SAND STORM

朝ぼらけ

2015年10月28日

日誌 – 平成二十七年十月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 00:59

◇平沢官衙遺跡

芸術家の変な作品はもっと場所を考えて設置したらどうか。

復元した古代遺跡の真ん前でなく、こういった看板の側に設置すればいいのに。

◇やめられないとまらない

明日朝には出なければならないのに、ふと出かけた先に山城があると登らずにはいられない。

十五時過ぎて登り始めたせいで、山系沿いに三つ訪れると帰りには真っ暗になっていた。足は久々に天狗状態で石段をぴょんぴょん上がっていく。動きすぎて疲れているのに興奮して眠れない。

◇左翼

左翼の本質は、狭い範囲で人間を感情的に引っ掛ける釣針の構築にある。彼らの語る言葉、煽る感情は、彼らが本気だと思い込み、正しいと感じれば感じるほど詐欺と破壊にしか繋がらない。

強力で狭い範囲に適合する釣針は、それに引っかかった人間に容易に軸を与え、それを中心とした世界構築を行わせる。彼らは闇の中で偏った方向だけを照らす灯りを与えられたのだ。

そうして下層には釣針に引っ掛けられる大衆がいるが、上の方には絶えず釣針をつくって引っ掛けようとしている人間がいる。France革命の昔から、今のLiberal([リベラル] 古典的でなく社会自由主義)まで、それは変わらない。

だから左翼は興行と相性がいい。本来興行や作品の中だけで済ますべきものを、革命だの、社会革新だの、敵対勢力の攻撃だのに全力で使うからだ。やっていることは同じで適用範囲が違うのである。

左翼が謳う「政治的正しさ(Political correctness)」は大衆をhackし、狭い釣針原理の元に世の中を破壊的に変更する為の手段に過ぎず、左翼的なものを克服した後でないと正しい判断はできないのである。

◇公園野宿

先月宿の門限に間に合わなかったのと、独りで静かに過ごしたかったので公園で野宿したが、九月の末ですら、零時を過ぎてからの気温の低下は骨身に堪えた。特に丑三つ時に入るぐらいから、昼間の熱の蓄積が完全に抜けきって本当に寒くなる。

東京の公園はhomeless対策兼ねた手摺があってbenchの上に寝そべることができないから寝ることもできず、結局ずっと起きて過ごす羽目になり、その無理が翌々日から出て、銚子方面へ遠征するのに苦労した。

◇Twitter

Twitterって追っかける話題ごとに別accountつくるぐらいでないと使い物にならないと思うんだけどどうなんだろね。自分が止めた理由の一つが、他人をfollowしてもnoise塗れの混ざりたくったものが次々流れてくるだけで、noise除去して情報取るのが面倒で、自分が何か喋っても同じことにしかならないというのがあった。あの2chですら、取り扱う話題が絞られている分twitterよりマシだよ。twitterは無知な人が無茶苦茶な事を放言しまくっているという点でも2chより酷い。細切れな上に発作的に反射して動的に垂れ流すから、見るに堪えない。後、hashtagとかretweet情報を文字制限内に含めるから、一層言うべきことも言えなくなって窮屈。

まぁ、敢えてやるとしたら考えて絞ったことを流すだけにするね。

◇千年に一度

世の中、極稀に何をおいても救われねばならぬ者というのは存在するものだ。
そういうものこそ千年に一度というべきであろう?

◇旅

俺は遊ぶために遠くに出かけたりはしない
生まれてこの方そんなことをしたことはない

◇排水口

愚か者の土地ではあらゆることを保つのが難しい。
獣のほうがまだ道理で働き、虫の方が立派に生を全うし、草木の方が互いに生きることを知っている。
自らを地の底に飲み込む排水口の穴を開けながら淀んだ水をいつまでも晒していれば、そこから幾らの災いが涌いてくると思っているのだ?

◇自殺

人を自ら死に追い込むものに、不遇、不能、道理の三つがある。

不能は動物的なもので、不具や老衰へ近づくことにより世の中に対抗できなくなることから無意識的に湧き起こる。
不遇は外的に押し寄せてくる状況・環境に恵まれないことを意識することにより起こる。
道理は人が思うあるべき姿への想念であり、意識そのものである。

不能はどうしようもないもので、これに因って死ぬことは自然である。安らぎといってよい。
不遇は生きるにせよ死ぬにせよ苦痛そのもの。意識的に克服するだけでも相当な経験が必要になる。
道理はもっとも変わりやすいものである筈だが、もっとも変わらない。本能のような装置でもなく、意識のもっと奥にあるのであろう。

◇整体

試してみるかと思ったが、かのんちゃんと話が合っていい。
お互い面を見て話すといったものでなく、ああいう状態でダラダラ話すというのがいいのかもしれない。
しかし、客引きから施術、お見送りまで立ちっぱなしで大変だな。

