SAND STORM

朝ぼらけ

2010年2月22日

Daily Log (February 2010)

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 13:00

◇over 30

三十過ぎてようやく誤りが誤りであるとわかるようになった。

◇自分のgameの受け取り方

自分のgameの受け取り方は料理と一緒。

料理においてこれが抜けたら話にならないものは何か。味だ。gameにおける味とはgame性である。幾ら見た目が綺麗だろうが、高い食材を使っていようが味=game性がまずければそんなものを高く評価できるはずもない。

また、通常料理ではあまり意識することはないが、人体に有害な物がどれだけ混入しているかも問題になる。なぜならgameはこれら毒が多分に含まれているからだ。自分が不快性として評価(negative rate)しているのはこの毒の側面になる。どんなに高級な食材を使い、一流の料理人が調理したものでも、そこに発癌物質まみれの焦げの塊、ゴキブリ、放射能、人体に有害な化学薬品が入っていたら話にならないだろう?逆に駄菓子や安価な食材しか使っていないものでも、上手く調理され毒が少なく美味しいなら大いに評価されて当然だ。gameにはその味を楽しもうとすると、同時に毒を食わせるものが多すぎる。

graphicやちょっとした触感などバッとわかって楽しませる部分だけでgameを評価するのは、料理を食べもせずに見た目と匂いで評価するのと同じ事だ。ちゃんと食べれば美味いか不味いか毒が入っていないか、必然的にその感想が出てくる(もちろん毒塗れのものを最後まで食べろとは言わない)。まず味が良い上で、それが見た目や匂いと組み合わさって高度な楽しみを実現する。gameとはそんなものだろう。

gameは料理同様に、食べるまでの選択が楽しくもあるが、食べる過程と食べた後の感想が本質なのだから、食べやすいか胃もたれにならないか、それが身体にとってどのような栄養となって生に寄与するか、そういった感想もあって当然。毒が入っていない、少なくとも取り除く努力をする、というのは美味い味を打ち立てる以上に大切なことだ。世の中が食事における毒にこれほど敏感なのに、gameにおける毒にこれほど鈍感なのは不思議なことである。

Hello! pack-Man

(よくわからないがニコニコの動画貼り付けをWordpressに行うと、貼り付け以下の文章の改行がすべて吹き飛ぶようになったのでLinkにしておく。)

Pac-Manというと二番煎じ、三番煎じみたいなことを繰り返して、side scroll ActionになったPac-Landからは方向性も迷走しているようにしか見えず、このHello! Pac-ManもPac-Manを流用した子ども向けの下らないgameだと思っていた。

それが、動画を見るとこんな作り込みと革新性に満ちたgameだったとは驚いた。

まず、Action Adventure gameでありながら主人公を直接操作するのではなく、Sling-shotを弾いてAIで動くPac-Manに注意を与えて二人三脚で進めていく革新的なgame性。AIで動くというのは下手すれば不味い不快性にしか繋がらないが、このgameのAIはそんなものとは無縁だ。それぞれの場所で見せるPac-Manの動作・表情の豊かさは凡人の想像を遙かに上回る。こんなに作り込んであるgameは他にない。

◇本の攻略

1.難解な書物であってもただ読むことはできる。その時何かを感じて楽しむなり何なり感動すればそれでいいといった読み方。

2.次に線を引いたり、特徴的な文言を抜き出して大書したり、枠で囲ったりと解体整理し、注釈を入れる読み方。

これはより正確に深くかみ砕いて理解することに繋がり、後で見た時にもすぐわかる。とは言え、それをそのまま自分の道具のように血肉化して使えるかというとそうでもない。

3.やはり、それを自分の社会に対する行動の中でOutputして使用していかないと、道具化は無理だ。

その為には2.の手間を踏まなければならない。1.はとても楽だが、あまり何も残らない。2.はとても手間がかかる。3.は刺激があり、実益を生むこともできる生き甲斐に繋がることでもあるだろう。

