SAND STORM

朝ぼらけ

2010年5月12日

擬音研究会

Filed under: 未分類 — Tags: , — sajin @ 17:18

擬音研究会は私砂人が立ち上げた研究会で、擬音の気持ちよさと有用性を追求していく会である。

当座の活動は思いついた擬音や発見した擬音を適当にこの記事に書き込んでいくことを主とする。

擬音研究会は老若男女を問わず擬音愛好者の参加を歓迎する。とりあえず思いついた擬音を適当にcommentで書きなぐることから始めてもらいたい。


◇野辺と工場

野辺を歩きつつ廃れた工場を見ていたのだが、こういう停滞した人造的、機械的なものからは擬音は生じにくい。ここでの擬音は外的な音を擬音化したものではなく、身体の内から発生するものだ。生きて躍動している野辺の方からは無数のrhythmが聞こえてくる。

状況→人間→擬音=通用する道具: 言語学者にはこういう解釈が多いように思う

状況 ⇔(擬音)⇔ 人間 : 実態はこうで、振動する世界と人間が共振して関わり合う

擬音は状況に応じて人間の内に発生し、それによって人間はそれを与える世界に精神・肉体両面で取り込まれ、必然それに関わっていく。

擬音というと音だけになってしまうので定義が狭い。世界が生きて動いていることが伝わってくるので波動とでもいった方がいい。

◇ふくふくの歌

肉体労働をしているとふくふくの歌というのが発生した。「いーんいんめつめつふーくふくふーくふく」ってこれだけじゃ音調がわからない。

いわゆる戦後の日常に溢れている歌は格好付けと色恋の、つまりシモネタを格好つけているだけなのでCoverする範囲が恐ろしく狭い。

◇数学世界がそれだけで成り立っているという信心

を思いついた時に、ぽーこぽこぽーこぽこぽこぽこぽーこぽこという擬音で表されるような脳が心地よくあわ立ち、その泡が浮かび上がってくるような状態だった。

◇腹重し

どろーん、ぼぼーん

オノマトペ研究への前哨 橋本敬司

これは、現代のマンガ、新聞、雑誌、広告などのマスメディアに見られるオノマトペ、また多くの詩作品に顕著に見られる詩語としてのオノマトペなど、多用な装いに包まれ、自らを多様に変容させてゆく日本語のオノマトペを、この豊かなオノマトペを有する日本語の体系の中でどのように位置づけることができるのかという大胆な試みのための、ささやかな前哨である。

金田一春彦は「日本語はもともと音節の組織が単純で、リズムの変化に乏しい。それを救うために、擬音語・擬態語は重要であるということは、童謡や民謡のはやし言葉を考えても明らかである。漫画などに見られるような品のないものは退けてもいいが、もっと我々はこの種のものを大切にして、それの活用を図ることを考えて良い」

ソシュール言語学において、擬声語即ちオノマトペは、その言語記号の第一原理である能記と所記との恣意性の稀薄さ故の有縁性と数の少なさから、その言語記号体系の構成要素とはみなされなかった。このことから、オノマトペ研究は言語学の周縁に追いやられ、また研究者もあまり多くを数えない。しかし、日本語のように多数のオノマトペを有する言語において、オノマトペがその記号体系を組織する要素とならない、などと言うことができるのであろうか。

おそらく答えは否であろう。われわれはこれに変わる新たな視点を見いださなければならないにもかかわらず、未だに見いだし得ていない。「オノマトペの楽園」といわれる日本語とそのオノマトペの特徴と本質に迫る新たな視点は、日本語のオノマトペそれ自体と日本語を対象にした研究以外に見いだすことはできないであろう。

「オノマトペ・擬音・擬態語の楽園」の分類

「ズイズイズッコロバシ」(鬼定め歌)、「オジョンマジョンマ」、川上音二郎の「オッペケペー」を挙げているが、確かにこれらは音の面白さを音自体が自己表現しているのであって、ここから何かの意味を読み取ろうとすることは全く無意味であろう。氏はこの音感語について「このような語における音声の役割は、音象徴性とかかわるものでありながら、表音語よりもっと直接の、非描写音楽において楽器音の果たす役割と連続するものとして位置づけることができると思う」として、非描写音の楽器音に連続する音と考えている。しかし、この氏の言葉の最も重要な点は、感覚刺激に訴えるだけの音声やリズムといった表情を備えた音それ自体の言語の存在を明らかにし、意味という呪縛から解放された言語理解の可能性の地平を開いたことである。音感語は音声やリズムという身体を備えており、また、この身体を持った音が刺激するのも人の身体であった。つまり、氏の音感語の考えは、人の身体から発した音が意味という過剰を捨て去りそれ自体の身体性を回復し、受容する人の身体を刺激し、受容者はそれを身体によってしか感受することはできないという構造を明らかにしたのである。この音の身体性は音感語においてもっとも明瞭であるが、これは、表音語・表容語などの音象徴語においても身体を見いだすことができることを示唆するものであると言えよう。詩人谷川俊太郎は「オノマトペというのは、一番身体に即したことばだという気がするんです」と言っていた。

