SAND STORM

朝ぼらけ

2018年8月30日

投資日記 2018/08 vol.2

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 15:27

◇FX – USD/JPY

「フォームというのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六分四分で有利な条件を自分のものにできる、そう自分が信じることができるもの、それをいうんだな。
プロは、六分四分のうち、四分の不利が現れた時も平気なんだ。四分はわるくても、六分は必ずいいはずだ、と確信しているんだね」(うらおもて人生録)

「王選手かてヒットは三本に一本や。そのフォームを大事にしとりゃ、三割打てるんや。今、当りが出とらんいうてフォームを変えたらいかん。大事なのはヒットやない。フォームや。プロなら、そう考えるんや。」(ばくち打ちの子守唄)

「プロはフォームが最重要なんだ。フォームというのはね、今日まで自分が、これを守ってきたからこそメシが食えてきた、そのどうしても守らなければならない核のことだな。」(うらおもて人生録)

「何よりもまず、身体を楽にすることだね。優等生ってやつは、どうしても全勝意識にとらわれるから、フォームが固くなるんだ。筋肉がぎくしゃくとしてくるね」(うらおもて人生録)

さいふうめい 『阿佐田哲也勝負語録―ここ一番に強くなる』 pp.42-47


昨日、貿易戦争の懸念が先送りされて表面上消えていたことや、Turk通貨の落ち着きから円安方向に振れてきていたのを111.30付近の抗争帯で売り仕掛けしていた。これは抗争中は上下して幾度か損益分岐点を越えたりしたものの、極わずかだったので下手に切られるのも何だと放っておいた。

そこからUSD/JPYの本態要因である米国市場が開く時間が近づくと、史上最高値を更新し続ける米株の勢いと好調な指標が合わさって一気に111.81まで振れるのだが、そこに行くまでの111.40ぐらいで「この帯域を抜けると吹き飛ぶ可能性が大きいので切った方がいい」と思いつつ、「失敗した仕掛けを相場に肯定させたい」という本能が勝って放置したままとなり、上方に均等割りで置いていた売りもすべて引っかかって、結局一時かなりの含み損で引かされた状態になってしまった。しかも、最初の失敗玉を切らなかったせいで平均値が悪い上に、肝心の有利な地点で厚みを増すことができなかった。

この失敗には、型を守らない、型を実行せずに破ってしまう心理の問題と型そのものの問題が含まれている。目の前の抗争帯が吹き飛ばされたのに、それを放置するという悪癖は以前から何度も痛恨事を引き起こしてきた課題だが、その深層にあったものにようやく気付かされた。また、米国市場という本態要因で大きく動く可能性が圧倒的に高いのに、抗争帯に近い場所から均等割りで迎え撃った失敗は型の変更で対処した。

引かされはしたものの、情勢は悪要因が目の前から隠れただけで、そう時間が立たない内に必ず円高方向に振れるという読みだったので保持し続けると、存外早く次の日本時間には新興国通貨の再下落とTrumpの対中貿易戦争激化が組み合わさって下り始める。しかし、自分の見立てでは「翌31日の米国時間まで待って処分するぐらいが一番いい」と考えていたのに、損益分岐点を超えたところで追い始め、幅を狭くした所で僅かな戻しに引っかかって大したことの無い利益で終わってしまった。この含み益が出始めてからの追い方こそ、もう一方の課題なのだが、これは情勢という前提が大きく絡むため一筋縄ではいかない。

「ここにサイコロがあるとする。丁か、半か、答えは二つに一つだ。次の目は丁かな、半かな、どっちだろう。そう考えるのは例外なく素人だ。素人は次の目を当てようとする。」(新麻雀放浪記)
「十回勝負すると、素人は六勝四敗を狙う。玄人は、極端に言えば、一勝九敗でも勝つように張る」(新麻雀放浪記)

「ばくちはいつも瞬間の決断を強いられるからです。理屈じゃなくて、体がすぐ対応できなければね。だから、非常識な事態に対する経験をうんと積まなくては」(新麻雀放浪記)
「結果を含めて、レースというものが百だとすると、セオリーで明確になっている部分は五十ぐらいのところであろう、あとの五十は暗黒部分である。」(競馬狂想曲)
素人は、五十の暗黒部分を勘で埋めようとする。一方、プロは、開発された五十で戦い、さらに五十を五十一、五十二にすることを考える。もっと大切なことは、自分のもっているセオリーを完全に使うことを考える。暗黒部分を勘で埋めようとはしない。

