SAND STORM

朝ぼらけ

2009年11月25日

Daily Log (November 2009)

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 08:10

◇安売りを買いそびれる

取り立てて今すぐやりたいというものではなかったが、Left 4 Dead 2が安売りしているので買おうとしたら、SteamのSiteがやたら重くて買えなかった。

download販売は安売り、まとめ買いの攻勢が激しいのでplayする動機が高まってなくても買ってしまうことが多い。その結果はというと、ある程度やり込まないと面白味がでてこないのに、ちょっと触っただけで投げてしまっているgameが増える一方だ。買いそびれてむしろ重荷から解放された気がする。どうせ年末あたりに半額で売られるのだからそれで十分。

急いで買う必要も、急いでplayする必要もどこにもないのだ。

◇Robert D. Anderson & the legacy of Cthulhu

異様に評価の低いgameだが、確かにこれは酷い。

全levelを別個に選択できる怪しげなlauncherからのみ起動可能。graphics,Control,Audioあらゆる項目は一切変更不可能。optionというものが存在しない。設定fileも存在しない。

描画はwidescreenだろうが何だろうが、自動的に画面いっぱいに拡大して表示される。まず引き延ばしだろう。違和感のあるHUDが3Dの描写と相性が悪く浮いている。

multiplayがあるがこのgameには必要ない。中身も酷い。game以前の段階があまりに不出来なので、game内容を確認するのが困難。

Need Big user Interface @ Paradox forum

ParadoxのEuropa Universalis系gameの限界まで小さくしたfontやbutton類のuser Interfaceには散々苦労させられてきたが、For the Gloryの高解像度対応と合わせて、あるべき姿を画像で示して”もっと大きなfont/UIにできないか”とPostしたら好意的な反応が多く出てきた。user側はほとんどの人間がそう思ってるんじゃないか。

For the Gloryを作っている側はSouce codeを改造できるものの、Europa engineを弄ってsizeを合わせるのは難しい(かなりの作業が必要)という回答。自分は”こういった仕様を続けてきたJohanは当てにならないのでCEOのFredrikに話をつけたらどうだ”と言っておいた。

◇時代を支配する音楽

このPVにはハッとさせられた。記憶にある玉置の姿は半分白髪の老人化した姿で、意識して安全地帯の曲など聞いたこともなく、直接これを見たこともないのに、自分が生きてきた時代はこれに影響を受けたものだらけだったからだ。この曲と映像は”これからは自分もこれに合わせなくちゃいけない”と思わせる時代を支配する力のあるものだったのだろう。今見てもそう感じる。

◇最新!最新!

近くに親族の子供が住んでいるのでたまにやってくるのだが、子供にplayさせるgameを選ばせると、よく「どれが最新の?最新のは?!」と聞いてくる。「いや、別に最新だから面白いって訳じゃないんだぞ」と言ってもとりあえず「最新の」を遊びたがる。

“最新の~”というのは人間の本能に訴えかける何かがあるんだろう。食べ物は新鮮な方がいいし、人間の創った器具も大概新しい方が便利だったり、機能が上であったりしたのだから。

そんな彼ら彼女らも実際にplayすると最新如何に関わらず、面白い/つまらないの判断を下す。

“最新”は期待値を上げる効果しかないようだ。

◇依拠対象を普遍的、広域的なものに移す

『若者殺しの時代』 堀井憲一郎の最後の提案は「逃げろ」というものだったが、つまり、激しく回転しながら没落し最後にはぶっ壊れる『戦後日本』という箱の中だけで通用する、しかも激しく回転しているので次から次へと通用しなくなるものに依拠することから、普遍的なもの広域的なものに依拠する対象を移せということなんだな。それは彼が例示した近代以前の伝統というのも一つだし、英語の様な広域言語であったり、資産を日本円だけでもったりしないこともそうだろう。戦後日本で否定され、まずます打ち捨てられる傾向にある、”家”、”血縁”というのを意図的に維持・構築していく方が生き残る可能性がグンと高くなるのではないか。

戦後日本を例えるなら、”犯罪者収容所”と”家畜小屋”双方の意味を完全に満たすものとして「豚箱」というのがぴったりだ。この話は長くなるでまた別にやる。

◇南北戦争の西部戦線

The Good,The Bad,and The Uglyのdisk 2にDocumentaryが同梱されている。それは戦史の中でも珍しい南北戦争で主要な戦いの舞台とならなかった西部戦線の話だ。

南軍のAlcohol abuser(アル中)の将軍はTexas西端の北軍Fortを落し、そのままNew Mexicoに進軍すれば現地では南軍の元にかけつける者が多いだろうという希望的観測、さらに北隣のColorado州まで進軍すればその金鉱が南軍の資金源となり、そこから西岸まで進出して港を確保すれば英仏を初めとした国際社会の支援も得て、米国を南北に安定分割するという壮大な戦略的構想(非現実的夢想とも言う)の下に西部に進軍した。

