SAND STORM

朝ぼらけ

2017年4月14日

[旅行記] 平井 参 (金井) – 平成二十七年十二月

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三嶋神社から歩いて行くと、どこかの家紋かと思うぐらい立派な藤岡市の防火水槽(manhole)の蓋があった。最近は野球選手のcardならぬ「マンホールカード」が人気だというが、これぐらい優れたdesignなら、それもありかと思わせる。どうせなら実物のmanhole蓋を壁に並べれば壮観じゃなかろうか。

藤岡市のマンホール | 日本マンホール蓋学会


「人家あり発砲危険」
さすが群馬(グンマー)、人家のある場所でも銃を担いだ人間がうろついているらしい、

◇金井の街並

しばらく歩くと金井の街に着く。金井姓の議員の看板が見えるが、戦国時代に倉賀野城主を務めていた金井氏の子孫かなにかだろうか。戦国大名などの地元に行くと、大名自体はどこかに飛ばされて残っていないものの、その重臣をやっていた武家は土着して、地方議員になっていることがよくある。

土壁の電気屋が時代を感じさせる。看板は当然National(ナショナル)で、今では松下電器産業自体がPanasonicに改名したので、松下時代のbrandとなるといよいよ記憶の彼方だ。

こぶりな製材所

スタイロ畳」が以前から何なのか気になっていが、これは本来藁でつくる畳の本体内部を発泡性の断熱材で置き換えたものらしい。

スッとした建物が目についた。今は農機具小屋だが、二階はちゃんと縁側まであるので、昔は何かやっていたのだろうか。

◇金井千体仏

上の建物の脇を進むと、金井の名所である千体佛堂がある。

千体佛堂の脇には大きな仏像が新しく建立されていた。

覗くと七〇〇体の仏像が一堂に会した空間は壮観だ。これらは江戸時代につくられたもので、昔は実際に千体の佛が並んでいたという。

お堂の前にも石仏や石碑が色々ある。

二十二夜塔は、二十二日の夜に人々が集まり、勤業や飲食を共にし月の出を待つ月待ちの行事を行った女人講中で、供養のために造立した塔です。「二十二夜」の文字を刻んだものと、如意輪観音の像を刻んだものがあります。全国的には、二十三夜塔が最も一般的に認められますが、二十二夜塔は、埼玉県の北西部から群馬県の中西部域に濃密に分布しています。江南地区の月待塔は、ほとんどが二十二夜塔となっています。如意輪観音は、富を施し六道に迷う人々を救い、願いを成就させる観音様として、江戸時代中期以降民間信仰に広く取り入れられ、二十二夜さまの本尊として女性の盛んな信仰を受けました。また、女子の墓標仏としても、各地に数多く造立されています。

◆二十二夜塔・如意輪観音 – 熊谷市Web博物館

二十二夜侍供養というのは女人講中、「馬頭大士」は馬頭観音(hayagrīva)という観音菩薩の化身のひとつで佛には珍しい、憤怒を表す観音だ。その強力な力や、馬頭の姿から、昔は馬借、現代では競馬関係者の信仰の対象となっているらしい。諸星大二郎の『暗黒神話』『孔子暗黒伝』などそれを題材にした作品もある。

馬頭観音菩薩:仏像の見方、ご利益


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