SAND STORM

朝ぼらけ

2015年4月4日

[旅行記] 牛久 参(岡見城) – 平成二十七年四月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 12:10

◇岡見城

途中、岡見城址入口という石柱があったので、ついでに寄ることにした。

石柱以外に案内はなく、遠景からそれらしい山は見当たるもののどこから入ればよいのかまるでわからない。とりあえず台地の上に登ったがまだわからないので畑で作業している媼(おうな。老婆)に尋ねてみた。幸い媼は嫁入りで他所の土地に嫁すことの多い戦前生まれに珍しい此処の出身で、色々話してくれた。何でも、上の石碑は最近関係者により建てられたもので、子供の頃は城址に井戸やら何やらがあって、そこを尋ねてお参りしている人がいた。さすがに戦時中はお参りする人もいなかった・・・ウンヌン。話が軽く七十年前や、さらに媼の祖父母といった所にまで及ぶので注意して聞かねばならない。

老婆に言われた通り、高圧鉄塔の下を森に向かって進むと、岡見城はあった。雑木林のままといったようなことを言っていたが、子孫の手によるのだろう、主郭は綺麗に整備されている。

低い丘城とは言え、端の方は急である。

時刻は十六時を回り、木洩れ日が差していた。

主郭から後背の台地の方へはかなり高い土塀と堀切に隔てられて二の曲輪か三の曲輪が続いており、そこに小さな祠があった。おそらく石碑が建てられる前に参る人がいたのはこの祠であろう。この城は攻められて落城しているので、鎮魂の意味があると思われる。

しばし城跡をうろついた後、森から出て入り口へ戻る。

次の目的地に向かう途中、ピンとくるものがある神社を見つけたので参拝したら、岡見八坂神社(表歴)という、まさにあの城の岡見一族が勧請したものであった。岡見氏は南朝方で長く戦った小田氏の派生支族で、武家といっても南朝方はまた神道寄りの独特の深みがある。それは半ば伝説と神話の中に足を踏み込んだ敗残の深みであって、これは足利以降の武士にはない。

さて、城址側に住む老婆によると、好き好んで藪山の中に入るようなのは野暮であり、牛久大仏へ参るのはちょっと粋らしい。大仏へ行ってみることにする。


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