1.は楽しみ主導、2.は自己理解の為の苦行、3.は実益主導

◇生活の改善と回転の負荷

身の回りのことを片付けつつ本ばかり読んでいる。Twitterでべちゃくちゃ喋っているぐらいなら、自分の興味や専門に関わる本でも読んでいた方がいい。

片付けをし、自分の行動を見、必要なものを新たに取り入れて環境改善をすれば、生産性というのは幾らでも上がる物だ、というのをやればやるほど実感する。

物事が上手く行かないというのは、食べる、排出する、趣味に逃避する、歩く、着る、脱ぐ、洗う、そういった自己の活動の回転の個々の部分が汚れていたり、詰まっていたり、古びて使い物にならなくなっていたり、そういうことが積もり積もった結果、上手く行かない=何をやるにも時間がかかり、労力が入り、いざやろうとすると肉体・精神に負荷が掛かる状態になっている。

もつれた糸を無理に引っ張ろうとしても上手く行かないが、地道に部分部分を洗い改めていくと、自然とこれまで負荷が高くてできなかったことがスッとできるようになっている。

◇接球

独自用語のきらいが強くなるが、接線が重なった結果できる世界の認知は接球と呼ぶのが適当か。

また接点を現実の経験に基づいた現実認知が多分に含まれるものと限らず、接線を構築するものであれば他者に与えられた断片的な情報も接点と呼ぶべきだろう。主にMass mediaが流しているものや、現在のTwitterで流れている物がこれだ。そもそも元になる点の位置が狂っている段階でまともな接線は引かれないのだが、こういった質の悪い接点に基づいて接線を構築していくと、接球は限りなく偏り狂った物になっていく。

質の悪い接点は、最初から接線(Story)と一体となっていることが多いが、(戦後日本のような)ある接点を与えれば対象がどのようなStoryを生み出すか容易に想像できる環境では接点だけで済む。

良質な接点->接線->接球は全体構造の把握と適切な処置に結びついていく。一方、悪質な接点は全体構造の把握から遠ざかり、生成された正義で不変のStoryを以て他者に殴りかかって、物事を解決から遠ざける。

◇Twitterと政治

・同言語、同国民、同文化、同世代などでparts共通率は上がるが、人間は個々の全く別の生態系の中に生きている。

・行われているのはその個体の生態系に異物を取り込ませ、その個体を己(もしくは己が従う)生態系の利益に奉仕させるinfluence(影響浸透)のgame

・論理的、現実的な構造・世界の把握でなく、感情を刺激し対象の内部にStoryを作り出すことが主。blogでもその傾向はあったが、Twitterは極端に前者が消え、後者が蔓延る。

・有力な操作集団のinfluenceを受け、Virusを撒き散らす側になった人間が祭り上げられる。踊り娘はもてはやされる。

・被影響者は他者が作りだした”正当な”感情を強く刺激する接点を基に、己の中のStory(接線)を接合してSphereを創り上げる。主観にとって”正当な”世界がそこに生まれる。

・こういった現実ではなく、人間の物語依存の認知に影響を与えるドギツイ色付きの情報を売って、個体にStoryを作り出す手法は日本で左翼が得意としてきた手法。系譜としてその臭いが強い。

・Twitterで好まれるのは直接”これはこうなっている、だからこうした方がいい”ではなく、”その裏側はこうだった!だからあいつらは信用ならない!!”というMass medium不信に駆られているが、構造認識・全体認識能力を持たない層への浅い局部的な事実を用いた煽動。これは”陰謀論”的な接線形成とも関わるが、局部的な事実を以て個生態系にinfluenceする有効な手段として猖獗を振るっている。

Twitterは個体識別(SNS)、放言(断片的な日記)、Chat色、delayをかけられる掲示板的な要素、様々な物が組み合わさっているが、結果を見るとネズミ講として機能する面が日本では強いか。オタク的な趣味への逃避、というよりある程度自我が安居できる場所をそこに築いておいた上で、冷めた目で見るのは利口であると言えよう。他者に設定された環境での狂った認知と感情の乱舞に身を任せれば、自己と他者を衰退と破滅に追い込むだろう。

また無力化されたままの被侵略環境での政治的支持は綺麗事でなく、自らの母集団を強化するものをキッチリ支持しておくか、一切関わらず個人的利益を追求していくのがbestであるし、それらの配分を考えながら両立させることは別に無理でもない。

