SAND STORM

朝ぼらけ

2019年2月7日

投資日記 2019/02

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 19:00

◇進行性の病

昨年末に至る過程で、私はこれまで経験不足から来ているのだと思っていたことが、長期間に渡って病苦に直接的、またそれによって破壊された生と悪化した社会的立場から来る影響に間接的に虐待され続けた、脳神経の中核部から来ることを知った。よって、投機だの投資だのの「ごっこ」は、もう私がすることではなくなった。

進行性の病が脳神経系まで侵しているようなら、そこにおける唯一のやるべきことはriskを取って状況を改善しようとすることでなく、金から身体から信用から残ったすべての資本を適宜消費して、riskを回避しつつやりたいことをやりつつ方法を探り、自らの自由を保ったまま己を始末することだ。

巻き込まれたriskには対処しなければならないが、自らriskを取っていくようなことはすべて止めねばならない。別段不思議でも何でもないごく当たり前のことであった。

◇賭博

賭博は延々と己を見ることに他ならない
対象に夢中になり己が見えていない時、どんどん勝ちは遠ざかっていく
対象に踊らされた己がすべてを諦めた時、初めて何かが当たっている

◇制度化された賭博の方がよほど見えやすい

これは賭博の方がわかりやすい、というより、すべての面において公営賭博のような制度的にキッチリしたものの方がわかりやすく、見えやすい。必然わかりやすく、反省もしやすい。ひっくるめて言えば、負けたり、失ったりすることを納得しやすい。
逆に言えば、投資と謂われているものは、詐欺的制度や業者、対抗者の巨大さ、起こることの幅の信じられない大きさ、場の不安定さ、流動性の速さが人間の次元では滅茶苦茶過ぎて、何が問題であるのか見出すことも自覚することも難しい。

◇投資

「投資」という言葉は、己の持つ金やら身体やら時間やらの資本を「投げ」て、他人に好きに扱わせるものだと先人が書いているのに、誰もが勘違いさせられている。書いてあることの意味すら取れなくなる愚かさ。

◇投擲
投資であれ、投機であれ、賭博であれ、どんなそれらしい理由が、それをさせるどんな言い訳が、どんなしっかりした対象への信頼があろうが、金や持ち物を放り投げて自分のモノではなくす行為以外のなんでもない。放り投げて、まったくの零(zero)にしてしまったものの中から、たまたま返ってくるものもある。
しかし、それは運が良かっただけであり、基本的にはすべて0になっている。自分がそれをしているのだ。


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