SAND STORM

朝ぼらけ

2017年11月14日

投資日記 2017/11 vol.2

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 19:51

◇結局悪い結果を招いたこと「家」と「要塞」

当初、軽々しく仕掛けては大きな損失を繰り返したのは資金をまるでvirtualなものに感じていて、無くすことに実感がなかったからだった(その内当たって戻すだろうぐらいに適当に考えていた)。しかし、あまりに減ったので途中から、自分の皮膚・血肉と同じぐらい大事なものだと感じるように意図的にしていった。

結果としてそれは、負けること、失うことを極度に嫌わせていく一方で、より確実に勝てる、優位な材料を探して、それに基づく方向を思惑として強く抱き、軽々しく手放したり損切しない、思惑を捨てない感覚へと育っていった。

思惑や仕掛けの根拠など、常に仮のボロ小屋とみなして感じていなければいけないのだが、強固な防備と武装で固めた要塞か、長年住み続けた家であるかのように感じるようになっていた。状況が悪化しても、そのような「要塞」や「家」に玉を積み増して引きこもっていくことと、損失を吐き出して簡単に捨てて出ていってしまうことでは、深層心理が選ぶのが前者であるのは言うまでもないことだった。

◇反省は無限、資金は有限

反省はタダだから幾らでもやってやる。
自己変革は己に死ぬまで課された業だから、永久にやり続ける。
しかし、資金は有限だ。資産はあっても自由に資金にすることはできない。

◇目の前の機会がすべて

予備資金はFSCC(フィスココイン)を相場展開を待たずに処分して移した分だけで済みそうだ。
最終的な損失は20-25%だろう。入金が遅れたために減らし損ねた引かれ玉に依る。

ある程度余裕があるのは確実なのだから待たずに即座に減らしてしまうべきだった。
昨日も計算間違いかなとまごついている内に処分の機会を逃して酷いことになった。
目の前の機会を捉える時は、それを逃さないことに専念した方がいい。

◇中立性へ

結局、「自分は他人より優れた部分がある」「何か特別なものを知っている」という外世界との衝突によって確かめていない思い込みが愚かな行為に踏み出させ、過ちを認めず、さらに進ませた。
身体で実態を知らないが故の「過信」と「甘い願望」の組み合わせが今の事態を招いた原因だ。
粉々に打ち砕かれた過信を中立性に転換し、確立する以外にやれることはない。
それだけが唯一得られる良き部分だ。

◇地雷原理論

地雷原なのだ。
自分は至る所に地雷の埋まった花畑で遊んでいたに過ぎなかった。
自分が利を得ていた時は地雷原を進むかのように這いつくばって、knifeで土を探っては、危ないと思えばすぐ手を引っ込めていた時ぐらいであった。

地雷が埋まっていることを知りながら、薄々感じていながら、大丈夫だろうと遊び続けていた。だからいつか起こる必然として爆発した。

地雷原は警告がなされていない限り、何の問題もない場所にしか見えない。むしろ他人が入らない分、手付かずのおいしい土地に見える。
「ここに入り込んで こういうことやったらいつか地雷を踏んでとんでもない目に合う」ということは、地雷を幾つも踏んで、初めて分かる。相場に入り込む素人は無垢な子供のようなものだからだ。

失敗が点である場合、「その点だけが危ない」のであり、その点だけ避ければ回り込んで同じ地雷原に入っていっても大丈夫だと感じてしまう(だから失敗した銘柄を避ける)。失敗が増えて線になった場合、この境界から向こうは危ないということがようやく漠然と感じられる。しかし、それは線に過ぎず、とても甘い認識だ。

素人に必要なのは何よりも地雷を踏まないようにあらゆる手を打ち、万が一にも死んだり、足が吹き飛んでしまわないようにすることなのだが、「お花畑」なのだ。

◇相場の最低限

Wyckoff基準が正しいことがまた証明された。
「しばらく待って損失が出たまま」=「思惑が否定されている」のだからすぐさま切らないといけないのだ。
相場の本質は自分の思惑とは違った様に行くということであり、その逆に行った時にどうするかというのが最低限の最重要の技術であったということだ。自分は行為として、その最低限、最重要を軽視し続けていた。今までのすべての反省も失敗も希望や願望、甘さの皮を剥いでそこに届くものではなかった。

◇根本的矛盾

関わる気が起きるようなものだから、仕掛けてしまう。
しかし、関わる気が起きるようなものは執着を生む。執着は歪みを生む。
それはpositionの持ち方の歪みとして表れ、やらなければいけない時に適切な対処をさせないものとなる。

そもそも関わる気も起きないようなものだから、中立的視点がありえるのだ。
素人が勝つ筈もなく、九割五分以上の人間が退場するのは、この矛盾があるからだ。

◇ひどいものだ

希望が失せてしまった。当然、資金も失せる。
幸運で得たものはすべて失って、予備資金まで充当することになる。

これまでの反省は何ら失敗を繰り返す己の本質に届くものではなかった。
致命的失敗を招く欠陥を正すものではなく、あることを知りながら放置するものに過ぎなかった。
今回の失敗で自分のその欠陥が悪い結果を起こさないようにするのは、自分の相場に関わる希望を吹き飛ばし、関わる気をなくさせるほどの自信の根本的崩壊と喪失であると知った。私の生体を相場に触れさせた時に良い結果がもたらされるとは最早思えない。

今後も私は、義務ないし責務として市場に関わり続けるだろう。他にやれることもほとんどないからだ。
しかし、それはごく限られた対象への、みみっちくせせこましいものに終始するし、せざるを得ないだろう。
最初からそれだけがこういう問題を引き起こしてしまう自己に相応しかったということだ。

よくよく考えてみれば、自分は資金のほとんどを突っ込んで満玉張り続けるような無理な行いをし続けてきた。
無理と素人性が掛け合わされた結果必然こういう結果が出たということだ。
今後は己に相応しい身の丈に合わせて、相場に期待することなく、やっていくしかない。


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