SAND STORM

朝ぼらけ

2010年3月28日

Daily Log (March 2010)

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 15:07

◇HARD DRIVE: Bill Gates and the making of the Microsoft Empire (巨大ソフトウェア帝国を築いた男 ビル・ゲイツ) – 読書Note

HARD DRIVE: Bill Gates and the making of the Microsoft Empireの和訳版 『巨大ソフトウェア帝国を築いた男 ビル・ゲイツ』を読んでいる。

Billは幼少から天才的記憶力と異常なまでの競争心に裏付けされた学習能力を見せ、若い頃と言っても、日本でいう中学生~高校生のBillはようやく一般社会に使われ出したDEC PDP-10に絡んでただ研究したり遊ぶだけでなくHackingに夢中になる。この頃のcomputerは個人どころか、学校などの機関でも所有するのが困難なほど高価で、有料のTime Sharing(時間単位での貸し出し)がBusinessとして成り立つほどだった。最初からNetwork越しの使用だった訳だ。Billは学校からTime Sharing先のPDP 10をHackingしてCrashさせたり、終いには相手企業の帳簿を書き換えて、使用時間を改竄したりと無茶苦茶をやっていた。

Bill Gatesのcomputer経験はcomputerがPersonal化していく最初期の段階にHackerとして積まれている。

この本はそういったBillのHacking武勇伝の内、真実でないものは検証しており、数あるBill Gates関連本の中でも優良な本。あとがきにあるように”ビル・ゲイツの幼少期から今日までを、できるかぎり客観的に、事実に基づいて知ることのできる著書”だろう。出てくる話題のほとんどが自分が使っているものに大きく関わっており、何となく知っていたことの成り立ちや関わりがよくわかるようになる。

個人の成り上がり伝として、大変おもしろく勇気づけられると同時に、その育ちを見る限り、公共心とは無縁の男だ。Windowsがこうなるのもむべなるかな。Bill Gatesのやっていることを見ると汽船王、鉄道王ヴァンダービルドの現代版という感じしかしない。

“ゲイツにしてみれば、彼が、パソコン文化のハッカーであるばかりか、ビジネスのハッカーなんだということだろう” あとがき

◇英語とPC game

勉強で一気に知識を記憶してそれを何年も後に役立てるーーといった不自然なやり口を離れたとき、学んだ物が生の回転の中で即座に役に立っていくことが人間のもっとも自然な学習の流れだ。数学だろうが、英語だろうが、そういう回転の中にいれば人は覚えようとするし、実際身につけていく。

でもそういう環境に入ることは難しい。また下手に右も左もわからず飛び込んで上手く行くかというとそうでもない。自分がどうやったら学ぶのか、どうすれば身につけられるのかということを普段から継続してやっていないとどうにもならない。

それが洋楽であったり、字幕付きの映画であったり、何でもいいのだろうけど、簡単に学んだ物を関わりの中ですぐに生かす環境が整えられる英語のPC gameは他のmediaに比べてかなり使える素材だ。

◇無用の苦

生態の在りようが間違っていれば苦に塗れる。その大概は本来必要のない、関わらなくてよい苦である。

不用の苦を抱える生態の有り様は生きようとして外界に応じた結果起こる。

◇期待はずれのSins of a Solar Empire: Diplomacy

Sins of a Solar Empire: Diplomacyは結構期待して買ったのだが残念な内容だ。

簡単に言うと、機能していなかった外交部分をAI強化とsystem調整でちゃんと動くようにしたのかと思ったら、そんなことはまったくなく、これまでの技術開発Treeに加えてさらにDiplomacyという項目を追加して、一々外交を行うにも時間と資源を追加して様々な技術を開発しなければならないというまるで駄目な方向に進化していた。

突出した強者に対して弱者が共同してbalanceを取るといったAI面はまるで強化されておらず、結果として最短時間で最高効率を求めて制御しなければならない項目が一つ増えただけ。防御の技術開発Treeが増えたEntrenchmentの段階で、その手の開発行為は既に溢れ気味だったが、Diplomacyのそれは蛇足もいい所である。