日タイ両語における擬音語・擬態語について パンニパー・スートンムニー

外的形態から言語学的に分析した日タイ対象研究。まったく直感的でなく言語研究者向け。同時に収録されているには、「キリスト教の日本に対する影響」など面白いものが多い。

オノマトペ研究の参考文献

論文をInternetに無償公開することと補助金を結びつけないと駄目だ。

幾つか論文を読んでみたが、こういう言語学的な、純客観的、外形的Approachには限界がある。生のざわめきである擬音の奏者でないものが擬音の本質に入ることはできず、その研究はいたずらに外形的特徴を分断して造語を並べ立てるだけだ。瓜の中身を調べずに外面を眺めてばかりいるようなものである。

◇もくもく

もくもくというのは面白い擬音だと思う。

黙々と働くという風にも使われるし、もくもくと煙が上るとも使う。

どちらにも男性的な質朴な雰囲気がある。しかしそれは一見大人しくとも、内からenergyが隆起し、積み重なっているのだ。

◇脳内の神経がつながる音

夢を見ていて脳神経が繋がる擬音が聞こえたのだが忘れた。

ピカリンではなく、ピチュンでもなく、何かそういう音だったのだが・・・

◇思いつき

お前の脳髄ピピロンガ

こういう、よくわからない言葉をよく思いつくのだが、外に出すのがはばかられるものが多いのでそのまま忘却するようにしている。人間の内的状態の中で高まったものが強烈に浮かび上がってきて、それを音のように表現しようとするとき擬音になるらしい。

ピピロン ピピロン 目ん玉がー

◇鳥か何か獣になりたる夢

ぎええええええーっ キエーッ クワッ

フッサカ フッサカ フッサカ スタッ

◇日本語オノマトペ辞典 小野正弘

Onomatopoeia(オノマトペ)擬音語・擬声語4500を収めたこの辞典はどこをめくっても強烈な興味をそそられる強烈な本だ。自分が何の気無しに使っている擬音がどのような繋がりの中で使われ、生み出されてきたのか、それをひとつひとつ解説され、知ると認知の革新を迫られる。知っている擬音の解説もいいが、聞いたことはある、見たことはあるが詳しくは知らない擬音の解説などがずらずらと並んでおり飽きることがない。

こうして擬音を学び、自覚していくと、普段聞こえてくる様々な音が擬音として捉えられるようになってくる。歩くときのジャリッジャリッという音、さむざむとした冬の大気、洗面台に水を流した時のジャーバシャッバシャなどなど・・・

・江戸以前の擬音はほとんどがひらがなの世界であり、今よく見かけるカタカナの擬音は近代化以後のものが大半

・擬音は奈良・平安の古典と関わりが深く、恐らくそれ以前の原始日本語との関連も深い

擬音は生命のrhythmと密接な繋がりがある。

「ジャーン!」「ズズズ…」「ゴゴゴ…」 JR羽咋駅前の「擬音」彫刻 漫画の主人公気分?

「ドドドド」などの石造は面白いものがあるが、「あべし」「チュミミーン」などの漫画の擬音はやはり、その漫画世界の中でのみ通用するものじゃないか。

ゴゴゴの石造が周囲の景観と合っているようには見えない。これは純粋に人造的な風景である公園などであれば合うかもしれない。ドドドドが合っているのも人造的な庭の一部だからか。

「バルッ!バルッ!バルッ!バルッ!バルッ!バルッ!バルッ!バルッ!バルッ!」は一見漫画的であるにも関わらず力が強く、現実を侵食する感がある。

もっとも気に入ったのは半ば鼻唄の「てーろりろり~~もももら~へらるらみもら~ずんずずずっ♪」で、つくったのは女性的感性の持ち主だろう。

◇ちゅっぱちゅぱ

「ど~ろどろどろ ちゅっぱちゅぱ」というのを思いついたのでずっと繰り返していたが、「ちゅっぱちゅぱ」というのはかなり力ある言葉だ。


[Link]

言の葉 > モンゴル擬音データベース


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3 Comments »

  1. 何かいい本はないかと候補を挙げていったが、最終的に中途半端に新書の俗本を買ったりせず、”擬音語・擬態語4500 日本語オノマトペ辞典” 小野 正弘; 単行本; ¥ 6,300にした。
    暇つぶしに読めば面白いだろう。英語解説のついたものはあったが、”世界の擬音”などといった形で各国の擬音を並列表記するものがなかったのは残念。

    Comment by sajin — 2010年2月5日 @ 14:27

  2. びゅるびゅるかドピュドピュか
    生命のrhythmと密接な繋がりがあるのはエロに近いのもあるんでしょう

    Comment by   — 2010年2月7日 @ 19:11

  3. 擬音は”本”とか”空気”とか静止した客観的対象ではなく、動的な状況に対する身体のざわめきを表している。
    Eros(生と快楽)とTanatos(死と破壊)は身体がもっとも激しくざわめく動的状況だから擬音が蔓延るのも無理はない。
    客観ではなく主観、静態でなく動態、理性でなく本能、頭脳でなく感覚、死物でなく生物、擬音は前者を吹き飛ばし後者に密着する。

    Comment by sajin — 2010年2月8日 @ 03:26

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