SAND STORM

朝ぼらけ

2018年3月27日

[旅行記] 上野三碑 伍(山名城・根小屋城) – 平成二十七年十二月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 18:56

歌碑を見つつ山名城へと登っていく。

しばらく行くと、木製看板が立っており、縄張り図も載せてある。小ぶりで典型的な山城のようだが、何度も改修を受けているので、比較的新型?であるらしい。

本丸まで入っていくと公園化されていて長椅子などが据えてあった。

奥には石碑と錆びた説明板が。山名城と言っても、そもそも先日訪れた木部城の詰の城(戦時にだけ篭もる)で、山名氏とはさして関係があるようには思えない。この城は確かに本丸の端の方までいけば城の形は伺えるのだが、さして目立った構築が為された城ではなく、よほど斜面を降りたりしないと城の感じはしないだろう。

再び自然歩道まで戻って、根古谷城方面へ向かう。

妹をこそ あひ見に来しか眉引の 横山へろの 鹿なすおもへる

◇根古屋城

進んでいくと単なる自然歩道ではない不思議な道だ。

このような石碑まである。

途中商科大学方面へ降りる道の看板があるのだが、道があるのかないのかよくわからない。

実は、上の画像のように歌碑のために道が別れていたりして、根古屋城に寄るつもりだったのに一旦行き過ぎてしまい、急いで戻る羽目になった。

この三叉路で南へ向かうと城方面へ。

地図はこんな具合だが、根古屋城は展望できるような場所ではない。山名城の方が高崎市街を望める。

「おい そっと そっとしづかに 梅の匂いだ」
結構南に歩いてようやく辿り着くが、その途中も防備が感じられる。
この城は当時武田信玄が築いたもので、ここらの城砦群の中でも中核だろう(説明板)。

切れ込みの鋭い空堀がしっかり残っている。

信玄の財宝が眠っているという話もあるらしい。

裏口に当たる追手方面。郭の周囲を取り巻く堀も中々のものだった。

本丸は広く中央に石碑がある。

一旦行き過ぎて戻ってきたことが響いて、既に暗くなってきていた。


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