技術開発を行わないと外交行為そのものが制限されるとうのは、Imperial Gloryでも見たが、あのgameもそんな馬鹿げた制限があるおかげで外交がまるで機能していなかった。戦略gameにおける外交がどう機能しなければならないかまるでわかっていない作りで、むしろ逆効果になっている。結局彼らにはこういうやり方しかできないのだろう。

仮にこれがmultiplayに照準を合わせてつくられたものだとしても、こんな並列要素ばかりが増加し、しかもその全てを最速最高効率で制御しなければならないとなると、そこに残るplayerは数えるほどしかいなくなるだろうことは目に見えている。

最近、Civilization IV: Colonizationをその出来の悪さが把握できるまで結構な時間かけてplayして、その内容に批判のreviewを書く気も起きないほど疲れていたのだが、このDiplomacyでそのgame疲れが倍加した。

◇やたらとgameが手に入る

お菓子がおいしいからといって、大量に食えば幸せになるか・・・過食

酒を飲めば気が張れるからといって、大量に飲めば幸せになるか・・・Alcohol abuse

gameをplayすれば気が紛れるからといって、大量に手に入れれば幸せになるか・・・頭は疲れと身体は弱まり、やりもしないgameの管理に生は潰える

やたらと娯楽対象物を手に入れようとすることは解決困難な現実から目を背け逃避へ向かわせようとする現状から生まれる症状だ

でも現実の物事を解決するには、身近なことですら、集中して付き合い、調べ尽くし、何度も試す余力や時間、余裕が必要になる

余力や余裕は娯楽で上手く解きほぐさないと生まれない

◇英語の聞き取り

女性のAnnouncerの様な甲高い声で明瞭に喋ってくれると大体は聞き取れるのだが、男性の低いくぐもった声で圧縮して発音されるとまったく聞き取ることができなかった。

これをどうにか聞き取ることができないかと試行錯誤していたのだが、発声された音を聞くのではなく、発声する喉の部分に意識を合わせて何を発音しようとしているかを読み取るとかなり聞き取ることができるようになった。どちらも音を聞いて事後的に判断していることには変わりないのだが、発音しようとしている元、その行為に意識を集中するか、発声されてしまった音に意識を集中するかで、前者の方が圧倒的に低音・圧縮発音を聞き取りやすい。

◇汚染黄砂

今年も大陸から汚染された黄砂が降りかかってきた。目がAllergyで痒いだけでなく、全身が怠く、頭痛も酷い。洗ったkeyboardを干していたらこれである。頭も痛くなる筈だ。

Sulfur (an acid rain component), soot, ash, carbon monoxide, and other toxic pollutants including heavy metals (such as mercury, cadmium, chromium, arsenic, lead, zinc, copper) and other carcinogens, often accompany the dust storms, as well as viruses, bacteria, fungi, pesticides, antibiotics, asbestos, herbicides, plastic ingredients, combustion products as well as hormone mimicking phthalates. Though scientists have known that intercontinental dust plumes can ferry bacteria and viruses, “most people had assumed that the [sun’s] ultraviolet light would sterilize these clouds,” says microbiologist Dale W. Griffin, also with the USGS in St. Petersburg. “We now find that isn’t true.

酸性雨の原因にもなる硫黄、煤、灰、一酸化炭素、他にも重金属(水銀、カドミウム、クロム、鉛、亜鉛など)の有毒汚染物質、発癌性物質がしばしば砂嵐には伴う。他にも、Virus、バクテリア、アスベスト・・・訳していたら頭が痛くなってきた。今の共産中国なら何でもあり、それが考えられない量で投棄され、雑に処理されているのだろう。

韓半島に「スーパー黄砂」が到来したワケ(上) @ 朝鮮日報

◇Stardockの装飾技術

最近DELLのNote PC(Windows 7 – 64bit)を家族が購入したのでつつきまわしているが、あれの独自のuser InterfaceはどうもStardockが作ったもののようだ。7自体はExplorerやControl panelなどで必要な機能がやたらと見つけづらいなど、ウンザリするような作りなのだが、UIの印象はよく、その部分は使い勝手がいい。

Vista/7のuser Interfaceは目的の場所/機能へAccessし難くしているだけの本当に狂った出来の悪い代物だ。あんな身勝手で一方的なやり型で”「物の分からない大衆にわかりやすくしてあげましたよ」という設計思想はどこからでてくるのだろう。あの作りは凄くお役所的なものを感じる。

