SAND STORM

朝ぼらけ

2015年5月14日

[旅行記] 千葉 参 (千葉城) – 平成二十七年五月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 13:27

◇千葉と千葉城

千葉中央駅で下り、県庁やその周辺の報道機関など千葉中心部を横目にしながら千葉城とも呼ばれる猪鼻城(亥鼻城)へ向かう。monorailの終端駅があるおかげで、県庁周辺は随分未来的に見える。

今の千葉県というのは千葉氏という武家が大治元年(1126)六月にこの地を領地とし、亥鼻台に館を構えていたことから名付けられた。千葉城と呼ばれるのは、多分千葉氏が館裏の山城も造成して使ったのだろうという想像に基づく(南北朝時代になるまでは館が中心で山に城塞をつくることはほとんどなかった)。つまり、あやふやであるが、県名の由来はそういった大したことのないものから付けたのが多い。

公園化された城跡へ登る途中に神明社というのがあり、奥には小さな社、脇には「宇宙大霊精神守」という、これ以上ないというものを祭った碑があった。せっかくなので宇宙的な願いかけておく。

上の本丸広場に登ると、いきなり大きな城が違和感とともに目に飛び込んでくる。ここは中が千葉市立郷土博物館なのだが、連休明けにも関わらず代休で休館していた。公務員は、休みだけはきっちり取るな。

周囲には妙な八百五十年記念だのはあるものの説明板も何もなく、肝心の千葉氏を紹介した博物館が休館なので近くの茶屋の店主に伺った所、遠くから来たのであればということで話を聞かせてもらった。”城”が立派に見えるのは手を回して小田原城の図面を手に入れたからで、戦国時代にも江戸時代にもこんな城がこの場所にあった事実はなく、あれは鉄筋混凝土(コンクリート)製の模擬天守(石垣)である。城跡で残っているのは後付の石垣に囲まれた土塁ぐらいらしい。

そんな所だろうと思っていたが、この場で他に訪ねる所もない、近くに店主お勧めの七天王塚というのがあるので行ってみることにする。

◇七天王塚と千葉大学医学部

しかし、店主に貰った地図というのが、曖昧というか雑というか、知っている者からすれば「そんなもの近くに行けばすぐわかる」という書き方なのだが、知らない者からすると地図の先入観で探してしまい逆に実体を見失ってしまう。かなり行き過ぎてから戻ってくると、道端に二つの塚がまずあり(説明板)、残りは千葉大学医学部の敷地内にあるようだ(塚の点在地図)。

当日はある程度山に踏み込むことを予想して、上は迷彩のfield jacket、下はdigital camouflage pantsという上下軍服の出で立ちで、加えて喉を傷めていた為にmaskをしていたので大学内をうろつくと訊問される可能性があるとも思ったが、ままよと飛び込む。

中はまさに医学部で白衣を着た人などが闊歩していた。その中にこうして塚が幾つもあり、今でも祀られているという訳だ。

旧帝国大学・官立大学などの古い大学には、古い建物が残ってそのまま使われていることがままあるが、ここも主要な建物は古く、それが塚と周縁の緑と相まって、今時の大学らしくない古く濃い雰囲気を醸し出している。建物の入り口から中を覗くと、軽く五十年は時代をさかのぼった気分になる。他にも以前は何が建っていたのか、崖につき出した廃墟地味た跡地などもあった。

医学部看護学部含めたここら一帯が城だったというが、大学を出て山を下っていく途中に振り返ると、山と谷が入り組んだ構造になっているのがよくわかる(航空写真)。


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