ここ数十年の破壊と喪失を見、それまでの営々と続けられた人為を見、本当にその場で人の業の蓄積を見れば理屈抜きで細胞の質が切り替わっていく。

もう共同体の継続的伝統を生きた人間に話を聴くのは困難だが、不審者扱いされながら土地の人間に話を聞くと出てくる話の意外性と蓄積は何とも云えぬものがある。

最近は山城の構築だけを見るのが流行っているが、その場にいながら、それとともに生きてきた共同体を無視し、数百年を繋ぐ生きた歴史を見ないのは残念なことだ。

◇ベビースターラーメン

ひさびさに車を長距離運転した。ついでに山城を二つ登ってきた。

その地域に行くのはもう十年ぶりぐらいだが、さすがに衰退の色は濃い。新しい血は抜けていく一方で、老化と衰弱だけが進み、前世紀の様にあぶく銭も入ってくることはない。多くの集落は後十年もすれば相当過激な再編を行わざるを得ないだろう。

東京に行った時感じたのは、日本中でここだけが異様なまでに豊潤な血に溢れているということだった。租界時代の上海に近い異界と化している。それ以外の地域と対象的だ。こんな所にまで”東京”なう。

一つ謎が解けたとしたらベビースターラーメンは恒常的な漏出への補給として十分機能するということだった。極端な行為で現実に飛び込み”当て”を取ることで、何が本当か判明させられるのは大きい。現実は複雑過ぎる。予測のどれが当たりでどれが外れているかは飛び込んでみないとわからない。所詮、人は虎穴に入らんずば虎児を得ず。

◇霧中東海道

結局、伊豆から遠江、名古屋に拠点を移して前回見て回ることができなかったので心残りであった三河安城、その他周辺を見ておくことにした。今の内に色々見ておきたい。

◇Thrash Metal

去年から真冬辺りはずっとchiptuneを聴いていたが、最近はThrash metalがよく合う。

こういう音楽を聴きつつ考えていると、大人というのは子供~若者までは比較的ひとつにまとまっていた、肉体や神経のそれぞれの部位が、生き方や環境でそれぞれ肥大するから、重く、大きくなったそれらをどう統治するかということが問題になるということだなあ。

◇雪の降る春

二十度近くなってみたり、雪が降ってみたり、春分前の啓蟄というやつらしい。

人間の体というのは、皮膚から脂肪の蓄積から、神経のありようからすべて、四季の環境に合わせて変化適応するので急に変わるとむしろ冬の方が楽だ。

刻むような日々の変化、でこぼこの荒れ地を一歩一歩あゆむにも似たり


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2 Comments »

  1. ほとんど限界集落寸前の地域に住んでいるのですが、東京都心部を訪れるたび、その華やかさと比較して、いったいどちらが現実なのかと迷うことがあります。
    この歪みの結果が両者にもたらすであろう将来の混乱が楽しみでもあり、恐ろしくもあります。

    Comment by onigi — 2014年3月10日 @ 14:59

  2. 悪い意味で、発展した戦後の意識でいる人が多いから。戦後続いてきた表層的な部分での変化でなく、根っこの部分の変化が起こらざるを得ない。結局、激しく変わってきたようで、安定していたのは敗戦前の別の国・別の社会で育った世代が生きて要所を押さえていたからなんだなぁ。彼らが卒業すると、根っこがないから今みたいになっていく。

    何となく全体が残っていくことはもうあり得ず、むしろ全体は速やかに滅んで意図して残したものしか残らない。変化と流動が必然としても、何を選んで残していくのか?
    どの次元からの変化が起こるかを意識した上で、変転をも楽しむのが正解なのだろう。

    Comment by sajin — 2014年3月10日 @ 21:42

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