◇写真のみ

◇生を賭す

生き死にという極限状態というより、生が懸かっているかどうかということ。
様々な欲が散漫に機能する状態から切り捨てや優先順位の強制的な組み換えはそれでなければ起きない。
古脳から内蔵まで含めた変化、特に内蔵。内臓が古脳にもたらす影響は甚だしく大きい。

◇変化

人間は、生きるか死ぬかの、少なくともそれに近い状況で、己の一身に全責任が降りかかってくる状態でないと本当には変化しない。

そうでない変化は劣化である。

◇老人への虐待、老人による虐待

そしてもう1つは財源の問題だ。スウェーデンでは、介護の財源はすべて税金でまかなわれている。老人になれば誰でも少ない自己負担(上限が月1780クローナ=約2万5600円)で、介護サービスを受ける資格がある。

ただし、いくら税率の高い高負担国家でも、老人の面倒をすべて税金で見るのは限界がある。施設で24時間介護を行うよりも、在宅で何度も介護士を派遣するほうが結局はコスト的に安く上がるため、在宅介護が推奨されるのだ。

だが、そのことが結果として寝たきり老人の発生を防いでいる。寝たきりになってしまえば在宅介護は不可能になるからだ。

従って、介護士たちはできるだけ高齢者が自立した生活を送り、自分の口で食事をできるようにサポートする。国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授が語る。

「スウェーデンを始めとした北欧諸国では、自分の口で食事をできなくなった高齢者は、徹底的に嚥下訓練が行われますが、それでも難しいときには無理な食事介助や水分補給を行わず、自然な形で看取ることが一般的です。

それが人間らしい死の迎え方だと考えられていて、胃に直接栄養を送る胃ろうなどで延々と生きながらえさせることは、むしろ虐待だと見なされているのです」

スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか 幸福度世界1位「北欧の楽園」に学ぶ老いと死 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス

医者は介護・医療で利益を貪る利害関係者であり、こいつらが死に関する道徳に口を出すことは許されない。安楽死・尊厳死を含む基準や道徳策定に関わって良いのはそれを負担する側だけである。他人の金や労力でいつまでも生きたがる老人やそうして金を使わせて利益を貪る医療関係者に道徳を語る資格など無い。

私は一定以上の痴呆ないし寝たきりなど自立機能を喪失した老人は強制的に安楽死・尊厳死させるべきだと考えているが、それは自分の祖母がそうなった後に、十年も「老人ホーム」に隔離されて莫大な金をかけた無茶苦茶な医療行為を繰り返された挙句、何もわからなくなって死んだからだ。彼女は明らかに寿命の十年前に死ぬべきだったし、それ以後の不用な医療は一切受けるべきでなかった。

そもそも自立機能を失った老人は、存在するだけで世話する家族を虐待している。それが寿命と連動するならさっさと安楽死すべきである。少なくとも一切の公金は与えるべきではない。生きるなら自分の金と身体能力だけで生きればいい。

老人が持続不可能な社会保障を貪ることで、現役世代は奴隷として酷使虐待され、子供たちは受けるべき医療や保障を将来受けることは到底かなわず更なる重い負担に苦しみ、現役世代が重い負担で虐待されていなければ本来生まれて育つべき子供は中絶や家庭の形成を奪われることで虐殺されている。

これは利害関係者が道徳を歪め、弱い立場の将来世代、弱いどころか声を上げる事すら出来ない生まれてもいない世代に負担を押し付けて今の利益を貪った結果だ。こいつらは万死に値する。

◇廃墟激減

「とくに、いま、制度が目まぐるしく変わっているもののひとつが、『空き家』の取り扱いです」

ファイナンシャル・プランナーの横川由理氏はこう指摘する。

少子高齢化の進む現在、国内の空き家率は13.5%とされ、10軒に1軒以上が空き家になっている。

しかも、年間約6・4万戸が新たに空き家となっており、20年後には日本の空き家率は40%に達するという試算もある。

「古く耐震性の低い空き家は防災上も問題ですし、治安の観点からも不安視され、社会問題となっていますが、増加の一途をたどってきた一因は固定資産税の仕組みでした。

空き家であっても建物が建っていれば、土地を更地で所有しているよりも、固定資産税が6分の1に減免され、大幅に安くなるのです。

それが今年から制度が変更され、管理が悪く倒壊の恐れがあるなどと自治体が認定すると、この減免が受けられなくなりました」(横川氏)

使っていない家屋に改修費はかけられないからと放置すると、自治体に「特定空家等」と認定され、固定資産税が一気に6倍になる可能性もある。

役所はあえて教えないけど 申請すれば「もらえるお金」「戻ってくるお金」 税金を取り戻すチャンスはこんなに眠っている(一覧表付き) | 賢者の知恵 | 現代ビジネス

これまでなぜこんな廃墟がずっと放置されたままなのかといった建物がそこかしこにあったが、その多く消え去ることになる。良い面もあるが、廃墟というのは再開発で消し去られる街や土地の歴史を間近に体感できるものでもあった。

