SAND STORM

朝ぼらけ

2015年1月26日

日誌 – 平成二十七年一月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 02:14

◇laptop

laptopがbluescreenを連発するようになったのでreinstallしてみたが、まったく同じでどうもhardwareに原因がありそうなので調べてみている。WindowsもDRMで管理してるんだから、せめてその時点までのpatchをすべて統合したinstall用imageを配布すりゃいいのに・・・あの企業に何を期待しても無駄か。

laptopも意外と簡単に分解できることを知った。PCはhardwareばかり弄っている時は楽しい。smartpohoneを買ったので、それも環境構築をしなければならない。何にせよ早くこの場所を使えるようにして、大量の本を処理しまくらねば。

◇擬音
むよよよんよん むよよんよん
ムズバッ ムズバッ

頭の中にたまに沸くこれらの擬音が何を意味しているのかと思っていたが、どうも体液の流れを表わしているらしい。

にゅるぐんばっ!にゅるぐんばっ!

◇鼠狩り

もっとも頭がよく、もっとも体技に優れた鼠も、狭い裏道を好んで狩られる


◇自慰と平和

自慰行為(独:Onanie、英:Masterbation)ほど世の中に平和をもたらすものはない。自慰すれば人は疲れきって、暴力行為はもちろん、暴力的な思考すら失せてしまう。実際の性交は相手が必要なのでさまざまな問題を引き起こすが、自慰はまったく被害をもたらさない。

女性には恋人や夫の自慰行為のネタを捨て去ろうとする衝動があるが、あれは完全な誤りで、白米の飯だけを延々食べ続けさせるような苦行を相手に強いるべきではない。むしろ積極的に豊富なネタで自慰をさせて、肝心の本物を求める時だけ自分に対象が向くようにすべきだ。

エロ本など、自慰のネタを目の敵にして叩いて回る頭のおかしい連中がいるが、そういう連中は空想の作品を見たら、それがそのまま現実の人間の行動に影響を与えると何の証拠も根拠もなく思い込む「空想と現実の区別がつかない」連中だ。百年以上にわたって殺人事件が起こる推理小説が何千万部も売れているのに、それが原因で事件が起ったりしていないし、暴力gameが何百万本も売れてもそれが原因の暴力事件など起きないし、幼児を対象としたエロ漫画が大量に出回っても、それを原因とした事件などまるで起きてない。そういった作品に読者の1%でも作品通りの行為をさせる力があるなら、必ず同様の事件が多発し、その犯人の誰もが同じ作品を所有して、「強い影響を受けた」との証言があることだろう。しかし、そんな例は一つもない。根拠もなく思い込みで批判する手合は、空想と現実の区別がつかない人が空想作品に影響されて現実の犯罪行為を犯すとわめきたてるが、空想と現実の区別をつけられないのはそいつら自身なのである。

そういった「空想と現実の区別がつかない」連中は決まって基督教などの一神教や左翼思想(実態は零神教の宗教)だのにかぶれているが、歴史上、実際に虐殺や大規模な強姦を起こす影響を与えてきたのは、その様な支配的な宗教や偏狭な思想に他ならない。それはその様な宗教が徹底的な排除による自己正当化をもたらすためだ。この手合は、空想でがなり立てたことが現実に影響すると思っているので、自己正当化を行う宗教・思想が犯罪に寄与しないと思い込んでいるが、現実はまったく逆である。規制すべきなのは空想作品でなく、偏狭な宗教と信者に他ならない。

自慰は無限に幅広く、自己正当化からもっとも遠いため、暴力や他者侵害などとまるで無縁だ。豊かな自慰がある社会ほど平和なのである。

◇階段

人生において最高の瞬間というのは何だろうか?
階段を駆け上がるか、駆け下るか、そのどちらかだろう。
「駆ける自由を与えてやりたい」「一足飛びに飛び降りたい」・・・しかし、結局は底に辿り着くまで一歩一歩あるいて行く他はない。
そういった目の前の現実に対して、自分の中の奥の方にあるもの、自我や感情・精神以前の存在の元を成すものが違うと感じている。

◇渦
自分はある頃から、現象世界は数多くの粒子の渦の様なものだとみなすようになっている。この世には無数の星で構成される宇宙の銀河の様に、多くの渦がゆっくりと回りながら存在している。渦の中ではまた小さな流れが渦を巻き、末端では流れが逆流するような渦の流れもできる。渦の中では様々なことが起こりえる。

社会は人間によって作られた様々なもので構築され、規定され、抑制され、また拡張されている。実在する個人は人間的な具象や抽象の観念、それによって作られた制度や道具に因って生き、行動するほかない。人間に近い所は、そういった人間的な道具や観念が猛威を振るい、それが絶対的に有力なものにさへ見えもする。

人間は、広く言えば生物は、程度の差はあれ、渦の流れに意志をもって関与し得るものなのだろう。しかし、人間がどうあれ、社会がどうあれ、世界を織りなすものが渦によって立っているということは変わらない。

