SAND STORM

朝ぼらけ

2018年2月5日

[旅行記] 上野三碑 弐(多胡碑) – 平成二十七年十二月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 21:36

多胡碑へ向けて歩いていると牛が囲いの中にいるのに出くわした。
牛舎の中に閉じ込められるような飼われ方でないのでどの牛も元気そうだ。

こちらが近づくと、興味津々で寄ってきて、邪気のないつぶらな瞳で見つめてくる。

向かいには「畜魂碑」のある小屋があり、ここら辺りの原風景といった感じがする。

さらにしばらく歩くと、多胡碑のある公園の入り口が見えてきた。

公園の中にある小屋のような石造りの廟に碑が納められているようだ。

覗くと、きっちり囲われている中に多胡碑があり確かに字が刻まれている。

解説を読むと、上野国(かみつけのくに)の片岡郡・緑野郡・甘楽郡から新たに多胡郡を設けたことを記念した石碑である。日本の古代でこういう字を刻んだ石碑はとても珍しいから世界記憶遺産にまで登録された訳だ。

楫取素彦というのは吉田松陰の妹寿の婿で、その信頼篤く、松陰亡き後その塾を任されたのは素彦だった。兄の松島剛蔵とともに維新で活躍し、初代群馬県令に就任、殖産興業や教育に力を入れ戦前の主力産業である生糸の一代産地としたり、前橋に県都を移して高崎との対立の原因をつくったりと、強い地元意識を誇る群馬を規定した人物である。この石碑の保護を命じたのも素彦で、その縁で幟が立っている。

楫取素彦|幕末維新風雲伝

公園の脇には多胡碑記念館という博物館が併設されていて、多胡碑のことは元より、色々漢字の書体変遷などを展示してあって見所があった。
特に興味深いのは、碑は敗戦時一度占領軍の破壊や没収を恐れて埋められたのが、後で掘り出されたという経緯があり、元々の場所と位置やら何やらが異なっているのだ。

隣にはしっかりした古墳もあったりして、千五百年前ぐらいは郡の中心地だったのだろう。郡衙があったらしく正倉も発掘されている。

記念館を堪能した後、西の吉井駅に抜けてもよかったのだが、車が少ない川沿いをのんびり帰りたいともう一度馬庭駅の方へ戻ることにした。

この土地の味のある建物や風景がかなり残っていて気分がよい。


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