SAND STORM

朝ぼらけ

2010年6月1日

遊びの本より

Filed under: 未分類 — sajin @ 15:15

遊びと人間  ロジェ・カイヨワ 講談社学術文庫

Agon=競争、Alea=運、Mimickry=模擬、Ilinx=眩暈

P166

文明の道とは、IlinxとMimickryとの組み合わせの優位をすこしずつ除去し、代わってAgon=Aleaの対、すなわち競争と運の対を社会関係に於いて上位に置くことであると言ってもよかろう。高度の文化が混沌状態より浮上するたびに、その因果関係はともかくとして、つねに眩暈と模擬とのいちじるしい後退が確認されている。眩暈と模擬とは、昔の優勢を失い、公共生活の周辺へ押しやられ、不法で犯罪的とまで言わずとも徐々に途絶えがちな貧しい役割におとしめられ、あるいは遊戯と虚構との限定されたruleのある領域に押し込められてきている。この遊戯と虚構の領域において、眩暈と模擬とは人びとに何時に変わらぬ永遠の満足をもたらしてはいるものの、しかし、その動きは拘束されており、人びとの退屈ざまし、あるいは労働の憩いの役目しか果たしていない。こうなると、錯乱もなく妄想もないのだ。

P167

混沌の社会においては、仮面を着用すれば、力と精霊、活力と神々の化身となれる(また化身となったと感じられる)。仮面の着用は、すでに述べたように、物真似と恍惚との強力な結合の上によって立つ、原初的文化類型の特徴をなるものである。それは地球上くまなく伝播している、しかしまちがった問題解決であると思える。この強制的で魅惑的な疑似解決は、遅々とした、辛い、辛抱のいる〔しかし〕決定的な〔社会〕進展に席をゆずるべきものであろう。こうした罠からの脱出がすなわち、文明の生誕ということに他ならないのだ。

P168

ヨガとは、誰しもが想像するとおり、内面化であり、恍惚の力を精神面へ置換することなのだ。さらに、ヨガにおいては、もはや世界空間の幻想的征服が問題なのではなく、世界という幻想からの自己解放が問題なのだ。

P254

賭けは自由な通貨のかなりの部分をあまりに早く流通させることによって逆に固定させている。こうしてこの通貨は、国家の経済的発展や住民の生活水準の改善のためには役立たぬものとなってしまっている。賭けに当てられた金は、家具、世帯道具、器具、衣類、予備の食料などを買うこと、すなわち国の農商工業の飛躍的な発展を促進する結果を生むであろうような使途には一切用いられない。この金は、一般的な流通経路からははじき出され、閉ざされた回路内での一定のSpeedyな流通過程に入り込み、全くむだに費やされてしまう。というのは、賭がこの悪循環から逃れることは滅多にないからである。儲けは、時と場合によって行われるどんちゃん騒ぎの費用の天引き分を除き、再び賭けられる。


関連記事

No Comments »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URL

Leave a comment


sand-storm.net