結局渦をどう捉え、どう関与し得るかということなのだが、大衆の大半は自分が僅かに接触し得た狭い渦を肌感覚としてしか理解しておらず、TVや新聞・週刊誌といった渦の表面を彼らに合わせて出鱈目に光らせた刺激で脳を錯誤させ狭い渦以外を虚構として配置し、安定させるだけである。観念で渦を広く捉えるものも、渦に何がしかの光を当ててそれで照らされた一面を捉えるに過ぎない。その一面を絶対視すれば狭い渦よりも性質は悪い。

渦の理解、その前提となる感得は、人間に合わせてつくられた社会、その中の地位競争に囚われた魂の束縛から解放されないと行ない得ない。「精神の解
放」や「感情の解放」は、その一部であるか、単なる酔っぱらいと同じ逃避である。逃避であっても、狭い渦を飛び越えるのであるから、やらないよりはマシであろう・・・

◇鬱は甘え

物心ついた時には周縁世界の大半がうんざりさせられる環境なので、鬱病で~というのがよくわからない。実際身体的には自由が効きながら、単なる発想の貧困、つまる所神経系の狭さや身勝手な想定との落差によって絶望や鬱に陥るのは単なる甘えと思う。それは自分自身ないし環境を変えれば済む話しだからだ。
しかし、器質的破壊(機能の不全もしくは停止に近づく「変様」)が進んだ結果としてのそれは鬱というよりは、人間に仕込まれた本能装置としての自己破壊衝動、もしくはその様な要因をもたらす外部への衝動が起動する。最近では本能に仕込まれた衝動の多くは正しいものだと感じるようになってきている。それは誤って保持されているものを否定するからである。

◇苦悩

「苦悩」というのは偉大なものにだけ起こり得ることだ
お前みたいな底を這いずりまわる者のそれは「苦痛」と言うんだよ
どんな下等な生物にも苦痛だけは備わっている

◇脂と運動
冬が難しいのは、脂肪の出入りが激しいからで、脂肪自体の構築はもとより、寒さに対応して脂肪を使用するswitch(hormone・神経含めた全体)の時期に応じた切り替えの変化が簡単にいかないからではないかと思う。脂肪というのは単に熱源を保持するだけじゃなく、身体に必要な栄養素を色々保持しているから、単なる寒さへの対応だけでなく、他の栄養を使った際に脂肪が使われたりして、その面でも常に出入りする存在としての付き合いが冬は難しい。

運動というと、runningや腕立て、腹筋といった中学の部活的な決まりきった箇所を酷使する局所運動になりがちだが、筋肉は全身を覆っているだけでなく、内蔵にまでついているのであって、足や手のそれはごく一部にすぎない。その全体を上手く押し当てたりしつつ刺激すれば、そんな大量の距離を走ったり、無理な酷使になりがちな腕立て腹筋をやたらやらなくとも、もっと全身の均衡のとれた運動を行うことができる。

実際1kmほどの距離の中で5km歩く以上のことを毎日やっているが、それだけで身体の凝りや血行は単に歩くより遥かにいいものを得ている。というより、数年前より明らかに筋骨がついてきている。

要するに人間の身体というのは外界へ対応して変化しようとするものであって、足の裏で踏んで歩いたり蹴ったりすることと、背中に押し当てて圧力をかけて運動することに本質的違いはない。上手く全身を柔軟に刺激するほどよい結果が得られる。

◇鼠
とりあえず言えることは、出かけている間に人の寝床を糞と小便まみれにした鼠を狩り尽くさねばならないってこと。

◇死と洗浄

死が洗いであることを理解してない者が多すぎる。死は「よいもの」も「わるいもの」も洗い流す。
すぐに洗い流されてしまう弱いものほど死を怯れる。そういうものほど洗われねばならない。

◇思考としての歴史と行動としての歴史

いまや不可思議なことにも、あたかも「闇の国」こそが内在性の住まうにふさわしい場所であるとでもいうかのように、内在性を完全無垢なままに確保しているためには一切の明かりをつぎつぎに吹き消してゆく必要があると考えられるにいたっているのであるから

ベネディット・クローチェ 『思考としての歴史と行動としての歴史』 未来社 57頁

Grungeの時代は終わった。

◇帰宅
帰った。行田から。午後四時を過ぎてのゼリーフライの入手は困難を極めた。
しかし、北関東というのは・・・想像よりも遥かに古い古代からの流れがあるのだろう。

◇脳の奥について
書くのは難しい。人間という種に最初から埋め込まれた装置であり、王であり子供であり貴族であり、外界の影響に応じて容易く精神や感情に介入し、すぐさま支配もする。先に、かつ中に存在するが故に、思いのままに御することはできず、なだめすかしつつ付き合う他ない。大きな、本当に大きなあり様だけが、それをなつけることができるのだろう。

◇最小化
掃除というのは結局何かをするための最小化なのだと思う。そして、災いの最小化が何よりも重要だと思うようになってきている。


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