ドサ健「世間の人は、暮らしていくことで勲章を貰うが、俺たちは違う。俺たちの値うちは、どのくらいすばらしい博打を打ったかってことできまるんだ」(麻雀放浪記)
さいふうめい 『阿佐田哲也勝負語録―ここ一番に強くなる』

◇修正力と平常心

機械は自分で自分を直すことはできないが、人間は自分自身を直すことができる力を持っている。私はこれを”修正力”と呼んでいる。自分がいい状態の時はだれでも勝てる。問題は、自分が悪い状態に陥ったとき、それをいかに修正して「負けない」戦い方をするか、だ。
自分を修正していくには、まず自分の状態がいいのか、悪いのかを判断する能力がなければならない。自分の置かれた状態を把握する。”自覚力”といってもいいだろう。自覚力と修正力、このふたつを持つことで、人は初めて自分自身を直すことができる。
修正力のある人は、自分の直さなければならないところを素早く実感する。そうして早めの修正をすることで元のいい状態に戻れたり、仮に悪い状態に入ってしまったとしても、それほど時間をかけずに抜け出すことができる。

修正力を強くするうえで大事なものがある。それは「平常心」だ。大一番の前などに人は「緊張しないよう、平常心で挑む」と言ったりすることもあるが、私の考える平常心とは、本番のときだけ重要な意味を持つものではない。平常心は、普段から大切なのだ。
「平常心とは、何があっても揺れない心」と多くの人が解釈していると思う。だが、私の平常心に対する解釈はちょっと違う。私の考える平常心とは、日常という「常」を大事にすること。日々の暮らしを大事にする。そんな当たり前の気持ちこそが平常心なのだ。
普段の生活で起きる些細なことにも丁寧に、大事に扱う。日々の暮らしの中で「準備・実行・後始末」を当たり前にこなしていく。そうやって置かれた日常の「常」があって、初めて平常心というものが生まれる。
 平常心という「常」の心があれば、人はなにか事があって揺れても、またすぐ「常」の状態に戻れる。強い修正力には、そんな平常心が欠かせないのである。
桜井章一 『負けない技術』 pp.152-154

桜井章一の著書は、阿佐田哲也の語録と並んで、不確定なものに向き合って生きる時のあり方を、かなり踏み込んで示している。
「相場の精神本」などとして売られているようなものは、幼稚過ぎて役に立たない。
相場に踏み込めば、実存のかかった全身全霊の振れを無数に経験することになる。そのような場で実存の根本を無視した、小手先、頭先のことは何の役にも立たない。

◇感じる

勝負というものは常に変化している。われわれが生きる社会も同じように変化している。いつも、永遠に一定ということはありえない。そんな中で悩んだり、考え込んだりしてしまうのは、変化に対応できていないからだ。現代には変化に弱い人があまりにも多いのだ。今、「百年に一度の大不況」などと騒がれているが、景気は勝負と同じで、常に変化する。いいときもあれば悪いときもあるのに、人間は”いいとき”だけを見ようとする。だから悪いときに対応できなくなってしまう。
景気や勝負のみならず、川の流れも雲の流れも、絶えず変化している。「ものごとは変化して当然」という感覚を常日ごろ持っていれば、いちいちそれに惑わされずに済む。
固定観念が強いと変化に弱くなる。知識や情報をもとにした自分の方程式にこだわっているから、状況が変化してもついていけなくなってしまうのだ。固定観念をそのつど消し去り、”感ずる”ことを大切にしている人は変化に強い。なにがどう変わったのか、なにがどう変わっていくのか、それを感じることができるから、時と流れの変化にもついていけるのだ
桜井章一 『負けない技術』 pp.80-81

色んな情報を調べたり、やり方を研究したところで、最後は感じる方が重要。
調べたり、研究したり、実際に足を運んだりといったことは感じるための手段でしかない。
感じるところに届いていない時、大概何もわかっていない。


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