SAND STORM

朝ぼらけ

2015年4月4日

[旅行記] 牛久 弐(東林寺)– 平成二十七年四月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 10:30

◇東林寺

桜が満開で大勢が訪れている牛久観光あやめ園脇の稲荷川にかかる橋を渡って対岸の東林寺城を目指していく。自然な水辺というのはまことによいものだ。

東西を川に挟まれた台地南端の急な坂を駆け上がると、畑に出た。どこが城なのかと思って、作業していた年寄りに話を聞くと、ここら一体がすべてそうだと云う。端の方に見える藪は基本的に周縁を防御する土塁で、昔は南端の方にもっと台地が伸びていたのだが、田地造成のために削られてしまったらしい。

牛久沼自体もかつてはもっと広大だったのだが、田地造成のために堤防などでかなり干拓されていて(例えば、西にある足高城周辺の機械的な区割りの田地はすべて干拓で、元はすべて牛久沼だった)、果てはすべて埋め立てて消滅させる計画すらあったという。そんな馬鹿げたmonocultureがギリギリの所で止められ、こういった場所が残ったのは幸運としか言いようがない。

野生の兎が跳ねる姿を見ながら奥に行くと、可愛げな仏像がこちらに一基だけ据えてある。この曲輪から寺の方に抜ける道はわかりづらいが畑の合間を縫って左の奥の方に抜け道があり、自転車で行くこともできる。

光の差す方に抜けると、一面の墓石が谷を下の方に向かって並び、満開の桜が遠くに咲いている。

ここは本来城と台地の連続性をなくすために、堀切として掘られた谷だったのだが、開発されて墓地になったという。実際、最上部裏手の藪の中にはかなり深い堀がはっきりと残っていて、台地北方にはさらに二本堀切がある。

東林寺城 余湖
牛久城・東林寺城・泊崎城・足高城 | 北緯36度付近の中世城郭

桜が綺麗に咲き、墓地とは思えない晴れやかで、かつ静寂な雰囲気の場だ。熱心な仏教徒でも何でもなく、自然回帰願望が強い私でもこのような墓地であれば入りたいものだという気にさせられる。

元は削られた台地南端にあった五輪塔が移設してあるが、これほど美しい形をしたものはそうない(説明板)。

石で綺麗な墓ができるようになるのは江戸時代になってからで、それ以前は庶民は土に埋められるだけ、後に残るようなものをつくるのは地元の領主であるとか、ごく一部の坊さんであるとか例外的な存在だった(石垣すら普及しておらず、寺にしか使われていなかったのが、戦国時代に城に転用され、織豊政権が全国展開、それが江戸時代に民間にまで降りた)。南北朝時代から室町時代によく見られる五輪塔も、こんな綺麗なものは滅多となく、なんとなくそれっぽい形をした石が雑然と積み重ねられているものが多い。

お墓の歴史 鎌倉・室町時代/五輪塔は真言宗開祖「空海」によって考え出された墓塔/金光泰觀墓相研究所

お堂のある下まで降りると、どこも綺麗に整えられており、

参道には石灯籠が並び、石門を入って直ぐには両側に地蔵が立っている。

この寺は無住であるという。日本の寺というのは家族が住み、私有財産として相続される俗の塊のような場になっている(私有財産として寺を相続した家系が仕事で仏僧のcosplayをしているだけ、という場合もままある)。所がこの寺は、無住のためにそういった俗気が完全に取り除かれ、宗教者・信者の求める理想の姿として作り上げられ、保持されているのだ。

心の深い所に落ち着きを得る、稀に見る寺だった。


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