SAND STORM

朝ぼらけ

2016年6月20日

[旅行記] 白浜 弐(野島崎灯台) – 平成二十七年七月

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野島崎灯台前の広場には、万祝(まいわい)の大漁半纏を着た漁師たちの碑が建っている。

なぜ南房総が万祝発祥の地なの? | たてやまGENKIナビ


食堂が立ち並ぶ広場を奥の方に進むと、左に厳島神社への階段が、切り通しの向こうに灯台が見える。もう時間が遅く灯台は閉まっているので、右の方に抜けて海岸沿いを歩くことにした。

海が見えるところまで抜けると、トビウオの彫像が夕日に照らされている。

その脇には、三峯神社の碑と小さな鳥居があり、波で穿たれた岩に石の社が鎮座していた。

野島崎灯台の周囲は公園化してあり、そこの岩に戦国時代の里見氏が最初に上陸したのがここであることが刻んである。里見氏は、戦国時代の手前、1450AD頃に房総半島の南端に上陸すると瞬く間に勢力を広げて五十年ほどで半島の盟主となり、同時期にこれまた突如駿河東部から勢力を拡大した北条早雲で有名な後北条氏と死闘を繰り広げることとなる。

当時の大名というのは元々室町幕府に任命された守護であるとか、その現地実力者である守護代であるとかが普通で、そうでなければ何百年も前から血族が地盤を築いている土地を核にしなければ大きな勢力になることなどまず無理だった。戦国時代の初めに、地盤も何もない所から突如勃興した両者が関東の覇権を争ったのは必然だったのかもしれない。

「里見氏と南総里見八犬伝」パンフレット

さらに奥には、その里見氏がやってくる四百年前、石橋山の戦いで敗れた源頼朝が隠れたという頼朝の隠れ岩屋があり、なぜか海神(わだつみ)である大蛸伝説が融合して、投げ銭の場になっている。自分も狙ってみたが、これが難しい。下に山のように貨幣が落ちているのも納得。

後日、先日入れなかった灯台を改めて訪れた。内部は有料の観覧施設になっていて、灯台前には喇叭のような船の通気口や錨が置かれている。

明治巳巳年点灯(読み方は十干と十二支参照)。明治二年というのは近代化遺産としては、最も古いのではないだろうか。

階段は結構な段数があり、上の方に行くとほとんど梯子になる。

外に出て岬の突端を見下ろすと旧管理棟が見えた。後ろの方は白浜の町全体が望めて気持ちがいい。

ちなみに旧灯台管理棟は洋物のADVに出てきそうな廃墟だ。

隣接する資料展示室きらりん館に入ると、初期の風力発電機が出迎えてくれる。

灯台の中核であるFresnel lens(フレネル式レンズ)は、実用品とは思えない美しさだ。この野島崎のそれは日本でも最も大型のもの。

フレネルレンズの原理と仕組み: 光と色と

The Million Dollar Lens: The Science and History behind the Fresnel Lighthouse Lens – CADENAS PARTsolutionsCADENAS PARTsolutions

資料館では、この灯台を造った技師のことが紹介されている。

幕末から明治維新の頃、英仏は世界の覇権を巡って争っていたが、薩長に取り入った英国に対し、仏は幕府と連携し巻き返しを図った。そこで送り込まれたのが海軍技師のFrancois Leonce Verny(フランソワ・レオンス・ヴェルニー)で、Vernyは横須賀製鉄所、造船所、灯台、水道などの建設を指導して日本の近代化に大きく貢献した。

『幕末・明治期の日本で活躍したフランス人(2)(フランソワ・レオンス・ヴェルニー)』神戸大学 経済経営研究所 教授 青山利勝

日本にとっては大恩人ということで、横須賀にはヴェルニー公園記念館があり、ヴェルニー・小栗祭という祭りまで行われている。

切り通しから灯台を望む。

幕末から維新というのは、外に圧倒的成功を遂げた先進世界があり、それの後追いをしさえすればいいという、やることがはっきりしている分、英雄や賢者、美談が生まれやすい世界だった。

日本というのは
1.[地方分権]:先史時代の多民族・多文化雑居状態(九州の邪馬台国・奴国や出雲、吉備、越、毛、総、蝦夷など)
2.[地方分権の上に君臨]:大和王権による吸収統一(地方の有力者や有力氏族などは残る)
3.[徹底した中央集権]:皇帝化した王権が古代の支那(China)文明の中央集権的官僚統治を導入(租庸調や班田収授法)
4.[地方分権化]:官僚統治が破綻して貴族が荘園などを勝手に開発
5.[地方優位]:軍事貴族である武士が王朝貴族に対し下克上を繰り返しながら実力で開発拡大
6.[中央集権化]:織田・豊臣で、地方が掃討され、前の中央集権の残滓も完全に消滅(それまでは荘園管理権とか国衙統治領とかが残っていた)
7.[地方分権の上に君臨]:徳川幕府が封建体制を整備しなおして、安定した地方分権君臨体制を確立
ときて、8.明治維新で[徹底した中央集権]に再び回帰する。徹底した中央集権が完成したのは戦時体制を通してであり、敗戦後は中核が失われたまま中央集権の指導の下に人々は生き地方の力は無意味化するぐらい小さくなっていった。結局、これから中央集権の機能不全が露呈する訳だが、そこには支那王朝や欧米列強、USAの資本主義の様な成功形態がある訳ではないので、5の様な混沌とした私権の乱開発時代に還るしかないだろう。

このような時代にこそ、明るく未来を照らす灯台のような存在がほしいものだ。


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