SAND STORM

朝ぼらけ

2015年8月18日

[旅行記] 川崎 肆(鉄道) – 平成二十七年七月

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◇川崎駅

南武線から川崎で下りると、何か建設機械が入り込んで工事をしている。横から見ると凄い大きさの装軌車両で、土木の工事現場で使われる中型重機が小さく見えるほどだ。

川崎の交通上最大の問題はJR川崎駅と京急川崎駅が200mぐらい離れてしまっていることで(おかげで移動中に色々川崎らしいものを見ることになる。)、前から不思議だったのだが、これは京急が国債標準軌(1,435 mm)なのに対し、JRが国鉄時代から狭軌(1,067mm)のままで線路の幅が違うからだった。京急というと爆走で知られるが、それもJRの狭軌より40cmも広い標準軌だから問題ない訳だ。逆にJRでは一歩間違えると福知山脱線の様な悲惨な事故を引き起こしやすい。

JR福知山線脱線事故と京浜急行!!| 鉄道の箱

神奈川臨海鉄道株式会社鉄道路線図より

京急大師線やJR南武線だけでなく川崎には様々な鉄路が走っている。臨海工業地帯を走る鶴見線とそれから派生する幾多の支線、南武線は川崎に向かうだけでなく尻手から派生して南進し浜川崎で鶴見線と重なって川崎貨物駅に抜けている。貨物専用で旅客のないその川崎貨物駅からは神奈川臨海鉄道がこれも幾多の貨物専用線を伸ばしており、川崎は隠れた鉄道王国である。よく見ると貨物駅から羽田方面には既に線路があるのだが旅客便も駅もないので残念ながらJRで空港に行くことは出来ない。

南武線を羽田空港へ直結するルートを!

羽田新幹線の他に、JR東日本の既設線を活かして非常に効果的な羽田空港アクセスをもう1つ作れる。南武線ルートである。

南武線・南武支線・東海道貨物支線を経由して、立川から川崎貨物まで線路が繋がっている。羽田空港まで目と鼻の先だ。

南武線は、立川にて中央線・青梅線、分倍河原にて京王線、府中本町にて武蔵野線、稲田堤にて京王相模原線、登戸にて小田急線、武蔵溝ノ口にて田園都市線、武蔵小杉にて東横線・目黒線・横須賀線・湘南新宿ラインと、多くの路線と接続する。

そして、各路線の沿線には多数の「住みたい街」が広がっており、南武線ルートの利便性が高まると、川崎・横浜の北部と東京の西部から羽田空港へのアクセスが大幅に改善される。さらに、羽田空港に限らず各方面との行き来が便利になる。

【沿線革命021】 羽田空港への南武線の乗り入れで500万人近くが便利に 阿部等(交通コンサルタント)

そういう状況で、五輪を利用した北からの空港直結新線計画(羽田アクセス総取りか、JR新線3ルートの全貌|日経BP社 ケンプラッツ)だけでなく、既に線路のある南からもこういう計画がでてくる訳だ。

人口減少社会で開通するかどうか疑問の声もあるが、実現性はともかく、こういう「あったらいいな」の妄想をするのは鉄道の方が面白い。

◇財閥銀行

関東の鉄道開発と言えば、昔PC98で斎藤由多加(『The Tower』や『シーマン』の作者)が創った『財閥銀行 帝都野望篇』というgameがあったのを思い出す。

明治三年から二十世紀の終わりまでの百年余りを財閥一家の当主として不動産や店舗建設、鉄道経営を行って、関東大震災や戦争、戦後の泡沫経済を越えていかに発展させられるかというもの。

基本的には経営simulationなのだが、展開はすべて歴史に沿った決め打ちで、特に鉄道の発展と密接に絡むために、近代関東の発展史という余り扱われない歴史を学ぶのに向いた内容になっている。

川崎は日本最初の鉄道路線であるAD1872の新橋~横浜間開通の時から駅が設けられ、戦前は南武鉄道や鶴見臨港鉄道など私鉄が色々あったから、今あれほど様々な路線があるのも納得だ。

 1944年4月1日に南武鉄道は国有化されて南武線となりました。青梅電気鉄道、奥多摩電気鉄道も同じ日に国有化されました。南武鉄道の買収価額は2744万3963円、支払いは年利3分5厘の利付き戦時公債によりました。会社の解散は認められず、線路以外に所有するわずかな土地を管理する会社となりました。本社の事務職員は日本鋼管や川崎運送に転職あっせんが行われ、川崎市が計画していた市営電車の運用に採用される人もありました。駅の職員や運転士、車掌などの乗務員、すなわち現場で働いていた職員は、国鉄に引き継がれることになりました。4月1日、川崎駅の西口に合った南武鉄道の本社で、南武鉄道側と国鉄側とが引継ぎ式を行いました。この日から南武鉄道は南武線に変わりました。戦時輸送に対応するためという理由でいくつかの駅の廃止が行われ、グラウンド前駅と武蔵小杉駅が統合されるというケースも生まれました。久地梅林という駅名は久地と改められ、日本ヒューム管前も津田山と改称されました。「私鉄らしさ」はこのようにして消されていきました。

内田 健太郎 『南武線の歴史について ~南武線建設の目的とその後の変化について~』

財閥銀行ではそもそも横浜~川崎辺りの表現は適当なのだが、時代的にも戦争が終わる頃からかなり雑なgameになってしまっているのでそこが惜しかった。そもそも「帝都野望篇」で戦後を描くこと自体に無理があったので、財閥銀行の後を継ぐ関東の開発simulatorが過去を題材にしたものであれ、未来を題材にしたものであれ出て欲しいものだ。

[Link]

【沿線革命033】 便利な蒲蒲線を安く早く実現するアッと驚く方策

以前蒲田に行った時も京急蒲田とJR蒲田の似たような離れっぷりが気になったが、蒲蒲線を巡る妄想も熱い。


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