昔TVで流していた人を馬鹿にしていたようなCMの発想がそのままWindowsという製品にも表れている。本当MSは腐った企業だ。

◇どんどん駄目になるImpulseのclient

形だけ作ってあって中身はまるで機能していなかったSins of a Solar Empireの外交部分がexpansion packとして作り直されたようなので久々にImpulseを起動したら、とても使いにくいものになっていた。

最初期:背景がOrangeで格好良い。

ある程度経った後。落ち着いた色。

現在。辛気くさい色になった挙げ句、sizeが縮んだため、Iconの触りが悪い上にfontが小さすぎて使いにくい。

Steamと廃止直前のGamersGate downloaderの悪い所を足したみたいな作りだ。どうしてこんな改悪ばかり繰り返すのだろう。

StardockのforumにImpulseに関する文句や改善案を書こうとしても505で撥ねられてまったく受け付けられない。 ここは一般的なsystemを使わず全部自前で整えようとしているからか、外見は整っているものの実際に使ってみるとやたら使い辛い、完成度の低いものが多い。

gameボーイ アドバンス ROM LIST @ ニコニコ動画

vol.11まではSNESから流れてきたような、「アニメ・マンガ好きの子どもたちのために」核となるgame playをロクに追求することなく、むしろ丸く削り込んで日本の消費者に合わせたようなものばかり。強いて言えば海外製Action gameのKARATEKA以来のmotionに拘ったものが目立つぐらいか。

所が、最後のvol12に至って一変し、gameboyらしからぬ派手な3D表現のgame、indie game、あのSlow-mo systemを2D isometric viewで表現したMax Payne、DOOMなど面白いのが目白押しだ。GBAの表現能力はSNES(Super Famicom)とMega driveを足して二で割ったような程度なのだが、3D表現は本当にGBAかと思うほどで、SNESを超えている。Hardwareの性能によるのか、はたまたprogrammingの技術があがったのだろうか?Gabeboy自体はかなり昔よくplayしたが、GBAはその色付き版ぐらいだろうとしか見なしておらず、こんな表現ができるHardだとは思わなかった。

中でも目についたのが、8:20からのbit Generations seriesで、昔の手でprogram Listを打ち込んで遊んでいた頃のgameをオシャレにしたようなBOUNDISH、続いてDIALHEX(このDIALHEXはおそらくHextominoがBase。作者が開発に参加しているのか?)、dotstream、さらに11:20からのORBITALはどう見ても2009のIGF Winner “Osmos“の元ネタだ。どれもPCでIndieが勃興してから評価が高まった表現を先取りしたgameばかりだが、発売は日本のみでしかもGBAというHardwareゆえ、市場ではほとんど評価されなかったようだ。もっとも、bit Generationsのgameの幾つかはWii Wareで名前を変えて再販されたので、Osmosはそれを見て作られたのだろう。

bit Generations @ Wikipediaによれば、開発したのは日本のdeveloper Q-games。日本は優れたIndie gameを生み出す開発者は多くいるが、家庭用機が主で、労働法制が硬直した大量生産規格工業社会に最適化されている為、既存企業が幅を効かせ中々Indieが浮かび上がってこない。日本は、こういう先進的なIndie gameを評価する市場、それに影響を与えるような評論など存在しないので、直接世界に出すしかないだろう。

◇gameの本質

解放と使用。

◇Arcade格闘gameの救済

事後調整ができない、やらないことによるbalanceの悪さや永久による競技性・game性の崩壊は問題の一層に過ぎず、基盤や筐体を売って儲けようとする限り駄目。中国人がタダでNet対戦やってるみたいに練習環境はタダにしないと。基盤なんかなくったってEmuでいいんだよ。その結果出た売り上げの一部を貰うとか、そんな形でないと間口を閉じてるようなものだ。つまりBusiness modelが古い。十五年前は革新的案儲けのsystemだったが、今ではタダの古臭い嫌がらせみたいな商法だ。

それに、格闘gameはこの二つをclearしても厳しい、すなわち多くの人間が投入する努力に見合った快を得られないと見なすことからは逃れられない。そもそも単純な2D ActionやShooterをこなす為に作られた操作機器であんな複雑な技の入力をこなしまくること自体に無理があるんでね。しかも、登場character数、技、systemが肥大化して新規参入者が減るのは当たり前。Semi ProとProしかやれないような代物なのに賞金も賭けられない。

