SAND STORM

朝ぼらけ

2015年3月31日

[旅行記] 蒲田 – 平成二十七年三月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 21:46

◇蒲田入り

羽田から直通で来るのは京急蒲田駅までで、JR蒲田駅とはかなり距離がある(これは川崎でも同じで、後から京急が入ってきた事情があるのだろう)。両駅間は飲食店の多く並ぶ飲み屋街である。

古くから発展しているのはJR駅の西側で、大正時代などは松竹のキネマ撮影所などがあって「モダン」な街だったようだ。

「蒲田・羽田の歴史について」 1D030121-3 岡村紘野


◇散策

翌日、南の雑色方面に下り西に曲がってJR蒲田駅の西あたりへぷらっとしてみる。

鉄路が四本並行してズドンと抜けていたり、

JRの車両基地や大規模な社宅があってJR民の街の様だ。

狙われる心に油断と隙ある。字足らず。

関東大震災後、多摩川沿いの耕地整理地区内に工場の進出が始まりました。そ
の後、機械金属工業を主体とする中小規模の工場が内陸部に拡大し、工場のまち
大田の原型が作られました。こうした工場の進出が、住宅や商業等と混在した、
いわゆる住工混在地域を形成してきました。

大田区の特性と課題

また全体に労働者の多い工場の街である。

 極左暴力集団は、佐藤首相の訪米を阻止しようと、全国で延べ約7万4,000人(うち、東京で延べ約3万4,000人)を動員して反対闘争に取り組んだ。特に、東京では、訪米前日の16日、約1万9,000人を動員して、蒲田、品川等都内各地で火炎びん、爆発物、鉄パイプ、角材等を使用した「ゲリラ」的集団武装闘争を繰り広げ、警察官487人、一般人65人を負傷させたほか、学生1人が死亡し、検挙は2,557人を数えた。この間使用された火炎びんは約1,200本、未使用のまま押収されたものは約3,300本に及んだ。

『昭和63年 警察白書』 第1節 極左暴力集団等の変遷

工場や労働者の街だったことから、昔は戦前の共産党員による銀行強盗”赤色ギャング事件”や火炎瓶闘争など共産党員による大きな事件がよく起きていたのだろう。

1,600円と格安の散髪屋で刈ってもらったが、いい腕で髭剃りまできっちりしてくれた。

◇岡本太郎美術館

JR蒲田から川崎、登戸と乗り換えてbusで川崎市の岡本太郎美術館(公式)を訪ねた。

美術館は生田緑地(公式)内にあり、ここには日本民家園やかわさき宙(そら)と緑の科学館などがあって、”川崎国”で有名な場所とは思えない、「川崎にもこんな所があったのか」と地元の主婦から言葉が出るぐらい文化的な場所で、子供や老人が多く訪れていた。

HYDLIDEか何かで見たような彫刻の向かいにある入口から中へ入ると、岡本太郎の作品だけでなく、その様々な活動、またFrance時代に属したAbstraction-Créationの作品(Google Image)が多数展示してあり、今のdemosceneに通じる作風で面白い。

岡本太郎は自ら大衆へ飛び込んでいった人なので一種の変人として軽く見られる向きもあるが、漫画家だった父の一平と母親かの子の英才教育、France時代の民族学の学究、芸術の探求など天才が相当深い所から積み上げ続けてあれだけのことをしており、単なる変わり者の前衛ではない。戦後日本が未来に見た明るい姿もその多くは岡本太郎に負っていた所が大きいのだ。

この美術館はかなりの場所を取って新進の前衛芸術家のための賞を主催していて、絨毯で外装した霊柩車などを展示している。前衛芸術というのは一発芸みたいなもので当たり外れが多いが、なかなか面白いものが多かった。

◇帰路

帰りに登戸駅の一つ手前宿河原で、誰かが警報機を押したらしく、安全確認のために二十分近く遅れが出てplatformに人が溢れた。次から次へ電車が来ることを前提に人が来るから、すぐあふれるね。


関連記事

No Comments »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URL

Leave a comment


sand-storm.net