北軍は3000人を越える兵士が要塞に拠っており、簡単に落とせない。そこで広大な砂漠を利用した迂回作戦が両軍ともに試みられる。南軍の槍騎兵(文字通り槍を持った騎兵)の突撃が北軍の銃火になぎ倒されるなど南軍側は非効率な闘いで一方的に負けるのかと思ったら、南軍も作戦・戦術を駆使して反撃、敵を要塞から引きずり出して叩いたり、迂回部隊が叩かれたりといった一進一退の攻防の末、南軍が追撃してきた北軍を叩いて勝利を収めた時に、迂回した北軍騎兵隊が後方に残した補給部隊を殲滅して勝負はついた。両軍ともに補給が厳しい状態で、最後もそれが勝負を決めた形だ。

双方とも兵力が5000以下という中で良い勝負が繰り広げられたのが意外だった。またColorado州はGold Rushで押し寄せた国内・国外含む移民が多いからか、南部には敵対的だったようだ。これはCaliforniaも同様だろう。

南軍主将はAlcohol abuseのために、砂漠の中の厳しい進軍を指揮できず後方に留まるなど兵士の評判は悪く、後の戦も大敗北を喫するなど無能な上に病弱だったようだ。

◇Pac-Man – 躱しのgame

昔、Pac-Manは自分では家庭用機/Arcadeともに数回やった程度でやり込んだことがなく、なんとか敵に捕まらないようにしてDotをとるgameぐらいの認識しかなかった。どこかの温泉宿で敵種類ごとの行動特性を利用したplayを見せられて、上手く餌を取るgameではなく、敵を操作するgameだということを知って驚いた覚えがある。(余談だが、Serious Sam 2が躱しのgameというのは、このPac-manのちょっと触った時に見えるplayと、敵の行動法則を完全に抑えた上でのplayと同じようなものだ)

Pac-Manを含めた黄金期のArcadeの版権を大量にもってるのはバンダイナムコだが、Namcoは世界規模でPCのPublisherもやってる癖にこういうgameをPC=世界統一市場に出してこないんだよなぁ。SEGAも同様。

当たり前のように世界を市場として捉えていない日本のgame会社が没落するのは当然のことだと思う。MitchellがパズループをパクられてZumaの方が有名になるのも市場から逃げているからだ。未だにSTGの東方がSteamですら売られていないのを見ると救いがないと思う。そしてYoutubeのcommentでは「ワオ、こいつは凄いgameだ。どこで売ってるんだい?」「いや売ってないからTorrentで落とすといいよ」などという会話が交わされている訳だ。

game会社に限ったことでなく、日本の企業は新しい市場を見つける努力を怠るどころかやりもせず、「駄目になった」「もう先がない」と言ってばかりいることが多すぎる。

game Giveaway of the Day

結構前からLinkに登録してあるのに、一度もただで遊べたことがなかったgame Giveaway of the Dayでplayすることができた。

・普段Sharewareとして販売しているものを一定期間のみ無料で配っている

・install時にsetup.exeにより、online認証を行わねばならない

・認証受け付け期間は通知から24時間以内

RSSに登録して、Giveawayが来たら反応できるようにしておかないと難しい。Giveawayされているgameの質は元から無料としてバラ撒かれているもの程低くはないが、わざわざ金を払いたくなるようなものではないというのが大半。

◇いい年こいていつまでgame何かやってんだ?

違う違う、

いい年こいて、いつまで自分の関わる現実を構造解析することもできず、

いい年こいて、他のplayerたちが何のresourceを用いて何を希求しているかを把握できず、

いい年こいて、playerとして振る舞うのに必要な能力も身につけず、

いい年こいて、自分がplayerとして振る舞うのに必要な自我の切り捨ても行わず、

つまり

いい年こいて、いつまで現実をgame化することができず、無駄足を踏んでるんだ?

◇この間おもいついた歌

「窓の外、榠樝の木に雀鳥ども戯れる」

バーバババラガ ババラガ ババラガ
ビービビビラガ ビビラギ ビビラガ

日々の生活溶けていく
ああ 毎日毎日溶けていく

バーバババラガ ババラガ ババラガ
ビービビビラガ ビビラギ ビビラガ

チキチャカチャンチャン チキチキチャンチャン
すーずめ おどるよ 窓のそっと
チキチキ チュンチュン チキチャカチュンチュン

榠樝=実の成るマメ科のかりん

◇音に関する疑問

チャカチキチャチキ ジーーンジーーン という音は金属楽器なら出るだろう。

チャカポコチャカポコという音は何で出るのだろう?

