SAND STORM

朝ぼらけ

2015年2月14日

[旅行記] 世田谷 – 平成二十七年二月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 04:10

◇世田谷

小田急に乗って世田谷区へ行ってみる。

豪徳寺駅で降りて、世田谷駅の方に歩いて行ってみると基本的には下町という感じだ。

寺の裏手側は落書きが多く、殺○上等 関東連合上町小次郎などとあるが、関東連合の主要派閥の本拠の一つがここ世田谷だったという(もうひとつは杉並)。

豪徳寺(説明板)は禅宗の寺だが、色んな歴史の積み重ねで禅宗らしくない見どころが幾つもある。

もっとも著名なのが、幕末に暗殺された井伊直弼で有名な井伊家の墓所(地図)。本領は彦根藩だが、飛び地で世田谷を所有しており、幕府の重臣という立場から、江戸に近いこちらの方が重要だったのだろう、墓はすべてこちらにある。

井伊家の墓群自体は関係者が見ればいいだけのものだが、墓所には派手な石碑や石像が多い。明治というと革命を起こしてやった側のことばかりが取り沙汰されるが、やられた側の筆頭である井伊直弼の側から見るのも面白い(殺害された井伊の二子直憲が幕府側、さらに官軍側について活躍したという石版)。

◇世田谷城

井伊家がこの地を得る前に長年世田谷を支配していたのが、この間訪れた西尾市から出た(前東條)吉良氏だ。この吉良氏は三河から奥州管領に転出したが、観応の擾乱という足利政権の分裂抗争に絡む奥州での覇権争いに敗れて関東に居を移し、色々あって本拠とした内の一つがここ世田谷になる。本来豪徳寺も世田谷城の一部で、城域はかなり広い(説明板)。

通常平地の城というのは、単なる館の延長であるとか周囲の田んぼを利用した平地で、跡はあまり残らないことが多いのだが、ここは小高い丘の部分をそのまま活かして公園にしており、かつて城であったことを偲ばせる特徴的でいい公園になっている。

◇世田谷区立郷土資料館

線路を南に渡ってボロ市(説明板)が開催されるという通りにある、世田谷区立郷土資料館を訪ねる。

入ってすぐに世田谷代官所だった大庭家住宅がある。大庭家は吉良家の四天王と呼ばれた重臣で、徳川政権でも現地代官に採用されたため、世田谷との付き合いという面ではもっとも長い。豪農の家にも見えるが、二階があったり切腹の間があったりとやはり異なっている。

奥の方に行くと資料館があって、ここはかなり立派な造りだ。二つの建物を繋いでおり、石器時代から縄文時代・弥生時代にかけての土器などでかなりの展示があり、さらに大庭家だけで一室。

江戸近郊の農村に過ぎなかった世田谷が大正期から急速に郊外として開発されていった歴史も興味深い。

帰りに乗った東急世田谷線は中々味のある路線だった。


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