結局、不公正をすべて飲み込んで、でそれでもやり続けるような極一部のplayer(変人かCommunity Toolとして使っているか)のHobbyとしてしか機能しない。MOD受け入れにしてもそうだけど、やれる革新をやろうとせずに、古臭いmodelの中でネタだけ入れ替えてどうこうしようというのは既存の顧客をすり潰すまで通用するだけの自滅の道だな。

◇映画感想 – Rambo (ランボー 最後の戦場)

映画館など縁遠いのでDVD Rentalで適当に見ていくことにした。

Rambo四作目にして最終作となる”Rambo”(以後便宜的にRambo4と呼ぶ)には、超絶的なheroとしてのRambo物ではなく、これみよがしに反戦messageを込めた映画でもない、ただ戦争の現実、人間の現実を銃撃、吹き飛び、虐殺、それらで描写する。そしてそれがすべてを物語る、十五歳未満お断りの映画だ(話の内容、描写両面から実際にはR18が適当だろう)。

とにかく肉や頭がよく吹き飛ぶ映画だ。ゴツイ狙撃銃でのsniping、Ramboが放つ正確無比な矢、軍事政権の虐殺部隊が行う殺戮、下級兵士が捉えた少数民族を使って行う田んぼでの地雷game・・・

Rambo 4はただrealisticであろうとする。Thaiの山奥に隠遁するRamboも、軍が支配する救い難いrealな世界の案内人に過ぎず、Afghanに突如派遣されて大活躍し、物事を一挙に解決する英雄ではない。

戦争映画にお涙頂戴であれ、英雄譚であれ、場違いなStoryなんて必要ない、そこには戦いの現実があるだけだ。「平和な」社会の残虐さの基準だの、人間の一部分だけを強調した道徳だの、場違いなものを身勝手に持ち込むものはそれに相応しい目に合う。Rambo最後の戦いに大層なStoryはない。しかし、ちゃんとした納得がある。

◇SNS game

SNS gameって人間を泳がし動かす為のToolであって、既存のVideo gameの様な本・映画・絵画みたいな作品とはかなり異なるものではないかなぁ。

◇三月に冬を怖れつ春を待つ

今冬、雪の積もった記憶はなかったが、三月になり、もう春かと思った矢先に真冬の様になって積雪。身体を春に合わせていたせいか、神経の調子がおかしくなった。

旧暦では正月廿七日、まだ正月だ。

◇Vista

Vistaをinstallし、無線LAN Adaptorを取り付け、driverを入れ、Internetとの通信を確立する。当然IEでBrowsingができる。OS自体を更新しようとWindows updateを行う・・・が、まったく進まない。IEの方も見られなくなっている。一向に進まないWidows updateを中止する、IEは見れるようになっている。

なんだこれは?

もう一度聞く、なんだこれは?

◇文語訳聖書

聖書という書物において、現代語訳は全く駄目だ。雰囲気を台無しにしてしまう。現代語即ち戦後にそれまでの文化を遮断隠蔽するためにデッチ上げられた捏造語は精神的なもの、品、その他諸々様々なものを持たないようにできている。

PDF版 文語訳(大正改訳)新約聖書(1950年版)

PDF版 文語訳(明治訳)舊約聖書(1953年版)

聖書も旧約は歴史あり、詩あり、個人の嘆きありと面白いのでそこそこ読んだが、新約はまさに辛気くさい宗教そのものなのでほとんど読んでいない。

口語訳「聖書」新約および旧約/文語訳/ラゲ訳

このSiteは口語訳まで含めてすべてPDF化している。さすがChristianという所。他の宗教でこういう布教の基盤をちゃんと整える所は少ない。

◇バードランド・ラッセル 『ロシア共産主義』 みすず書房 P74

私が宗教というのは、独断(ドグマ)として抱かれている信仰の体系を意味する。その独断は生活の振る舞いを支配し、証拠を超越し、あるいは証拠に反し、知的ではなく感情的ないし権威主義的な方法で教え込まれる。この定義ではボルシェヴィズムも宗教である。ボルシェヴィズムを認める人びとは科学的証拠を受けつけなくなり、知的に自殺してしまう。ボルシェヴィズムのすべての理論が真実であるとしても、この知的自殺ということには変わりない。その理論を偏見抜きで検討することは、許されていないからである。私のように、自由な知性が人類の進歩の主要な原動力であると信じる者は、ローマ教会と同じくボルシェヴィズムに根本的に反対せざるを得ない。