一番下に蝉のジーーーッという音を途切れなく置いて、その上にミィーーヨッ ミィーーーヨッという音を鳴らすとよさそうだ。そこにチャカポコチャカポコ ジーーンジーンという音を鳴らす。

◇みづいろ

みづいろの小さな猿が、
大脳に棲んで噛んでる落花生、
うるさいな、それ、それ、また、
眩すぎる日の光。

西条八十

◇blog移行

およそ記事は移し終わった。向こうにも多少残っているが、もう必要ないものばかりだ。

画像はすべて残してあり、向こうから引っ張っているがcocologの様なマトモな管理が為されていない所ではどうこう言われることもないだろう。後は細かい所を整えつつ、記事の作成やら何やらに集中していくことにしよう。

◇バブル絶頂期のPC game

1980年代後半から1990年代頭にかけてのバブル絶頂期は和製PCでのgame作りが絶頂を迎えた時期だが、あの頃のgameは今動画で見てもRichだ。

今のgameは無限に近い色数、比べものにならない高解像度、遙かに多い音色、圧倒的に進化した3D表現、そういったものを何十億という金をかけて作っているのになにか貧しい。表現しようとしていることそのものが、売ろうとしている対象が、基盤となる存在そのものが貧しいのだろう。それは必ずしも表現者の感性が貧しいという訳ではなく、余裕がない。Richじゃないのだ。

これは単に色数が多いだの、解像度が高いだの、映画がそのままgameでplayできるだのといったことでは覆せない。

当時の日本は世界史上でもまれに見る富んだ時代だった。それが蓬莱学園やこういったgameにも表われた。あのような時代は特殊な環境でのみ成り立ったものなので以後の日本に二度と訪れることはないだろう。

PC-98版gameOP集 @ ニコニコ動画

◇Firefoxのbug

最近のupdateでmemory Leakが改善されたのか、動画を見ていたら突如終了するbugはほぼなくなったが、なぜかゴミ箱を空にするとLog-In情報が吹き飛ぶようになった。昔からFirefoxは機能が豊富な分、bugも多い。

それとzoom状態でのscrollが重すぎる。GamersGateでzoom状態でscrollさせるととても重い。

◇格闘gameと賞金

KOF98の大口というplayerの対戦動画にハマっている。
KOFという数十人のcharacterが存在するgameで、毎回randomのcharacter選択で勝ち続ける異常な強さを持つplayerで、そのplaystyleは単に強いcharacterで強い攻撃を正確に決めるといった次元を越えた心底魅力的なものだ。

この大口というplayerは中国人らしい。また、その相手も韓国人など東Asiaの方が多い。
日本の格闘gameは賭博と絡めることが禁じられたために発展を封じられている。
自国がcontents製作の圧倒的な中心地で、権利関係を握っているのに、その発展を阻害しているだけだ。
格闘gameはgameを使った見世物としては最上だ。少なくとも大会での賞金獲得だけは認めるべきだ。

◇Twitterは何のためにあるのだろう

Twitterは結構前に一応accountを作って、Twitterで追う「何か」を探してみたが、そんなものは見つからなかった。少なくともわざわざTwitterで追わなければならないようなものはない。

あれは最新の行動を垂れ流す著名人の「追っかけ」として使用するか、何かの業界での付き合いのToolとしてしか使えないんじゃないだろうか。

◇Wordpressを手に入れてからWikiがいらなくなった

blogをWordpressに決めるまで、表示している記事をすぐ弄れる早さと便利さからWikiを併用しようと思っていたのだけど、Wordpressでやり始めてからはWikiを使うという考えはまったく失せた。一人でserverまで借りて書く時のPlatformをWikiにする必要性はまったくない。あれは多人数が色々書いては改変していくことのできる本来的な意味での掲示板だと思う。

◇gameと運動競技

gameが社会にとって役に立つか立たないかというのは運動競技と比較して考えてみるといいんじゃないだろうか。どちらも社会にとって直接には生産的なものではないからだ。

・gameが主に使うのは頭、運動競技が主に使うのは身体

逆に言うとgameばかりしていると身体が衰退しがちで、運動競技ばかりしていると脳が衰退しがちな傾向がある。衰退というといい過ぎかもしれないが、発展しない。

もちろん運動して身体をつくりながらgameに取り組む人もいれば、観察・作戦など頭脳を重視して運動競技を行う人もいるだろう。結局、偏りの問題なのかもしれない。gameが自律的にgameばかりやって身体の衰退に繋がりやすいのに対し、運動競技は集団性の中で囲い込まれて頭脳が発達しないことが多い気がする。運動部や軍隊など。

・運動競技は他者観戦が容易、もしくは高度に発達している。gameは他者観戦が困難もしくは発達していない。

運動競技が社会的に有用なものとされ、好意的に受け止められるのは汎用性の効く身体的な発達を促すことと、観戦が容易であったり発達しているため心理的に参加し易いからだろう。gameはそのgameをやっている人しか観戦できない(見てもわからない)。

・gameというより頭脳競技といった方がいいだろうか

暗算競技や数学Olinpicはまた違う気がする。遊びとしての運動、遊びとしてのgame、運動競技もgameもゆるい遊びから真剣な競技まで自由に程度を変えることができる。まず”遊び”として成立する。頭脳競技の類は通常遊びとしては成り立たない。

http://dhy.s321.xrea.com/netaHTML/n-fetd2.html

関連記事

No Comments »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URL

Leave a comment


sand-storm.net