SAND STORM

朝ぼらけ

2010年2月18日

News & Study (February 2010)

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 07:30

面白くないとダメか? @ ネトゲ研究日誌

今はメディアだけでなく、一般人も発信できる。ファミコンしかなかった時代とは比べ物にならないくらい、情報が溢れている。
この時代に自分で考えたりするのは難しい。
自分で考えたと言っても、それは誰かの影響であり、本当に自分だけのものかも怪しい。情報を集めたり、決定する事が面倒くさい。

メディアには都合の良い時代だ。金をかけた額に応じて、声は大きくなる。
かくして何も考えない、流されるだけの時代は続く。
それのどこが悪いのか。普通の人にとってみれば、gameは気分転換程度の遊びであり、一時的なネタに過ぎない。

それでも分かる人の為に、ひとりでも多くの人に「面白い」を伝えるために説いていく。
まるで、どこかの宗教家のようだ。

Video gameというのは映画・音楽・書物の様に流行と作品性との間でbalanceが取れておらず極度に流行に傾斜している。

それには色々要因があるのだけど、やはりPlatformの不安定さが第一だろう。僅か五年も経たない内に前のPlatformが安定して使えなくなる。常に環境が断絶する。

またPlatform=Video gameを作り出す機器の性能が低い時代には見た目が作品とは呼べないようなものであったり、作品として創り上げようとしても手足を縛られ表現しきれなかった。逆に現実かと見紛うほどの表現ができるほど性能が上がると開発費が上がりすぎて徹底的に流行に媚びざるを得ないというbalanceの悪さ。

第二に、gameというのがそもそも複雑だということ。まず表現者側にとって、文章だけでなく、絵が、音が、入力が、それと絡まり合っての反応、本や映画、音楽など単体でも創ろうと思えば十分ややこしい物を部分として組み合わされなければならない。しかも、それらすべてを表現するにはprogrammingという高く果てしなく深い、しかも作品を表現することとは直接関係ない技能が必要になる。

受け手にとってもこれだけ複雑なものが組み合わさっていれば、仮に作品ができたとしてもそれを自分にピッタリなものとして受け取るのは難しくなってくる。作品性を薄め、大衆化する方向に振らないと、相互が噛み合わない。

[OGC 2010]“面白い”をお金に変えるには――成蹊大学の野島美保氏に聞くネットビジネス最新事情 @ 4gamer

野島氏:
そうですね。キラーコンテンツが重要じゃないというわけではないと思うのですが,コミュティが絡んだサービスとなると,やっぱりそれだけではないという ことなのでしょう。さっきの“二段構造”の話もそうですけれど,コンテンツとコミュニティの関係のあり方というのは,ビジネスという点で見ても大きな要因 ですよね。
いわゆるMMORPGのような“重いオンラインgame”というのは,その世界への没入感やバーチャルな人間関係を築きあげていく部分がとても優れたゲー ムだと思うのですが,一方で,そこで構築されたコミュニティというのは,そのgameに飽きたら終わってしまう関係でもあるんですよね。

4gamer:
もちろん,そこから仲良くなってリアルでの付き合いが始まる場合もありますが,その場合はmixiなど他のインフラ/ツールに移ってしまうんですよね。

野島氏:
ええ。

4gamer:
しかし,以前のインタビューでオンラインgameにお金を払う理由の一つとして,「gameのplayに経験価値がある」というお話がありましたが,その観点 から見て,カジュアルなgameってどうなのでしょうか。一緒に冒険して苦労して……という“体験”からすると,カジュアルなgameのそれは軽いようにも思 えますが。

野島氏:
んー,そこは以前にも「コアなMMORPGファンだからお金を沢山払う」みたいな議論はあったと思うんですが,お金を払う払わないで言えば,別にコアな playerじゃなくても払う可能性はあると思うんですよね。ブラウザgameにしても,一日中画面に張り付いているplayerがお金を払っているのかといえ ば,そうじゃないと思いますし。

4gamer:
そうですね。ブラウザgameでいえば,あまり時間のない人の方がむしろ課金している印象もありますし,一部のオンラインgameでも似たような行動原理はある気がします。

野島氏:
話をコミュニティに戻しますけど,みんなで苦労して達成するといった連帯感がある一方で,SNSにおける日記やTwitterのような,ゆるい形での繋がりもあるわけですよね。そこは使い分け,棲み分けなのではないかなと思います。

4gamer:
話ついでに聞いてしまいますが,最近流行りのTwitterについてはどう思われますか?