◇年代物のWrap

掃除していたら出てきた。古いのは恐らく1980年代のものだと思われる。

◇Firefoxの設定適用順序

about:configでCacheの設定を変えても元に戻ってしまうのでおかしいと思って調べていたら、

about:config=Documents and Settings\os\Application data\Mozilla\Firefox\profiles\[profile]\pref.jsでこれはTemporaryなもので、user.jsに書いたものがpref.jsの後に上書き適用される仕組みだった。

Firefox起動 -> [profile]のpref.jsをload -> user.jsを上書き適用

という順番

◇favicon.ico

favicon(SiteにAccessした時、URLやTabの左に表示されるIcon)を設置してみた。手書きなので何か変だ。

bookmarkや履歴を表示した時にわかりやすくていい。

◇7は最後のWindowsになる?

こうしてことある事にuserに負荷を強いるMSの腐れ切った商売に付き合っていると、なぜWindowsの簡易代行品がでてこないのか不思議だ。

大半の企業や家庭での使用はOpen Office.org,Web Browsing,Mail程度で、後はせいぜい音楽が聴けたり、動画を見れれば十分だろう。これらがLinux baseのものでできないとは到底思えない。OOoにせよ、LinuxのGUIにせよ、まだ品質が低く移行条件が整っていなかったということか。

しかし、ここ数年で状況は大きく変わっている。browserがNetscape失速後、長らくMozillaがパッとしなかったのはFirefoxで一挙に覆っているし、特にOffice代行のOOoが伸びてきたことで条件が整えば企業は一斉に脱出するんじゃないか?

「7は最後のWindowsになる」、こう大胆に予測してみるか。

◇Windows 7 -> XP downgrade

Windows 7 Ultimateをdowngrade目的で購入して、2nd PCにinstallしたんだけど、downgrade方法がわからない・・・

よく調べたらVista->XPはMicrosoftはこれまで直前のOSへのdowngradeを認めてきたので無期限だが、7->XPは特例なので発売から一年半もしくはSP1が出るとdowngradeできなくなる。

7は喫緊の必要性が生じない限りinstallする気はなかったが、これは7はMain PC用に回して、Vista Ultimateを安く仕入れてそれをdowngradeする形でSubにinstallしないと駄目だな。

◇Hitするもの

・彼らの生態系に合致していること

・彼らにとって使い易い道具であること

・彼らにとって今必要なものであること

◇Hardware review

Hardwareのreviewで一月ぐらい付き合った上でのものは、それがただの感想であっても大いに役に立つが、買ってすぐ「使えた、よかった!」「使えなかった、最悪だ!」というのはほとんど役に立たない。

◇環境再構築

CHKDSKを繰り返してようやく元のOS driveから諸dataを取り出した。どうもHDDが物理的にかなり傷ついているようなので新しいHDDにOSを再installして環境を再構築した。こういう作業の最中は大概Troubleのため試行錯誤を繰り返し、missも多く何が原因なのか検討がつかなくなってイライラしたり途方に暮れることが多いのだが、今回は諸々含めてこのような環境や繋がりの脆さを強く感じた。このようなDigital環境そのものと、それに頼る自己自身が脆い。

今後はもっと多重の接続環境を整えるし、backup頻度の向上、その為の環境構築、data整理なども行っていくが、そもそも脆い。

Windowsをinstallし直した時に各Applicationのinstall情報や設定を引き継ぐ方法

My Documents\Application dataからのdata移行は済ませたが、まだ以下のregistryからApplicaationの設定dataを取り出して移設する作業が残っている。

レジストリ・ハイブをロードしてオフラインでレジストリを閲覧・編集する @ IT

◇格闘gameにおける許される永久patternと許されない永久pattern

単に見物する側から言うと、曲芸として成立している永久pattern(相手がRoundを失うまで続く連続攻撃)は特にgameを破壊しているとも思わず、むしろ見ていて面白い。つまり、見世物として面白く、継続中missも犯し易いので、決めきること自体がplayerの超人的な腕前の証明となるようなものだ。そういった永久は勝負に華を添えている。

