◇長福寿寺
transit bus(路線バス)で長南へ向かい、さぁ城を探索するかと思ったら、三途川という仏教臭い川の向こうに妙な寺が見える。門まで行くと、随分昔からある天台宗の古刹らしいが、音楽が流れたりしていて妙な感じだ。
お花畑を横目に見つつ本堂まで進むと巨大な二匹の象に出迎えられる。
ここは脇に人形供養の建物があったりと、女性が来やすいようにさまざまな施設や仕掛けをしている寺である。大乗仏教の真髄を見る思いがした。
◇庁南城
寺のすぐ南は長南の商店街(というより旧街道)なのだが、そこの東側山塊が庁南城になる(電子国土Web – 長南)。この城の特徴は谷戸式という構築にあり、通常城というのは山の上を削って造るか(山城)、平地に堀を張り巡らして造る(平城)かするものだが、山と言っても比高50mほどしかなく削っても十分な平地を造成できないために、低い山を防御壁として加工し、その間の谷の部分を曲輪とした様式になる。
その曲輪の一部に日蓮宗の寺院本久寺がある。墓碑を見るに江戸時代に入ってすぐから始まっているから、長南武田氏が追放された後に入って、その城跡を使って建立したらしい。
寺は城跡の高低を活かした巧みな配置で、その中の祖師堂で行われている祭祀の様子が気になった。日蓮というのは、もともと密教に学んだから日蓮宗ではこういう祭儀も行われるのだろうか。
墓の裏から山に突入する。竹藪でかつ、基本すべて城塞であるために、削平地と山を残して切り立てた土塁(切岸)が壁と成って立ちはだかるという構造。
一度尾根まで上がったのだが、両側が切り立てられた他で見たことのない構築でその上を西へ抜けて行くと、鳥居の下に出た。
ここは太鼓の森という、緊急時に太鼓を鳴らした場所で、上には神社がある。ひたすら蚊が多い。
神社の石碑脇から裏手に登るとさらに城跡があり、そこに突入すると、凄まじい竹藪、それを突破して斜面を下ると、弁天池に出た。
池の堤で土まみれになった靴などを脱いで綺麗にする。蚊は日差しが強く当たっている場所には出てこない。谷戸式城郭では、二の丸・三の丸などの城の主要部分はこの谷間の平地になる。ここは車も通らず気持ちがいい谷だ。
◇長南市街
一旦長南三叉まで戻って、旧街道を北から南へ散策することにした。
ナベヤという服屋がいい味を出している。
ここは駅のある牛久より残存率は少なく、店はポツポツ残っている程度。五十年ほど前までは藁葺の家が立ち並ぶ立派な宿場町だったようだ。
◇長南郷土資料館
南の方まで2kmほど歩くと小湊バスの長南営業所に出た。ここの裏が役場で、その横に公民館と長南郷土資料館がある。
資料館は、公民館の受付で頼んで開けてもらうという式。武田氏など中世~戦国時代の資料を期待したがそちらはまったくなく、展示は郷土の民俗資料が中心だった。ここが面白いのは近代化後の琺瑯(ホーロー)看板を収集して飾っている所。
この手の民俗資料館は必ず近代化後の遺産、昭和後期ぐらいまでのものを収集して飾るべき。断然親しみと面白みが増す。
凄いと思ったのが凧の展示。現代色々奇矯な作品を作っていても、その強さはこういった前近代のものに及んでいない。こういう凧が土産として売っていれば高くても売れると思うのだが。
しばらく公民館で本を読んで過ごす。一本逃すと三時間はないので早めに牛久へ戻ることにした。