SAND STORM

朝ぼらけ

2014年7月5日

日誌 – 平成二十六年七月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 15:43


◇全裸の季節

遅まきながら 梅雨過ぎて
草も萎れる 夏盛り
今ひと度の 東行き
夏の暑さも 身に合えば
転げる虫も 歩こうよ

◇草

究極まで救われない者には、感知や認知そのものが存在しない
感知や認知自体が存在しないために、彼らは究極まで救われている
連中は草のようにあるものを貪りくらい、種を撒き、ただ滅びる

◇廃墟と看板

営業停止した建物は看板を除去することを義務化すりゃいいんだよ。全力で営業してますという看板を出していながら、中身が廃墟だから印象が悪い。詐欺みたいなもんなんだから。

◇代議制の欠陥

結局、今の民主主義の欠陥というのは、そのまま代議制の欠陥であって、代議制の欠陥というのは、代議士がそれを押し出す少数の利益団体の代表でしかないという所にある。代議士は何よりもまず、特定の地域やら、労働組合やら、業界団体やらの代理人であるから存在しているのであって、全体のことを代理する存在ではない。代議士が最大限に誠実であっても、それを支持する特定の少数集団の利益に奉仕するだけであって、全体への奉仕は二の次三の次であり、彼らの活動の結果現れるのは、常に合成の誤謬である。どこかの地域や団体、業界の利益の為に、全体の制度が歪められ、税金は釣り上げられ、大多数の国民は息苦しくなっていくばかりだ。

代議制民主主義がもたらすものは、特定少数のための利益、限られた世代の利益であって、有力な少数の政治集団が、それ以外の多数の人間を収奪するという構造は、民主主義以前と基本的に変わっていない。政治活動に資源を投入して、全体から収奪するものはそれによってますます有力になり、政治活動に投ずる力などない者はより一層収奪されてますます貧しくなっていく。今の民主主義は多数が有利なのではない、少数の政治力を駆使できる集団が有利なだけで、それ以外の大衆は無力なままだ。

結局、この欠陥を克服するには、部分の為に奉仕するに過ぎない代議士など権力者を全体によって後から裁くことを予約する他ない。大衆に、今の政治的課題の把握とそれに相応しい候補の選定といった専門家でも難しい予言者の役割などできるはずもない。しかし、結果を見て、あいつはよくやってくれた、あいつはろくでも無い奴だったと、賞罰を与えるぐらいのことならできる。現在までの民主主義は出来もしない事前の判断をさせて、事後の裁きをまったく制度化していない。これで上手く回るはずがない。

◇豊作幻想

人間は遺伝子を書き換えなくとも環境に適応できる幅が広いことが最大の強みで、環境に恵まれるのでなければ、生きるというのは、結局どう現実を認知して、適応するかということだと思う。

色々見ていると、人間には豊作幻想というのがあって、一度好景気とか豊作・大漁の様なたまたま外的要因が重なって運良く都合のいいものが溢れる経験をすると、無意識的にそれを当然のものだと思って物事を判断するようになる性質がある。豊作自体は誰にとってもいいものであるために否定しようもなく、満ち溢れていることを前提に習慣は遷り、社会の仕組みは変えられ、終いには道徳まで野放図に書き換えられていく。そんな仕組みや考えは、たまたま豊作や好景気が続く時に通用するものでしかないのだが、道徳自体が書き換えられてしまうので、反論することは難しい。

人類の歴史を見れば、産業革命前までは、人という種は自然に大きく左右される存在でしかなく、ある地域が地球規模の温暖期に大発展したかと思えば、寒冷期が来て消滅するとか、栄えた都市や文明が消え去ってしまうことも稀ではなかった。そういった発展と衰退の織り成しの中で、それでも世代を繋げていくものとして道徳は形成され、練磨されてきたが、産業革命以後の終わりない拡大の中で大量生産の恩恵があまねく行き渡るようになると、必然として道徳は地に落ちた。常に豊作(大量生産で手に入る)なのに、そうでない時(職人の手工業)の道徳に固執するのは無意味な習慣でしかない。