例:カオスブレイカーのNSHIDOR(髑髏馬に乗ったUndead騎士)による複雑多様な技を組み合わせた永久、北斗ジャギ/シンの百列->バスケ

逆にeasyな技を繰り返すだけで成立してしまう永久patternは見ていてつまらないし、格闘gameを衰退させた主犯の一つでもあるだろう。

例:北斗のレイによる超必殺多段Hitと小足/小Pを繰り返せば成立する百烈&バスケ、月華の剣士の骸の前leverを倒したまま小Pを繰り返すだけの永久、カオスブレイカーのヴリトラのJumpと小Kを繰り返すだけの永久

[許される永久]

・発動に複数のGuageを要するなど大きな犠牲がある

・balanceを破壊する側でなく、保つ側 (北斗マミヤ)

・複雑多彩な技を連携するので、見ていて面白い

・難度が高く、決めきるのが難しいのでbalance崩壊につながらない

[許されない永久]

・発動にほとんどGuageなどを必要とせず、機会も豊富(北斗レイが典型)

・普通に闘って十分強いcharacterが便利な永久を持っている(カオスブレイカーのヴリトラ、北斗トキ)

・One patternで見ていてつまらない(月華:骸)

・難度が低く、決めきるのが簡単なのでgame balanceを崩壊させている

両者の特徴をザッと大別するとこんな感じになるのではないか。もっともこれは見物人から見ての話で、実際にplayをし続けているplayerから見ればこういった基準は大きく異なるだろう。

◇中野TRF発の格闘game配信を見てきた感想

A-S級のplayerが単に技の精度だけでなく、新手法を開発しながら鎬を削っている段階が一番面白い。北斗はそれが行き詰って、S級playerが抜けてからは面白みが落ちた。ザッと見ているとA級から上のplayerはどんな格闘gameでも面白くしてしまう能力があるようだ。北斗からSF4に移っていったような、A-S級playerが集まってくる話題のgameに移ってplayする競技志向の渡りtypeとカオスブレイカーやブレイカーズリベンジを遊んでいるminorでも自身が面白いと感じる特定のgameを志向するtypeは分かれている。おそらく後者はsingle gameを詰めてplayするのも好きだろう。現在北斗に残っているのはCommunity志向typeが多いのではないだろうか。

格闘gameは強キャラ+強パターンが幅を利かす中級以下は極度につまらないうえに不快性が高く、それらが出揃った上でそれでも上回るものを技量・発想両面で出してくる次元のplayは面白い。中野TRFは単にそれを知らしめただけでなく、それに参加できるようにしたという点でも素晴らしいと思う。

◇中野TRFの革新性

中野TRFは永パ(一度comboが入るとそれが死ぬまで永久に、実際はRound終了まで、攻撃が続く)という格闘gameにおいて最も理不尽とみなされていたものを逆に見世物とした点、実況解説を組み合わせることで熟練した上級者以外には理不尽にしか見えない要素を説明して補完し、そこにニコニコのreal-time comment systemが組み合わさって視聴者levelでの没入感、参加のし易さを格段に引き上げたことが革新的だ。

その割に一部を除いてview数があまり伸びていないのは配信場であるニコニコがあくまで日本中心だからか。独・西・台・日と対応している中で格闘gameの需要があるのは日台だけだろう。簡体字中国語と英語に対応していない以上伸びは限られる。

著作物の二次利用であるために直接儲けることは難しく、game Center側の収入は動画を宣伝媒体として実際に店に来てもらってのIncomeに限られている。運営の実態は、実況の多くや動画のEncode/Uploadをplayerの無償奉仕に頼っているため、場の提供者であるgame Centreにやさしいと同時に東京の様な活動的なplayerが多い場所でないと成り立たない。それが、他にこの大会+実況+配信の形態が広がらない理由にもなっている。

◇格闘game動画

中野TRFの格闘game大会+実況は2007年ぐらいからずっと見てるんだけど、ブレイカーズリベンジは一番面白い。終わったダブルドラゴンも良かったが、こちらはA-S級playerが通常歯が立たない強キャラを平気で倒していくので格闘gameの面白さが表れている。

不思議なのは一番面白いブレイカーズリベンジやカオスブレイカーの視聴数が1000に届かないこと。この域のplayerが繰り広げる対戦+実況の組み合わせは娯楽として十分成立していると思うが・・・

