SAND STORM

朝ぼらけ

2015年9月9日

[旅行記] 造海 陸(三柱神社) – 平成二十七年七月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 02:19

◇城山下手を散歩

造海での最終日、朝から移動するつもりだったのだが、色々気に入ったので半日ぐらいは遊んでから出立することにした。

昨日と同じように燈籠坂大師下の切通を抜けると、切通は一つでなく他に小さなもの小さな隧道もあり、それを通って城山隧道側へ下りる。

城山の麓を抜けていくと、昔は旅館だったのだろうという建物が数軒あった。ここら辺りも昭和の末頃までは、親が団塊で子供が団塊Jr.という一番人口が多い年齢帯の組み合せが泊まりに来て繁盛したのだろう。

海から遠いが標高3.5mらしい。そこを抜けると延命寺が見えてくる

延命寺は本堂があるだけで無住だが、堂内は儀式用に整えられ綺麗に管理されている。

本堂裏には岩を穿った仏やら色々あって、やはりここらは岩の加工とは切り離せない。

◇三柱神社

寺から左手を見ると、そのまま登り降りせずに三柱神社の参道に行くことができるようなので行ってみる。

狛犬と小さい狛犬がお出迎え。

拝殿の正面はなんともいえない重みがある。

脇に大きな錨が置いてあるのがいかにも海の神社らしい。

横の岩盤を穿って祠にしているが、古さから言えばここが一番なのだろう。

そのまま裏へ周ると、社庫が土砂崩れで半壊してしまっている。ちょうど去年工事して綺麗にした所だが、政教分離で庫の方は寄付で修繕しなければならない。

拝殿が埃をかぶっているのでおかしいと思ったが、崩落のせいで正面からは立入禁止になっていて、下に仮の拝殿が設けられていた。

拝殿に戻り上を見ると、象の彫り物も珍しいが、祀られているのは牛頭天王らしい。牛頭天王は神仏習合で広まった信仰だが、神仏分離令で否定されて素盞鳴(スサノヲ)尊に置き換えられたという。しかし、そもそも牛頭天王以前から祀る神はいただろうにそれはどうなっているのだろうか。

牛頭天王信仰 | 箕面観光ボランティアガイド

余談だが、神仏分離令を批難する人が多いが、そもそも日本仏教自体が当時の国家、朝廷が持ち込んで勝手に国教化して広めたものだから(例えば鎌倉時代まで僧侶は基本的に官僧)、後で作為的に変造されたとしても特におかしい事ではない。

問題は、それが原理的に筋が通っているか、目的が何か、既存文化を過度に破壊していないかといったことだろう。

※明治政府が行ったのは神仏分離令で、廃仏毀釈はその結果起きた地方官や民間団体による意図しない破壊運動だったので訂正した。江戸時代、仏教寺院は戸籍管理など行政の一部として特権を与えられたため、腐敗と堕落が進み、神道系の思想家はもちろん庶民から広く疎まれていた。

たまたま海の家に神主家の子孫が遊びに来ていたので聞いたのだが、もともとこの山一帯は三柱神社の神領であり、神主家の管轄地だったという。しかし、戦前、といっても昭和から大正あたりの代の神主が地域一帯で管理した方がいいだろうと山全体を部落に寄付してしまった。

詳しい経緯はよくわからないが、敗戦後の混乱や近代化による共同体意識の解体によって、寄付地はバラバラの私有地になり、利用不可能な山塊部分はともかく周縁や隣接地が売り飛ばされて別荘やらgolf場やらが立ち並ぶという結果になってしまっている。

特に海の家からすぐの所に別荘があるが、ここは元々幕末に築かれた台場(品川のお台場などと同じ)であったのを破壊したのだという。元々は海側にもっと出張っていたというから、台場としての形すら残っていない。

史跡指定されなかったのも悔やまれるが、幾らなんでも観光地の海水浴場に隣接した場所ぐらいは公園化するなり何なりして有効活用できなかったのだろうか。奥の方にも別荘にしようと土地を弄った跡があるが、実際に別荘化されたのは破壊された場所だけである。

神主家は元「地主」と呼ばれていたが、そのまま管理していれば、明らかに現在よりマシな状態であっただろう。

◇富浦へ

海の家でチャーシュー麺を食べて、造海を後にする。造海荘の主人は竹岡でラーメン屋をやっているとか言っていたが、あの有名な竹岡ラーメンのことなのだろうか?

竹岡駅まで来ると、山で隔たれてすでに造海の方は見えない。次の目標白浜へ向かう途中、駅に近い山城に寄ることにした。富浦へ向かう。


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