SAND STORM

朝ぼらけ

2018年11月15日

[旅行記] 大泉町 参(小泉城) – 平成三十年一月

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 22:48

線路の東側を歩いていくと駅から見えた白い塔は浄水場のそれだった。

線路の東側も浄水場の辺りからは緑道になっており(いずみ緑道案内図)、車の来ない歩道として整備されていて気持ち良い。

さらに歩いていくと妙な公園が見えてきた

この公園が小泉城である。

小泉城は、関東公方を巡る騒乱の中で公方に忠義を示した結城氏系の富岡氏により延徳元年(1489)に構築されたが、北条氏による改修を経た後、天正十八年(1590)豊臣秀吉の関東攻めの際、浅野長政らに攻められて落城し、廃城になった。

そうして近世城郭として残らなかったにも関わらず、さらに開発で消えがちな平野の都市部でありながら、現在でも良好な遺構を残す稀有な城だ。
さっそく入り口横にはしっかり残った水堀が迎えてくれる。

この堀は下にも降りれるようになっていた。堀を土塁の上をから眺めながら歩いていくと

公園内にはさらに内堀がある

看板を見ると、城の部分だけでも二重の水堀、さらに城下町を取り巻く川で三重の堀になっていたことがわかる。

場内は幾つも広場があり、その一つの石碑の立ち並ぶ場所に出た。

この庚申 (こうしん)信仰は、元々は貴族が道教の三尸(人の体内に生まれた時から棲んでいるという虫で様々な病気を引き起こす)信仰を受けてやっていた潔斎自戒の宗教行事なのだが、次第に夜通し集まっては遊ぶ集会となり、それが武家に広がり、庶民にも広まり、様々な日本の土俗宗教や土地の習慣と融合して独自の文化となっていった。つまる所、昔の人が食べ物を持ち集まって夜通し楽しんでいた記念碑という訳だ。

そういう祭りの記憶だけでなく、空襲の犠牲者を供養する黎明地蔵や

日清から大戦までの戦死者を祀る英霊塔など慰霊の場として機能してきたこともあって今まで良い状態で残されてきたのだろう。

入ってきた方と反対側の正門を出て学校に隣接する方へ

すると鴨がいっぱいいて泳いでいる。

有料の餌置き場も用意されていたが、惜しいかなこの時は切れていた。


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