SAND STORM

朝ぼらけ

2018年11月8日

[旅行記] 大泉町 壱(旧太田飛行場) – 平成三十年一月

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◇竜内公園

東武鉄道の竜舞駅で降りて、少し南にある竜内公園で体をほぐしてから歩くことにする。

この公園は土盛りや恐竜を模して並べた石の遊び場など、普通の公園と違って凝ったつくりで色々遊べていい。

『郷社・賀茂神社(群馬県太田市・龍舞町)』太田(群馬県)の旅行記・ブログ by minaMicazeさん【フォートラベル】

公園のある駅の南側は工場と絡んで開発された住宅地で、江戸時代までの古い町並みである龍舞町は線路の北側にある。竜舞は太田駅の東隣で僅か2-3kmほどの距離なので歩いて来てもよかったかもしれない。

貞観三年九月二十九日(八六一)大納言藤原長良公京都賀茂神社の心霊を此処に勧請し一社を建立し賀茂明神と称し伝えられ祭神は別雷神(わけのいかずちのみこと)を祈り末社二十余社を数へり
その由来は社殿及び園田文書に依れば同年武蔵羽生に賊徒反乱を起し東国大いに乱れるにおよびしとき当時上野国司として国府在城の長良公に勅命を下し是れを誅伐せしむ
この折長良公京都の賀茂明神に戦勝を祈願し此処に出陣し利根川を前の備へとしもって長蛇の陣を敷けり
その□回霊の髪すなはち青龍、白虎、朱雀、玄武の神旗を龍舞の地を中心に四方に高々と建て対陣せり故にその神旗青龍の旗は風になびき龍形となりて雲に至り雷電すさまじく烈しき雨となり敵陣を襲い遂に是れを平定せりと伝ふ
この雷電の加護を感じまた此の地に青龍の旗を立てたるゆえをもって此の地に当社を創建したるなりと言伝ふ
例祭には境内中央に四神霊の旗を建つるはこれに由来す
龍舞 賀茂神社縁起略記

龍舞とは変わった名前だが、平安時代に反乱を征伐した京の貴族が五行思想に基づいて四神に模して陣を展開したのが起源らしい。
九世紀の反乱となると俘囚ではないかと思うが(桓武平氏の祖平高望の上総介就任がAD898、平将門の乱がAD935-940)、当時の関東は開拓中の僻地だったので伝承次元でしか残ってないことが多くよくわからない。

9世紀以降の俘囚(帰化した蝦夷)の相次ぐ反乱ついて考察してみる – 日本史が好きになる?歴史ブログ

◇旧太田飛行場

公園のすぐ南は、戦前、中島飛行機の太田飛行場であった場所が広がり、今はSUBARUの工場になっている。

SUBARU工場正門には、正月なので門松が建てられていた。工場内の写真を撮っていると警備員に警戒されてしまった。

工場の前の川?は高度成長期みたいにゴミまみれで汚れていて、掃除ぐらいしないのかと思いつつ歩いてたら、川ごと改修工事が進められている。

角を南に曲がって西小泉駅に近づいてくると、Portuguese(ポルトガル語)の看板がチラホラ現れてくる。

この旧飛行場周辺は三方いずれにも大きな公園や競技場があり、駅の近くも公園と緑道があるので、工業地帯にも関わらず休む所は多い。


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