野島氏:
情報環境については私は専門ではないのですが,個人的には「また来たか」という印象がちょっとありますね。つぶやき云々の話って,一昔前なら「ポケベル」とかでも似たような議論がされていて。

4gamer:
ポケベルとはまた懐かしいですね。

野島氏:

だから,あの手のコミュニケーションのニーズというのはとても普遍的なもので,そのニーズを満たす商品なりサービスが,時代によって形を変えて(最適化されて)出てきている――という見方をしています。
その意味では,ソーシャルgameにも同じことが言えると思っていて,私は,あれに特別な何かがあるとは考えていないんですよね。というのも,流行るコンテンツは毎年変わるわけですけれど,別に遊ぶ私たちのDNAが変わるわけではないじゃないですか。だから,人が遊ぶニーズ/そしてそれにお金を払う理由と いう部分には,普遍的なものがあると思っているんですよね。

野島美保は”金”という学者が学問対象としては逃げがちな所と向き合ってるのが偉い。人がどのような時、場合、条件で金を払うかの普遍的な理由を探っていけば、それはより無理のない良いserviceを適価で提供する指標となるはずだ。

gameじゃないんだ @ ネトゲ研究日誌

・gameのためのコミュニティ
・コミュニティのためのgame

この2つの言葉には大きな違いがあるという。前者はgameに勝つ、game内の目的の為に他人と関係を築くのに対し、後者は既に出来上がった関係を更に楽しくする為にgameがある。

だが、mixiのソーシャルアプリとはそんな次元を大きく超えている。mixiが目指すSNSのあり方というのは,それこそ50年使い続けられるようなサービスというか,実社会での人間関係を維持するためのツールというか言わばスゴロク、トランプといった類か。またはメールや備忘録といった次元か。その位、普遍性の高いものを目指しているらしい。

BOTじゃダメなのか @ ネトゲ研究日誌

気になるのは資産に対する意識だ。実playでも非同期でも自分が成長し、資産が増える事は楽しく、高い動機のひとつと思われる。
だが、MMORPGの資産に対する意識は異常だ。現実を捨てさせるだけの破壊力がある。この破壊力はgameシステム的に現実を遮断し、game内の密度を高める事から生まれる。

しかし、ソーシャルアプリは非同期が基本だ。社会生活に対する影響は少なく、共存とも呼べる内容である。つまり、MMORPGの資産の破壊力を作る部分が存在しない。

オンラインgameで課金する時というのは,そのgameでしか接点がない友達との繋がりを維持するため……

userではないので分からないが、従来のタイトルの場合、資産は単なる成長、自己満足、虚栄心の面もあるが、高額課金者の動機は他人に対する優位性の維持にあると見ていた。
だが、game内容からすれば、そこまで優位性を問うようなものは少なく、結果、資産に対する意識、方向も違うように見えてきた。
だとすれば、課金アイテムのラインナップも変わってくるのだろう。

オールドタイプの限界 @ ネトゲ研究日誌

人と話しているときでも,失礼にならないような隙が10秒でもできると,game内のペットにエサを上げたり,畑に種を蒔いたりできるんです

最初、このplayスタイルに対し、自分が単に古い人間という事が原因だと思っていた。打ち合わせの最中にケータイを頻繁にいじる人に対して、自分は良い印象が持てない。
だが、そういう人は結構居る。打ち合わせなのだが、目と手はiPhoneから離さず、口だけで会話する。
かつてのマルチタスクとは、どうしようもない無駄な時間をうまく使おうという意図だった。たとえば、通勤電車などの移動時間を効率的に使おう、など。
だが、このレベルのマルチタスクは異常に思える。もう24時間、どこでも餌やったり、つぶやいたりしなくてはならない。
実際にやっている人は「ならない」という義務感はなく、楽しんでいるのかもしれない。彼らは器用に一定時間が経つと思い出すようなサイクルがある。まるでトイレに行くが如く。

中毒になっている人はそれでも居るだろう。しかし、中毒になっても、game design的に実生活に影響が少なくなっている。つまり、中毒か判別が難しい。
もう古い人間には対応できないものが動き出している。
古い人間はどうしても「過程」、今遊んでいる、この「時間」の質だけを求めるが、この過程は結果に駆逐された。

ネトゲ研究日誌は本当に面白くなってきた。旧来のgamerがSinglplayであれ、multiplayであれ、game自体やせいぜいgameの中での対戦相手を誉めたりけなしたり文句をつけたりする程度であったのに対し、MMORPGからSNS連動gameに対象が移っていくことで観察と研究の対象は人間や社会が主となっている。実際、それらの活動を目にしない自分が想像する以上にSNS game、それを取り入れた生態は社会を浸食しているのだろう。

2006年は「第2のアタリショック」の年だった @ 日経ビジネスオンライン by野安ゆきお

North American video game crash of 1983 @ Wikipedia (アタリショック)

VCSの販売台数を見ると、1979年から400万台(1979)/280万台(1980)/330万台(1981) /900万台(1982)/630万 台(1983)/280万台(1984)/(1985年以降は減少)、このように、1982年・1983年の2年間が非常に売れており、1982年の年末 に突然売れなくなったわけではない。

総合すると

・”アタリショック”は和製英語。VCSが改名されてAtari 2600。

ColecoVisionなど当時Atari2600以外にも家庭用game機は売られており、1983-1984にかけてまとめてCrashした。つまりAtariだけでなく、Hardware,software含む家庭用game機産業が一気に崩壊したので”North American video game crash of 1983″と呼ばれる。