計る測る量るスペック調査隊:サーモグラフィでPCの発熱を測定せよ【前編】 (3/3) @ ITpro

HDDはよほど風通しをちゃんと設計していないと本当に熱くなる。FPSでよくでてくるが、Thermographyがほしいな。実売170万のようだ。

◇かつての新聞・雑誌は記事単位ですべて復活するか

KindleでもiPadでもなんでもいいのだが、今まで出てきたすべての新聞・雑誌が記事単位で売られるようになるのはいつだろう。GOGに出品するPublisherみたいなもので、今の出版屋など先細りで死んでいくのが目に見えているのだから、市場さえ整えばどんな形態でも売りにだしてくるはずだ。

戦後ずっと生きてきて不可解だったのが、毎日毎週毎月、ほぼ使い捨ての形で情報が垂れ流されていることだった。あれほど金と労力をかけて読み捨て流し捨てのものを100年以上作っているのだから凄いものだ。そのムダさ加減が。使い捨てカメラの比ではない。

◇PC98時代のgame

私がPC98時代のPC gameについてウンヌンしないのは、それが必然的に罵倒の嵐となるからだ。あの時代のgameを評す場合、一部時代を超えて通用するものがあるものの、大半は当時ですら不満に満ちたものだったし、今では最早論ずるにも足りない。

強いて論ずるなら、時代の限界を捉えたうえで、どちらかというとその時代の状況を中心に語り、その中の一物として扱うしかないと思うが、それほど時代背景に対する経験や知識がある訳ではないので、そういうのは当時生きて自ら開発した旧開発者などが行えばいいと思う。しかし、彼らは彼らでもう終わったこととして処理しているためかほとんど何もでてこない。また、その様な開発者に食い込んで歴史やDocumentaryに仕立て上げるJournalistもいない。

戦後日本はその黄金期の文化が”サブカル”などとして下等なものとして扱われているために、それらをまともに捉えようとする努力が薄すぎる。例えば音楽でいえばRock,HM/HR,Soulその他は分厚いJournalisticな資料が映像・文献ともにたんまり出ているが、gameにはそれがない。

◇PC間を自由に移動できないWindowsがいかに駄目な代物か

OSがPCに固定されて移動できないという一点からだけ見ても、WGAを取り入れてからのWindowsがいかに駄目なものかわかる。

昔はChipset driverなどとの関連でPCを構成するHardwareに縛られたものだが、driver群とその適用法さえ進化すれば、本来、Hardwareに対応するdriverさえ揃えておけば、OSの入ったHDD、いやdataとしてのOSを取り外して他のPCに繋いでもそのまま使えるのが当たり前だ。

つまり本来ならOS自身がPCに対してPlug-and-playできるのだ。それを個々のPCというHardwareに固定するProtect systemがWindowsを融通の利かないゴミにしてしまっている。OSなんか本来、USB memory一本に入って、それを挿しさえすればどのPCでも使えるものになるのが当たり前。

◇FTP Tool

どうしてrootFTPは開発停止してしまったのだろう。FFFTPなど使いにくくて仕方が無い。上段左に接続したserverのTree構造を、右に選択したfolderの中身を、下段左にclientのTree構造右に中身と表示する当たり前過ぎるぐらい当たり前のことができないFTP softwareをばら撒いている開発者には金でももらいたい気分だ。逆にrootFTPの作者には1000-2000Yenほど寄付したい気分だ。

◇Twitter飽きた

飽きた、というかムダが多いのに気づいた。

もともと、自分自身が書いたのですら無意味な断片的「つぶやき」の垂れ流しを見るのも書くのも嫌いだし、小沢がどうたら検察がどうたらと、しょうもない低次元のバカを騙そうとしている情報がひたすら流れてくるのでウンザリする。余程面白い人間とTwitし合うか、Mass Medium的一斉大量垂れ流しの装置を背後に持っている有名人ででもないとあまり意味がないだろう。

情報集積発信所としてのblog構築に優先的に力を注ぎ、Twitterはその発信と遊び程度とすることにした。

◇OS依存は馬鹿らしい

こうして前のPC、前の環境を使わざるを得なくなったりすると、常用するsystemが個々のPCやOSに依存するというのがいかに無駄で、不安定で、馬鹿馬鹿しいことか思い知らされる。

このWordpressみたいに全部Web上で済ませたほうがいい!