人間が豊穣に溢れかえっていく所では、人自体を把握し、操作し、その生物的に備わった感覚をいかに刺激して、収穫するかが最重要の事柄となる。誰もが無数の王侯貴族への奉仕を求められている。豊作の時代の誤った習慣を正すのか、豊作の時代に乗って祭りを為すのが正しいのか。人間の生は、愚かなまま死ぬには長過ぎ、習慣に塗れた世代を超えるには短すぎる。

◇廃墟

近くの営業所が閉鎖というか主なものだけ引き払って放置されてるが、ああいったものが放つ負の気というのはすさまじいものがあるな。
なまじ外に向かって何かをするためにつくられたものである分、放置されると、逆に普通の廃墟化した住居より荒んだ気を周囲にまで放つ。

◇World CupとColombia

TVをまったく見ないので、開催していること自体気づいてなかったが、ColombiaがWorld Cupでbest 8進出していた。

自分がFootball(=Soccer)観戦に嵌ったのは、日本でSoccerが人為的に流行させられる前のWorld Cup 1990で、その理由はたまたまColombiaが戦っている映像をTVで見たからだった。

Colombia代表teamのまるで遊んでいるようにpassを回すそのplay styleは、それまで魅力を感じなかったSoccerへの興味を俄然かき立てた。中でも司令塔として中心に位置する獅子のようなふわふわの金髪をまとうCarlos Valderrama(カルロス・バルデラマ)の印象は強烈で、他にも異色のgoal keeper Rene Higuita(レネ・イギータ)、競技場の紳士MF:Leonel Alvarez(en:Wikipedia)、南米屈指のDF:Andres Escobar(エスコバル)など個性ということでは、他の強豪を上回るものを持つteamだった。

当時Super Formation Soccer(Wikipedia)というgameがHUMANから出ていたので、ひたすらColombiaでplayしては身勝手な思い入れを深め、期待した四年後のWC1994、Colombiaは前回の主要面子をそのまま保ち、予選ではBrazilをも上回る強さを発揮して、本戦でも優勝候補に挙げられるほどであったが、結果は悪夢となった。

Valderramaと並ぶteamの軸であるHiguitaが、誘拐事件に巻き込まれて逮捕[#1]され本戦に出場できず、予選で見せた圧倒的強さと異なりteamは精彩を欠き、終いにはEscobarが自殺点を献上して、一次敗退となってしまう。そのまま帰国すれば報復は必至だったため、teamのほとんどが会場にとどまったが、Escobarのみが説明責任を果たすとして帰国し、賭け賭博で負けた腹いせでmafiaに殺害された。当時のColombiaは麻薬組織や右翼民兵、左翼の武装闘争組織が抗争する最悪の状況で、身の危険を感じた黄金時代の面々は以後National teamから離脱し、1998でもstaffの殺害事件が起きたりしてColombiaは長い低迷を続けることになる。

#1:誘拐事件で人質と引き替えの身代金を渡す役を引き受け(有名人だから傷つけられる可能性が低いため)、それで報酬を貰ったのが引っかかった。ただし、七ヶ月も収監されたにも関わらず不起訴。

The World Cup can be stressful for players. The world is watching and you have the weight of your entire country on your shoulders.

World Cupは、世界中が注目して、その肩に国の期待がかかるとても精神的に負担のかかるものですよね。

So how do you relax at the tournament?

どのように大会では緊張をほぐしているのですか?

Sex, of course.

もちろんSex(性交)だ。

Carlos Valderrama, who played in three World Cups for Colombia says that relaxing is easy. Just do it.

Carlos Valderrama、三回のWorld Cup本戦に出場した男は、緊張をほぐすなんて簡単だと語る。”やれ”ばいい。

Carlos Valderrama: Sex is key to World Cup relaxation – SBNation.com

Valderramaは98’を最後に代表から引退し、Colombiaへの興味、ひいてはSoccerへの興味もほとんど失せたが、今十五年を経て再び強豪として返り咲き、Valderramaも黄金時代の名選手としてinterviewを受けている。Colombianらしい、彼の回答を見ていると、やはり応援すべきteamだなと改めて思うのだった。


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