・North American video game crash of 1983当時は”game機市場”などという認知自体が存在せず、おもちゃの一つ扱い

・1984には高性能な次世代が出る予定だったが、Shock前には出なかった。(例えがわかりにくいがMSX1がずっと続いたようなものか)

・Personal computerはどんどん低価格化してきており、Shockの前年の1982には名機Commodore 64が$499(2009物価十万円程度)で登場

・オモチャとしての家庭用game機の流行が、より高性能で多角的なPCとより面白く手軽な新しいオモチャであるgame&Watch(Wikipedia)に切り替わった

・game&Watch発売 28 April 1980 (北米は同期もしくは多少遅れ?) ->1982 粗製濫造gameが溢れる – 1983 crash開始 -> 日本Famicom発売 15 July 1983 ->北米NES発売 18 Oct 1985 -1987にかけてMajor化

・ATARIが自社で売っていたHardwareの統計はあるが、続けて登場した携帯game機であるgame&Watchは統計がない。家庭用game機市場が一挙に縮小したように見えるが、Video gamerが減った訳ではなく携帯game機などに移っただけ。

古臭い旧世代機、勃興するPCと携帯機、gameの質を判定する情報流通systemが存在せず、店頭での博打買いを余儀なくされる環境での粗悪gameの氾濫、これらが組み合わった時、単にgame機市場が縮小したのではなく、Video game消費者はもっと良い環境にShiftしたということ。

自分も子どもの頃gameを買ったときは店頭での博打買いだった。田舎のSupper Marketの鍵の掛かったShowcaseの中にCASIOの8bitのgameが飾ってあって、それがやたら凄そうに見えたりしてね。その頃のgame機は単にそのmakerが出しているオモチャの一つに過ぎない感じが強かった。PCもそう。MSXの様な汎用規格は違ったがぴゅう太とかFM7とか、その製造会社の企画、専用softwareで全部固められていた。そういったガラパゴスの中でNECという図体のデカい時代錯誤のイグアナオオトカゲが他の種を食って生き残ったが、散々餌を食い尽くした挙げ句滅んだ。

The Art History of games

gameの芸術史

games, a creative form “older than culture,” according to Johan Huizinga, have served humanity in such diverse ways as entertainment, education, exercise, conflict resolution, ritual and self-expression. But not until the 20th century did games and the play experiences they provide start to be perceived as an art form as well. With nods to the past and future, and with an open acknowledgment of all the awkwardness, bravado and measured successes thus far, The Art History of games seeks to more clearly articulate the importance of games as a form of art.

Johan Huizinga(ホイジンガ)によればgame(遊び)は文化よりも古くから存在し、娯楽、教育、運動、争いの解決、儀式、自己表現、様々な異なる道で人類に奉仕してきた創造の形だ。しかし、二十世紀に至るまでgameをplayし、それを経験することが芸術の一様式だとは受け取られてこなかった。

The Art History of games is a three-day public symposium in which members of the fields of game studies, art history and related areas of cultural studies gather to investigate games as an art form.

主催者によれば、三日間にわたるこのSymposiumは、game研究者、芸術史研究者、この分野の文化研究者が一同に会しての芸術の形態としてのgameの調査研究のために開かれた。参加者はTale of Talesのmemberなど

The Art History… Of games? A New Conference, Romero Explainby Charles J. Pratt @ Gamasutra

Sharp laid out one final way that one could claim games are art. He pointed out that the act of play itself has creative aspects. “Is the art of games found in the player’s performance?” he mused. “This suggests that the real power lies with the player rather than the designer.”

Co-organizer Michael Nitsche added, “If we think that the art happens in the process of playing, then we have to look at the artist in front of the screen — the Doom god or the SoulCalibur dancer.”

id software創設memberのJohn Romeroも参加して喋っているが、”最近の大規模gameは予算が肥大化して選択肢が少なく詰まらない、自分はSNS gameを開発してる、これは最高だ!”という月並みなもの。

Art History Of games: Avoiding The ‘Domestication’ Of game Artby Charles J. Pratt @ Gamasutra

Maxims of game design @ gamecareerguide.com

Some of the entries are more or less repetitions of others, some are very specific to video games while others apply to all types of games, but this list is good food for thought, especially if you want to design standard video-games-as-interactive-puzzles.

Many of the entries are very specific and often related to the mechanics of designing the game, while others are much more general and often related to why games are good.

この記事そのものは読みにくいし、Maxims(格言)も見るに値しないものばかりだが、参照しているTHE 400 PROJECT RULE LISTは面白いgameとはどういうものかに繋がる素晴らしいものが多い。

Nvidia helps the HD 5870 beat the GTX 285 in PhysX @ Fudzilla

Radeon HD5870にPhysX処理専用としてGeForce 9800GTを組み合わせた時のBenchmark。

GTX 285+9800GTより、HD5870の方がPhysXをonにしようとoffにしようと速い。

やり方はNvidiaのdriverをinstallした上で、here and hereでpatchを仕入れてそれを当てるというもの。

GeForceが安かったらPhysX用に積んでみるかと思ったが、PhysX自体に今の所わざわざ積みたくなる程の必要性を感じない。


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