SAND STORM

朝ぼらけ

2009年10月5日

Daily Log (July 2009)

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 22:00

Frozenbyteの次作Trine

Indiegames.com – The Weblog – review: Trine (Frozenbyte)

Shodowgroundsを作ったFrozenbyteの次作Trineだが、昔のCapcomの横scroll Actionを進化させたようで、かなり面白そうな出来だ。

Gish辺りからside View Actionは復活の兆しがあったが、これは本格的に来るんじゃなかろうか。

Farming simulator 2009

ファーミング シミュレーター 2009 ~大地へ挑もう! ぼくらの農場生活~ 日本語版 @ ZOO

これは面白そうだ。多種多様な重機のつくりがかなりよくできている。

ずっと前から、PCの様なMOD文化があるPlatformで重機のsimulatorが出れば絶対に流行るし売れると思っていたが、Construction Destructionのような原始的な段階でStopしていた。

ざっと見た感じ、重機を操るのは面白そうだが、農業SimulaatorとしてはCasualな作りであまり期待できなさそうだ。

土と向き合いながら、米一品だけをほとんど重機に頼らず作るだとか、現実重視の地味で長い硬派なものでないと面白くならない。そして、それをやるとまず売れない。

◇baroque(バロック)音楽

Europa Universalis 2で使われている音楽の大半が、baroque音楽(宗教改革期の芸術を後から蔑称したもの)のようだ。

これは恐らくEU2で最も目立つMozartのRequiemの一番派手な部分。

バッハだとか第九だとか、日本で大々的に取り上げられるClassicは好かないのが多いのだが、昔NHK FMでこういう宮廷風でないbaroqueを聴いて、随分気に入った覚えがある。誰の何の曲だろう。

Music List – Paradox Interactive forums

◇新Siteの構築

新Siteへの移行がまったく進まない。ロクに使っていないのに金だけ抜かれていくのは空しい。

そもそも普通の記事は全部html形式で書いておきたいのだが、Joomla!にせよ何にせよ特定のsystemを使うと、すべてそれに縛られてしまうのが厄介だ。ある程度そのsystemで進めて、これでは駄目だ、やっぱり他に移したいと思っても簡単にできない。PHPか何かで記事部分はhtml fileで読み出し、それにcommentやTrackbackなどを付加するようなものはないものだろうか。

とりあえず、いくらかの事はWikiにしようと思っている

・カタカナ英語
・MOD開発

◇ホモ・ルーデンス

ホイジンガのホモ・ルーデンスは幼稚な公式打ち出してそれで終わりといった類のものではなく、歴史家としての素養が前面に出た、事例集とでも言った方が近い。

巻末に同じ作者の『中世の秋』の広告があるが、特に古代~中世社会の事例が豊富。

カイヨワの『遊びと人間』も同様で、こちらは原始宗教・祭祀研究の色が濃い。どちらも読んでいると事例の方に埋もれてしまって、結局原理的なものが何なのかわからなくなってしまいがちだ。

◇ホモ・ルーデンス

このプラトーンの遊びと神聖なるものとの同一化は、神聖なものを遊びと呼ぶことで冒瀆しているのではない。その反対である。彼は、遊びという観念を、精神の最高の境地に引き上げることによって、それを高めている。われわれはこの本の初めの個所で、遊びはすべての文化に先行して存在していた、と述べた。またある意味では、それはいっさいの文化の上に浮かんでいるもの、少なくとも文化から解き放たれたものでもあった。このことには何の変わりもなく、初めの考えそのままでよい。人間は子供のうちは楽しみのために遊び、真面目な人生のなかに立てば、休養、レクリエーションのために遊ぶ。しかし、それよりもっと高いところで遊ぶこともできるのだ。それが、美と神聖の遊びである。

『ホモ・ルーデンス』 ホイジンガー 高橋英夫:訳 P55

◇矛盾・不快=現実、矛盾の無い気持ちよさ=幻想

精神がぶちあたるさまざまな矛盾、矛盾だけが現実のすがたであり、現実性の基準だ。想像上のものの中には矛盾はない。

『重力と恩寵』 シモーヌ・ヴェイユ

ユダヤ人医師の家庭に生まれて、ルノーの工場で働き、Spain国民戦線に参加するなど左翼的実践にも励んだヴェイユはユダヤ教徒でも無神論者でもなく、典型的なChristianで、『重力と恩寵』は耶蘇教の辛気臭さに満ちている。

例えば次に来るのはこんな具合だ。

存在の奥深くにまで味わい尽くされた矛盾は人を引き裂く。それが十字架である。

そういった辛気臭さを差し置いても、この本は優れた洞察に満ちている。

高みの失われつつある世にあっては、Christ教と絡むことでしかこのような思考はできなかったのだろう。ニーチェはChrist教に反抗することで高みに登ろうとし、ヴェーユはChrist教の森に逃げ込むことで高みを保とうとした。

資本主義は諸人を欲得の獣と化し、欲を果たせるか否かだけを高みの基準とする。それは他の基準を無意味化する。社会主義/共産主義は他者をすべて蹴落とすことで、己を高みに据えようとする。後者は低い次元に人々を整列させる。


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