SAND STORM

朝ぼらけ

2014年11月25日

[旅行記] 桐生 肆(自転車) – 平成二十六年十一月

Filed under: 未分類 — Tags: , , — sajin @ 18:42

◇自転車

朝、駅で自転車を借りて、取り敢えず南方をぶらっとしてみる。

渡良瀬川を渡り、上毛電鉄道の鉄橋近くの駅で折り返して本町に帰った。午前中軽く町をぶらついて、それから一度宿にでも帰ってから城に行くかと思っていたが、そのまま山際を北に抜けていく。

◇えびす講の準備

途中、道を半分ふさいでなにやらしているので何かと思ったら、桐生西宮神社ではえびす講の準備が行われている。日程が合わなかったので、祭りには参加できなかったが、かなり大きな祭りのようだ。

神社は石段拝殿前の準備並んだ提灯銀杏の葉が石段に散ってきれいだ。

◇麺麭屋

朝に南西をうろついたせいで、山に近づく頃にはもう昼近くになっていた。なぜか坂に登る方に看板があったので、頑張って登って見ると麺麭(パン)屋があり、食糧の入手を試みる。店に入ると置いてある麺麭が少なく、どういうことなのかと思ったら、今つくっている最中ということで総菜麺麭を一通り頼む。女将が話し好きで、散々旅行の話をした挙げ句、珈琲を一杯もらっておまけで菓子麺麭もつけてもらった。

◇西方寺

さっき買った麺麭を、ゆっくり食べてから登城したいと思い、同じ城主が城をつくる以前に構えていた館の跡が整備されているというので、そこを探すが色々聞いてみてもまるで見当たらない(『桐生市の文化財』(2002)の説明頁)。

こういう時は、地元の寺などを当たるのがいいだろうと考えて、寺を訪れると、ここはまさにその城主桐生氏が城と合わせて建立したゆかりの寺であった。

大昔は寺々のある谷の西側の山沿いが古い街道であり、現在住宅などで埋まっている平地は元々は桐生川の氾濫原で、沼や草地ばかりの人が住む場所ではなかったそうだ。領主はよくそこへ狩りにでかけていたという。その様な場所に、館を造り、そこから今に残るような街並みが始まっていったということらしい(ただし、今の保存地区は江戸時代以降の南方のもの)。

◇梅原館址

住職に聞いたことを頼りに、県道から女子校のすぐ南に入る道を下っていくと、その途中に梅原館址はあるのだが、案内が一切ないのでそれらしい場所をよく探していないとわからない。

館址には、地元の集会場と社に見えるお堂があり、南の方は土塁が、西は墓がたくさんある(説明板)。

お堂の裏には宝篋印塔という鎌倉時代辺りから戦国時代までぐらいによく建てられた古い墓が並び、また当地を治めた桐生氏の家臣長澤氏の戦国時代からの歴代の墓も数多くあり、どうもその子孫がここを守っているようだ。

ここで先ほど買った総菜麺麭(パン)を食べる。手作りの作りたてとあって美味しい。常連が数を買い付けにきていたが、街の中心から少し離れた場所でもあの味だから営業が続けられるのだろう。

食べ始めた時はよく晴れていて温かかかったが、食べている内に砂塵が巻き上がる強い風がどんどん吹いて気温が下がってくる。山に行くのに気温の変化は厄介だと思いつつ、落ち着いた場所で腹がこなれるまでしばらく過ごすのであった。


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