SAND STORM

朝ぼらけ

2015年7月13日

[旅行記] 国吉(万喜城) – 平成二十七年六月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 18:59

◇いすみ鉄道

(時間が前後して大多喜に着く前の話し)

中野駅で小湊鉄道は終わり、いすみ鉄道に乗り換える。小規模な私鉄は運賃が高めだが、房総横断記念乗車券というのがあると、片道ならどこで乗り降りしても1700円で済むのでそれにした。

小湊鉄道というのは、上のような小さな駅でも古風を守っているが、いすみ鉄道は多少現代色が強い。

◇国吉駅

大多喜から三駅先の国吉駅に着く。駅前にTaxiの運ちゃんの休憩所があるのだが、年季の入った看板というか、記載されている商店のほとんどはもう営業してはいまい。

貸自転車があり、無料の代わりに時間制限が厳しく午後四時まで(多少融通は効かしてくれる)。それに乗って夷隅町の旧市街を抜け万喜城を目指した。

夷隅川を渡るとすぐ万喜城が見えてくる。山の左の方が登り口で、山全体が公園として昔から開発されており、新らしい案内図だけでなく、古い案内図などもあった。

登城路は一車線あるかないか程度の混凝土の道なのだが、しばらく上がると数軒家があり、急坂になる手前に駐車場とかなりきっちりとした便所がある。

頂上に建っているのは、天守閣風の外見をした展望台で、上の方だけ天守閣風。これはこれでさっぱりしてていい。

石碑によると明治時代に近隣住民の意図により公園化されたのが最初らしい。城跡公園として百年以上の歴史があることになる。

万喜城というのは戦国時代に土岐氏が寄っていた城で、北条氏方で里見氏などに度々攻められるもすべて撃退し、最終的には北条氏が潰された後に、徳川の本多忠勝に攻められて落城した。この土岐氏は美濃土岐氏の親戚で斎藤道三に逐われた頼芸(よりなり)が身を寄せたとか、神子上典膳が仕えて活躍した逸話などもある。

展望台に登ると右に来た時に渡った橋、遥か先の左上に駅が見える。

双眼鏡が二基あるのだが、内一基は錆のためか折れて中に転がっていた。登る時、何軒もあった家の半分ほどは廃墟化していたが、おそらく整備されたのは平成の始めぐらいが最後で、この土地も過疎化から逃れる術はないのだろう。

城にはなぜか土俵のある広場や遊具なども見える。すべてが公園化されている訳ではなく、土俵裏の森になっている高い部分に入ると山城が堪能できる。

ここで大多喜城で買った鶯の笛というのを吹いてみたが中々巧く吹けないものだ。単純なようで奥が深い。

ゆっくりしたい所だが、すでに返却時間まで三十分を切っていたので、城跡を探索する暇もなく急いで降りた。しかし、土岐氏の墓にだけは参っておきたいと思い、山塊の南端へ向かう。

海雄寺の奥の方に進むと本丸にもあった「小鳥の道」の看板が見え、すぐ奥に墓石の一群がある。これは万木土岐家代々の墓で、綺麗に整備されているのは元より、説明などがここまで充実しているものは初めてだ。来た甲斐があった。

手前にある海雄寺の寝釈迦は地元民の意志で造られたものという。寺には万木土岐氏の印があり、おそらくは菩提寺であったのであろうが、無住となっている。

国吉駅は土産物屋と貸自転車含めておばちゃんが一人で管理しており、四時までに返却ということで急いだが、それを過ぎて駅に来た観光客に対応してまた店を開けたりして、柔軟に対応していた。いすみ鉄道が私鉄だからできることなのだろうが、こういった融通の効く運営は良い。JRの地方路線もこういった柔軟な運用ができれば、もっと活きる道があると思うのだが。


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