◇娯楽と実益を兼ねてのblog

人間の頭のcapacityは限られているので、ある時それを十全に処理できるように情報を身に着けたとしても、それをずっと保持しておくのは無理だ。

たとえばこのblogで扱っているgame個々や、PC自作などはそれぞれ必要のないときにはまったく必要ないもので、むしろ積極的に忘れてしまわないととてもじゃないが数はこなせない。

(gameなどはそれぞれが内的異界を成立させているので普段の現実と遮断されるし、PCのHardwareは陳腐化が早く、すぐ情報につながりがなくなる)

そういう場合、何かに情報を吐き出して記録しておけば、再び必要性が生じたときにAccessしてまた身に着けれられるのだけど、記録する対象が何かで結果は大きく異なる。

例えば、鉛筆にNoteですべて書き出していったとする。一々紙をめくって目で追わねばならないので検索性は著しく悪く、消しゴムで消したり、紙を張ったりしなければならないので更新は難しく、結果それを再び参照、再使用することはほとんどなく、再び見た時は数十年後そのNoteを捨てる時、「ああ懐かしい、でも何の役にも立たなかった」となりがちだ。

昔の孤立したWord Processor(ワープロ)やNetとつながっていないPCなど、off-lineで孤立したものに書き溜めていったとする(off-line isolated)。systemさえ積んでいれば検索は容易で、追加・修正も簡単だ。それも頻繁に関わっている最中こそ使われ更新されるが、一旦離れると恐らくNote同様に忘れ去られてしまうだろう。孤立しているから。

では場所をNetにつながったPC上でのHTMLにする(on-line closed)、ただし公開しない。Linkなどを張ることができるのでそこそこ便利にできるのだが、これも一旦忘れたらポイだ。ただ自分の興味によってのみ為される情報は自分が興味を失うと同時に価値を失う。

そこから更に公開型のblogなりwikiにする。ここでは”検索”が内からのText検索とGoogleなど外からの検索など二重の検索に晒される。そして、公開されているという緊張感のために更新頻度も上がる。情報連結も自分からのLink/言及と外からのLink/言及の両面から行われる。ここでは、後の一旦全部忘れた自分でも使えるように綺麗にまとめることが、その情報を身につけていない他人が使えることと一致する。

Note: 検索× 更新× 利便性△ 連結×
off-line isolated: 検索△ 更新△ 利便△ 連結×
on-line closed: 検索○ 更新△ 利便○ 連結○
on-line open: 検索◎ 更新◎ 利便◎ 連結◎

業務なり何なりで頻繁に使うならその対象がNoteでも孤立したPCでも、検索できるように棚が置かれ、使われる型で記録され、他人の目が入り、と問題ないのだが、趣味やたまにやることは進化した記録形態で記録することが必要だ。

ただし、公開型記録は利点が大きいとともに、公開による危険も負う。

この点、Wordpressの様な記事単位でOpen/Private modeを切り替えられるsystemはいい。またblogは気軽さに欠ける替わりsystemとして垂れ流しを強要され、それが自身による再利用を考慮しない記述となる傾向がある。一方、再利用するような形での記録形態HTML->Wikiはそれぞれ使いにくさがあり一長一短だ。

on-line open記述も昔のHTML->日記system->blog/Wikiと発展してきた。これからもっと発展していくだろう。

現状Wordpressは、blogの使い易さと、即座に編集に入れるAccessibilityの高さで頭一つ、いや豊富なPlug-inとそれを反映していく頻繁な更新のために頭二つ抜けている。

◇三寒四温

三寒四温とは言うが、春の気が入ったり、真冬に押し戻されたりと気温の上下が激しく整えるのが大変だ。数年前よりかなりマシだが、余程視床下部が壊れたらしい。

◇わからないことがわからない

・「わかる」ということは、わかるために必要な情報を十分揃え、わかるやり方でつなげること

。わかるとは既存の脳に構築された神経の体系へ、新たに接続すること。つながらないようなものをつながらないようなやり方でひたすらこすり付けてもだめ。

◇帝都ウィーンと列国会議 幅健志

Napoleonが敗北し始めてから、敗北後のFrance含めた欧州処理、Wienでその処理にもめながら踊っているとNapoleonが再挙するなど、通常描かれないHabsburgを中心とした反Napoleon側で描かれる。

