SAND STORM

朝ぼらけ

2015年12月16日

[旅行記] 小机 壱 (小机城) – 平成二十七年十二月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 19:01

◇小机駅

新幹線を新横浜駅で降りて横浜線に乗り換え、一つ西の小机駅に行くと、1kmほど向こうに横浜国際総合競技場(日産スタジアム)が見える。駅舎は立派な割に閑散としているが、新横浜駅よりこの駅の方がいくらかstadiumに近いので、競技がある時などの分散入場に対応しているのだろう。

入信を問われながら線路沿いを歩いて行くと、小机城が見えてきた。

一帯は元々は農地だったのだろうが、土建やら何やらが入り込んで混沌とした領域になっている。

麓は密集した住宅地で奥に入り込んでいいのかという気になるが、案内板が立っているのでそこまで迷うことはない。ただし、城のある「小机城址市民の森」の入り口は本当に住宅の合間を進んだ先にある。

◇小机城

市民の森として公園化されているので、入り口には便所が設置してあった。ただし駐車場は無い。これは公園といってもあくまで私有地を地元の善意でそうしているからだろう。

竹林を登ると左右に空堀を配した土橋があるので、渡って本丸へ。本丸は、恐らく昔から地元の子供たちの遊び場として使われてきたのであろう、ちょっとした球技ができるぐらいの広さがある。

本丸から奥へ入るとこの城の姿が本格的に現れてくる。

北条氏の拠点城郭だけあって、土を削りだした5m~8mほどの空堀が取り巻いており、まるで迷路の様だ。見て回るだけでも土の芸術を実感できる。

奥から城門の方に戻る途中、お稲荷さんや小さな社が建っていた。

◇富士仙元

「富士仙元」の案内に従って一旦降りて少し離れた場所にある部分に向かった。この私物化された高速道路の下をくぐった奥だ。

左を覗くと鉄道と高速が交差する所には落書きが多く刻まれている。そこから急な階段を登ると畑に出た。こちらは城跡といっても私有地の趣が強い。

本丸方面との間には第三京浜高速道路が通っており、これがために史蹟としては分断されて厄介なことに、現代空間としては独特の陰気が漂う奇妙な場と化している。

畑に円錐状の塚があり、登り口には石板が倒れていた。頂上にあるのは富士仙元の碑である。

富士仙元というのは富士講という信仰の一部で、先年、古河歴史博物館に行った時富士講の企画展をやっていたので色々見たが、元々「浅間山(あさまやま)」に代表される火山信仰があり、その頂点として富士山信仰が千年以上前から神仏習合の修験道として行われていた。その流れが江戸時代になって富士講として爆発的に流行する。富士講の開祖である長谷川角行が富士を信仰の対象と定めた際、それを神格化したものが仙元大菩薩であるとか、「天地開闢(かいびゃく)・国土の柱たる仙元大日」といった仙元を冠する神仏習合の存在である。

仙元は浅間の漢読み「センゲン」から来ているようで、この手の通音に別の漢字を当てはめるのは、富士講から「不二孝」が派生した時にも行われている。

富士講|北口本宮冨士浅間神社
富士山資料 富士山の信仰 富士講について
富士仙元信仰 | 自然福智 獲得への道

今も冨士山は登山者が引きも切らず訪れているが、それは昔と違って富士講抜き、ないし潜在下に封じ込められた富士信仰という訳だ。

富士仙元の曲輪は途中から住宅として開発されていて、そちらに出ることもできるが、再び階段を降りて、元来た方へ。

住宅地を降りて行くと、車輪のたくさんついた籠を押している爺さんに会った。できたら話しかけてみたいと思ったのだが、旅行初日の慌ただしさとブツブツ独り言を言っていることから難しそうだと思っている内に、行き先を異にする。

すべてを前へ引きずる男と別れ、Nissan Stadiumへ。


関連記事

No Comments »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URL

Leave a comment


sand-storm.net