富浦の名所である海水浴場は西なのだが、自分の目的は山城の岡本城なので北の方に歩いて行く。
岡本城というのは元々在地の土豪岡本氏が築いた城なのだが、里見氏が関東の覇権を賭けた国府台合戦で北条氏に何度も負けて房総半島の奥深くまで攻め込まれたために、良港である富浦湾を見下ろすここは里見氏の直轄となり、戦国時代の末には当主里見義頼の居城となった。館山が開発されるまでは、ここが中核港湾都市だったのだ。
本来、城は湾まで伸びる尾根上に連続してあるのだが、国道127号を通すための切り通しで分断されている。その切通を過ぎてすぐ、光崎アリーナという屋内競技場?の建物の方に入る道があり、
枇杷組合共撰場という「果物のびわ」の選別場のすぐ先に隧道と城への登り口がある。
隧道の中はこんな具合。
◇岡本城
きつい坂を上まで登ると、石碑や説明板が立てられており、宗教的な場であることも窺わせる。
石碑の向こうは先程の切り通しの方で岩盤が露出していて、富浦湾と館山湾を隔てる大房岬がよく見えた。
ここで一句
「大房(たいぶさ)の岬のぞける富浦を 下に見て取る 岡本の城」
再び本丸の方に戻り、そこから東の方の城跡へ抜けていく。
途中は一面びわが植えられたびわ畑だ。
切り通し状に加工された道は異世界感が漂う。
二の丸に着くとここにも枇杷が植えられており、一昔前まで使われていたびわ運搬用のmonorail(モノレール)がまだしっかりと残っていた。
郭には石碑が二つあり、一つは明治四十四年に建てられた聖大権[現?]の石碑、もう一つは三十一年の「里見公遺愛[之?]□」と刻まれた石碑の裏には「以周囲三十坪保護地□禁永剪伐□□」とあるから、元々は里見氏関連の会が保護していたのだろうが、何時の時代にか枇杷農家に売り渡され、枇杷農家は昔は城跡を残したままmonorailで運搬していたが、近年自動車で乗り入れるようにしたため城跡が破壊されたということらしい。
ここは岩を穿った水溜めで有名なので、頂上部の二の丸左方向土塁から、尾根方向を探ったが、植物が生い茂っているだけでこちらではなかった。山奥に見えるが、山の下には内房線が通っている。
戻って、二の丸を破壊して通された作業用道路から下る。崩れた石垣らしきものがあり、元は虎口だったのだろうか。
池はつづら折りに降りる道のどこからから入るとあるらしいが見落としてしまった。左に置いてあるのは捕獲用の罠小屋。
しかし、枇杷だけでなく植生全般が日本というより、FarCryみたいな南国だ。
Greenhouse(ビニールハウス)の中も枇杷。
降りた所でどうせ誰も来ないので、道に寝転んで休む。荷物が預けられず担ぎまわったこともあるが、午前中、三柱神社を参拝し、昼まで泳いでいたこともあり、途中で山城をこなすというのは強行軍だった。
◇白浜へ
富浦駅までトボトボ歩いて戻り、再び内房線で館山へ。館山から南は鉄道が無いので、busに乗り換え白浜に向かう。
[Link]
岡本城 埋もれた古城 – 海岸からの眺めが多い。
城郭探訪 岡本城(南房総市富浦町豊岡) ★ ( 歴史 ) – ~未知なる城を求めて~城郭研究ノート – 縄張り図
[旅行記] 千葉 壱 (下総国府台) – 平成二十七年五月 – 国府台合戦の舞台となった場所を訪れた時の記録。