随分前に買ったものでピンとこなかったので放っていたが、Napoleonの戦勝話に飽きて、その敗北時の話に踏み込んだり、Europa Universalisで舞台や全体像を枠として持つと、興味をもってとりこめるようになった。

◇漫画をよんだ

野望の王国を全巻再読して、ついでに風の谷のナウシカも通読した。話がつながっているようで面白かった。

ナウシカはα体験の化身であり、トルメキア・神聖皇帝らはβ秩序の極み、γ秩序は存在しないせかい。

◇PC Trouble

PC自作も十年以上やって、複数台溜まってくると関連情報を記憶しておくなんてことは無理だな。自分で覚えてなくとも、Netには情報が蓄積されているのだから、blogか何かに吐き出してどんどんLinkでも張っておいたほうがいい。

それとPush phoneの番号で認識するservice、あれは駄目だ。認識しないことが多すぎる。何十分もPushphone番号認識と格闘していると、イライラするだけでなく、一体自分は何をやってるんだという気になる。


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4 Comments »

  1. 北斗の拳が代表みたいになってるのは、知名度の高い北斗の拳のキャラや設定と挙動のギャップが笑いの要素として見られてるからでしょう
    再生数の低さは大抵知名度の無さに起因してるんでしょう。

    Comment by   — 2010年2月5日 @ 12:06

  2. 確かに北斗は大衆をひきつける要素に満ちている。
    それと東京を絶対的な中心とするオタク層の分厚さと結びついたcommunity維持力が数を繋ぎとめている要因かな。
    逆に純粋に格闘Gameとして見たとき、差し合いの巧みさや発想の意外さが生きる場面は少なく、
    バスケに象徴されるように、片方がchance makeをする機会がほとんど消されており、一発逆転要素(彼らの言う”ワンチャンだけで勝てる”)がそれを補っている特殊なGameだと思う。
    北斗から格闘Gameとしての面白さを十分に見せているほかのGameの実況配信に人が流れないのは残念だけど、ダブルドラゴンやブレイカーズリベンジも初回は十分な視聴数があるのだから、格闘Gameの面白さだけで見続ける人は国内で千人に満たないというのが現状なんだろう。

    Comment by sajin — 2010年2月5日 @ 18:20

  3. ->Windowsはいらない
    いくら無料でも使いにくければ現状新しいものを理解できなければ使わないというのが主流の消費者なので
    (分かるように作れば買ってやるという態度)Linuxが勝てるとは単純に言えない気がします

    そしてそれはどこも(NintendoもWiiで挑戦したがスペックに見切りを付けて為矛盾が出てきて失敗した)
    実践しきれてないから、どこかが過剰なまでに優しいUIを作ればそこが勝つのではないかと見込んでいます
    (内乱で開発が止まったOpenOficceでは取れない、開発途上の全てのブラウザは戦国時代)

    Comment by   — 2010年2月9日 @ 10:25

  4. たしかに、本当に徹頭徹尾”タダ”ってのはわかるように作るincentiveが働かないからなぁ。
    OOoは知らないけど、Browserの戦国時代が悪いってのは認知の誤りだなぁ。戦国時代ってのは一番強いって事だよ。しかも消費者にとっては圧倒的に便利。
    独占環境でmonocultureやってるのが一番何もかも停滞して不便。ChromeとFirefoxがあればIEなんかもういらないでしょ。

    今低価格車がでてきている。
    印度や中国、Africaみたいなこれから圧倒的に中産階級が増える場所では低価格ってことが決定的に重要になるから、低価格化の圧力はこれまでと比較にならないくらい強くなるよ。
    高くても質が良ければ物を買ってくれた西側と、それを海賊版で使う途上国じゃなくて、市場が一体化するから、そこそこいいものが出てくれば雪崩を打って乗り換えるんじゃないか。
    BaseになるOSの表層の使いやすさとOOoのようなFree Officeの品質次第。Microsoft帝国は自由な市場の果てに成り立った共産主義みたいなものだった。

    Comment by sajin — 2010年2月9日 @ 15:01

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