SAND STORM

朝ぼらけ

2017年4月9日

[旅行記] 平井 弐 (平井城) – 平成二十七年十二月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 10:21

◇六百年前の関東の首都

平井という場所は、今では単なる群馬の外れにある山に囲まれた田園地帯に過ぎないのだが、500年ほど前には山内上杉家という上杉氏の惣領家が本拠としていた場所だ。上杉氏と言えば、上杉謙信という有名な戦国大名がいるが、彼の元々の名は長尾景虎であり、長尾氏は上杉氏の臣下でしかなかった(#1)。紆余曲折があって、この土地の山内上杉氏が後北条氏との覇権争いに敗れたので、謙信(景虎)が上杉氏の名跡を継ぐことになったのである。

#1 もっとも長尾氏はその家宰(筆頭家臣)となるほど有力な重臣中の重臣であり、長尾景春の乱という関東全体を巻き込む動乱も引き起こしている。主君上杉氏-最有力家臣長尾氏の組み合わせが越後守護獲得に際して移植されたのが、謙信の出身となる府中長尾家である。この府中長尾家も越後守護上杉氏を下克上した有力家であった。

そういう訳だから、足利家の親族である上杉氏の本拠は元々関東の上野(今の群馬県)だった。上杉氏はあまりに勢力が強大で、足利将軍の関東版である関東公方の執事・管領として、京都の将軍本家と連絡して常に関東公方を抑える側に廻ったので、上杉禅秀の乱(1416)・永享の乱(1438)・享徳の乱(1455)と関東の動乱を幾度も引き起こしている。結果、北条早雲が現れるまでは関東の覇権は上杉氏が握るようになっていたのである。その本拠であったこの場所は、江戸などまったく開発されていなかった当時の関東の首都と言ってもいいだろう。

地元のBusで目的地の平井に到着すると、いきなり大量の説明書きが貼られた壁が目につく。

「関東管領平井城の歌」「平井城賛歌」「上杉管領囃子」と歌だけで三曲も掲載されている場所は他で見たことがない。

かつての城下の地図。

この壁の反対側に「平井城址探訪会」の仮小屋があるのだが、そこは展示室になっていて色々飾ってある。鍵が開いていないので、窓から中をしばらく覗いていると、探訪会の人に声をかけられて、ひとしきり話し込んだ。

上杉憲政公顕彰碑を建立、御館公園で除幕 ゆかりの群馬・藤岡市平井城址保存会 | 上越タイムス

群馬は地元愛が強いことで知られるが、この会は、ここ平井にではなく、わざわざ越後の上越市に「関東管領上杉憲政公顕彰之碑」を建立するほどで、ここまでやるのだから相当である。

◇平井城本丸

しばらく歩くと、平井城本丸入り口の土塁が現れる。石垣で巻いた腰巻き土塁であり、かなり立派なものだ。

内部は公園になっており、かなりの説明板が設置されて、ここ平井と上杉氏を総合的に理解できるようになっている。

そういった史跡顕彰も今始まったことではなく、石碑や古い説明板があったりするので何十年も前から続いていることなのだろう。

◇三嶋神社

これから山城に登るので、近くの三嶋神社を参拝して、無事安全と土地の残る良いものに出会えるよう祈願することにした。

一般的な神社と違って、特殊な様式の拝殿だ。説明板にあるように、上杉顕定が伊豆の三嶋大社から大山祇命を勧請して祀ったもので、夜祭りで有名らしい。

拝殿から参道を望むと、他にない独特の風情がある。


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