SAND STORM

朝ぼらけ

2015年10月13日

[旅行記] 原宿・渋谷 – 平成二十七年十月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 03:22

◇原宿

最終日に一日余ったので何処へ行くかと思ったが、まだ行っていない原宿を通してみることにした。

歩行者天国の廃止から十五年以上が経過しており、今の表参道や代々木公園前はかなり交通量の多い場所だ。公園と明治神宮が一体なので、そちらへの徒歩客も多い。

駅前で上下軍服を着た若者がいたので何かと思ったが、これが今の原宿の流行りらしい。そういうことなら自分も山城突入に愛用している本物米軍digital camouflageの上下を着てくるんだった(あまりガチ過ぎるのは違うんだろうな)。

裏道を抜けて表参道から竹下通りへ入ってみる。

「I♥東京」「侍」「寿」だのといった、観光客でも着るのがためらわれる直球過ぎる土産物屋ペパーミントキャンディは、暖簾を見るとかなりの年季。

通りを進むと至るところCrêpe(クレープ)屋だらけで、蜂蜜と砂糖とbutterのむわっとした匂いが一面に立ち込める。個性のある場所だが、日本人外国人を問わずお上りさんが多く、溶けこむのは容易い。

◇東郷神社

その竹下通りの真ん中に場違いな東郷神社の幟があるので行ってみた。

日本海海戦の英雄、東郷平八郎を祀った神社のため、戦艦の弾丸があったり、

現代的な狛犬など竹下通りに適してはいないが合ってはいる。

隣接する東郷記念館は元帥の史料でも飾ってあるのかと思ったら、神社にかこつけて勝手に建てた結婚式場でしかなかった。

原宿に長居する気もないので、再び駅前まで抜けて、代々木体育館を脇に渋谷まで歩いて行く。

◇渋谷

渋谷も南北に広い街だ。職安などを見つつ、Tower Recordからさらに西南のlive houseが多い場所へ抜けていく。

結局、1990’sの末に原宿のホコテンを追い出された若者はこちらに流れたのか、それとも別の場所の発展の原動力となったのだろうか。

車社会とゴミに負けた原宿のホコ天『週刊金曜日』1998年7月10日(No.226)号

ASIA IDOL PARADE 2015を観覧。この催しは同時に四会場で前後半に分けて行われるもので、特定の推しがいる愛好者は次々会場を移っていくが、自分はどれということもなく色々見たいだけなので、同じ場所で観る。

12:25~12:40 亜利美里
さっぱり知らないが専用の客は付いている。
12:40~12:55 伊藤桃
空色デイズ。甘ロリ系で悪くはないが自分の曲はないのだろうか。
12:55~13:10 前田彩里
これも甘ロリ系。専用客は付いている。
13:10~13:25 大塚愛菜
この娘だったと思うが族服のあんちゃんが踊りまくり。
13:25~13:45 滝口成美
この娘は森高っぽいというか女王然とした感じで、他のidolにはまったくいないhiphopの格好した客が来るほど。自分も他の客と一緒に腕などを振ってみる。
13:45~14:05 小桃音まい
直前の滝口との落差が酷い、圧倒的な少女世界の表現。手の動きがすごく、真似するのに苦労する。
14:15~14:35 ぴゅあ娘
えびぞりや集団土下座をしまくる客の動きがすごく、他の客が参加できるものではない。演者の方はそこまででもないが、この応援部隊の動きは凄い。
14:35~14:55 ジュネス☆プリンセス
中央にvalley danceで踊る娘、五人中二人はhot pants。最初だけvisual系のslash metalなど大仰。
14:55~15:25 GALETTe
踊りが激しい。MAXみたいな感じ。このgroupはかなり長く歌っていて、三時間見続けたので疲れて帰るかと思ったが、最後のPOPめがけて客が集まってきているようなので、最後まで待つことにする。

15:25~15:50 POP(ピーオーピー)
POPは中学のtrucksuits(ジャージ)で出てきて色物なのかと思ったら、楽曲、stage performance、客との絡み、すべてmajorで通用するぐらい抜けたもので、次に来るのはコイツラではないかと思う。客止めの柵に登って至近距離に顔を近づけて平手打ちされるのを待つ客の反応も凄く、小桃音まい以降は見るだけだった自分も参加したくなって腕を振っていた。客が振りやすいようにとてもよく考えられた振り付け。

アイドル戦国時代というが、POP・小桃音まいを筆頭に個性の出し方や質が高く、前半を見ただけでもそれはまだまだ終わっていないとの印象を強く受けた。


[Link]

現在裏原宿と呼ばれている地域は本来の原宿の町の地域ですがそれに「裏」が付いたのは JR原宿駅を起点にして明治通りまでの竹下通り界隈を「表の」原宿とみなされていたためと思われます。

なかでも渋谷川をフタをしてその上に作られた道路 (通称渋谷キャットストリート:渋谷川暗渠あんきょ・遊歩道地域と車道歩道 地域がある)は裏原宿の中心的存在となっています。この渋谷川暗渠は1964年の夏季東京オリンピ ックの開催を前にオリンピック選手村のあった渋谷区を中心に住宅都市整備が急遽行われた際に当 時下水同然と化していた渋谷川にフタをする工事が行われ暗渠となりました。

蓋をしたには更にもっともな理由もあります。 渋谷エリアの近代化を世界に知らしめる為にトイレの汚物や汚水の汲み取りをする バキュームカーを渋谷の街に走らせたく無かったのです。 そのため昭和37年頃この地区は集中的に全家屋のトイレの水洗可を図りました。 それで下水道として使われていた渋谷川つまり臭い物に蓋をすることが必要になったのです。

裏原宿・渋谷川遊歩道(原宿キャットストリート)エリア:ショップマップ | 原宿竹下通信

原宿ホコ天から渋谷系への巻 - ジェイロック回顧主義 #6 | fuyu-showgun.net

裏原系が終わったのはいつなのか?トレンドの流れを俯瞰し検証する | ガジェット通信


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