現実の場を薄っぺらな風景だけが支配すると、そこに居る人間の思考や感性の幅も同様に酷く薄っぺらなものになり、廃墟以上に荒れた空間になってしまう。

◇究極TIGER

最近量りに使っているgameはずっと究極TIGERだ。
人がほとんどいなくなった平日夜のTry Amusement Towerで、赤や黄の武器を使いながらどの程度動けるか、どこまで行けるかを試す。
周囲には他のgameの雑音とこのBGMだけが響き、世界中でただ一人孤立したような気分にひたる。HEYの様な人や雑踏が多い場所では駄目なのだ。単なるうら寂しさとも違う孤立できる場でなければならない。

そういえば、ナツゲーミュージアムにKONAMIのJuno Firstが実機で入っていたのには驚いた。改めてやるとやはり最高のShooterの一つで、隣のCentipedeも良い。

◇帰還

帰った。
長い旅に欠点があるとしたら、それは人を変えすぎることかもしれない。


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8 Comments »

  1. 連日の新宿。おそらく新宿は渋谷以上にわざわざ自分から行こうとはしない街だが、これも巡り合わせか。
    行事が済んだ後、歌舞伎町とその周辺の通りを歩き回ってから帰る。キャッチの取り締まりが厳しくなったせいでこれみよがしに取り付いてくることはないが、控えめに誘っては来る。黒人のあんちゃんはひとつっこいというか、そもそも欲得だけのAsianとは回路が違うのだろう。明日は高田馬場でMADMAXをみてから新大久保を通して北から接近して行事をこなすことにする。

    Comment by sajin — 2015年10月22日 @ 00:21

  2. MAD MAX2
    B級。北斗の拳。GAY。
    MAD MAX FURY ROAD
    暴力と生き残りの魯仲連

    新大久保を抜けて三連続の新宿彷徨
    帰りにモツ鍋を食べる
    新宿は高くつくね

    Comment by sajin — 2015年10月22日 @ 23:18

  3. 無能なMAXに意味はない。

    悪人。道徳の司祭たちのかまびすしい声々。巫女の道徳。

    Comment by sajin — 2015年10月23日 @ 07:52

  4. 人の好むところ避くべからず
    maidに学ぶ

    Comment by sajin — 2015年10月24日 @ 23:30

  5. 先月の土気で正面から道路に落としてヒビが入っていたZenfoneが筑波山口でbusを待つ際に柔軟していたら落として画面の1/3ぐらい反応しなくなった。SIM FREEだから次世代に買い換えるかと思って探したが結局買わず。真ん中もほとんど反応しないので認証に異常に苦労する。

    Comment by sajin — 2015年10月26日 @ 23:38

  6. 最終日、安さに釣られて試験を兼ねてHighway busで帰ることにしたので結局四回目の新宿。昨日の小田から筑波山麓まで半日歩いたのが祟ってあまりうろつく気がしない。よって映画館を物色してK’s Cinemaで『名も無き塀の中の王』を見る。刑務所に入った青年一歩手前の男が同じ所にいる父親やtherapistとぶつかり合いながら成長していく話。最後が急に終わるのを除けば心動かされる話だった。あそこまで第三者の助力を得ながら親子がぶつかり合っていけるのは理想的に過ぎるが、だからこそぶつかりあわなくなった父と子が大半の社会では価値がある。この映画館は他と違って認知症を扱ったものなど過度に説教臭くない社会派の映画を流していていい映画館だ。ただし建物の正面に張り付いた看板しかないので見つけるのにとても苦労した。平日とはいえきゃくがすくないのはそれも影響しているだろう。

    Comment by sajin — 2015年10月26日 @ 23:53

  7. その後、私は疲労と病魔と不能と先ほど見た映画に影響された苦悩と苦痛が渾然一体となって襲いかかってくる中、新大久保に迷い込んだりしつつ歌舞伎町の外縁を抜けて新宿西口方面へ出た。こちらはhomelessも多く、新品臭いbrand物の服に身を包んだ者ども、host、使う金のある企業人、こういった人種で占める東側とはかなり異なっている。結局苦悩が洗われたのは、聖なる子の情を感じ取ってからであった。

    Comment by sajin — 2015年10月27日 @ 00:10

  8. Highway busの欠点は、まず空調。大体車の空調がろくなものである可能性などまずありえないが、案の定maskつけっぱなしが常態となる。幸いなことに車輌設備は進化して、便所だけでなく、湯と自ら珈琲と茶を作って飲むことができるので喉の乾きなどは心配ない。もうひとつはあの椅子の形状で睡眠しなければならないことだろう。以前より改善されてはいるのだが、やはりアレで寝るのは無理がある。無理があるので、あらゆる体勢を試す。しかし、上手くは行かない。これで十時間近く乗り込むのだから暇潰しやら慣れと工夫やら相当な物が必要になる。価格も平日の事前予約を選ぶことで2/5と新幹線の半値以下で済むが、名古屋・大阪=東京間の異常な安値に比べると割高である。所要時間とそこから生まれる疲弊を考えても、大きな利便性を蒙ることができるのは大都市間だけだろう。

    Comment by sajin — 2015年10月27日 @ 06:18

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