ボルシェヴィズムは、宗教の中ではキリスト教や仏教よりもイスラム教と同列に置くことができる。キリスト教と仏教は本来、神秘的な理論、瞑想好みの個人的な宗教である。イスラム教とボルシェヴィズムは実際的、社会的、非精神的で、現世の国を穫ちとることに関心を持っている。この両者の創始者は、聖書で言う荒野の第三の誘惑に敗けたことであろう。イスラム教がアラブ人にしたことを、ボルシェヴィズムがロシア人にすることになるかもしれない。

荒野の第三の罠=新約聖書マタイ伝四章、悪魔が世のもろもろの国とその栄華を示して、自分を拝したならばそのすべてを与えようと語ったのに対して、イエスはこの第三の誘惑を退け、『サタンよ、退け、「主なる汝の神を拝し、ただ之にのみ事え奉るべし」と諭されたるなり』と答えた

下のようなことを考えていると、何の気無しにふと手に取った書物の一節が重要な事を訴えかけてきた。

The Practice and Theory of Bolshevism by Bertrand RussellはRussiaの十月革命から僅か二年半後の1920年に書かれた。共産革命後のRussiaに乗り込んでレーニンやトロツキーらと直に話し合い、都市や農村でも通訳を通して共産主義社会の人びとと話しながらその社会をReportしたものだ。Russellは当時の知識人の多くがそうであったように社会主義の信奉者だったが、この実際の共産主義社会の見聞、さらにその後の成り行きを見て単純な社会主義者ではなくなり、Bolshevikの支配するSovietには批判的存在となった。

◇支配宗教の性質

下で言う宗教的とは実存に対するなにがしかの回答を求める、人間精神の欲求から生まれるものだ。人は個々人が様々な形で実存に対する回答を、快楽への逃避であったり、自己の掘り下げであったり、組織への埋没(自我の投棄と一体視)であったり、自然と向き合ったりと色々行う。行わずにはいられない。

実存の希求に対して論理的・組織的に応えるのが宗教である。

自然宗教、多神教の多くは害の少ない形で組織的に実存に答える。多神教は人を支配する傾向は少ない。替えが幾らでもあるのだから、自分に合うのを選んで信仰すればいいだけだ。

それとは逆に、実存の欲求を上手く満たしつつ、その力を一個の独裁権力に集めて、この世を支配する力とするのが支配宗教だ。創価学会やオウム真理教など教祖が直接独裁権力を握るカルトは元より、EgyptからJudahism,Christianity,Isramなど一神教の多くが典型的な支配宗教である。

近代社会では信仰の自由を認めることで擬似的に多神教世界を維持している。

<支配宗教の性質>

・生活のあらゆる所を、道理に基づく自律的選択ではなく、他律的に支配する

・宗教権力がそのまま地上権力となる、なろうとする

・一度入ると抜けることができない

・他の宗教を攻撃し、消滅させようとする

・他宗教から信者を奪う際に、自由な選択でなく、地上権力(暴力や社会的統制)を用いる

これらの程度が強いほど支配宗教となる。

◇Communityの快 – 付き合いの一部としてのgame

最近Handle Name(仮想のuser名)を基にしたaccountをつくって”おつきあい”をし、そのネタとしてCasualなVideo gameを遊ぶというSNS(Social Networking service) gameが流行ってきている。

SNS gameの場合は仮想に軸を置いた薄っぺらな関係を補強する面も強いのではないかと思うが、作品としてのVideo gameを遊ぶにしても、先に友達関係のような付き合いがあると、まず存在そのものの是認があるので、全身をつつまれるような快があり、gameはそれを強め高めるものとして遊ばれる。一人でgameを遊ぶのは、そういった付き合いから目を背け、むしろ振り切るかのように局部的な快楽に身を任せすべてを蔽おうとする行為だ。

前者は日常の社会的付き合いが玩具としての異常を弄ぶが、後者は異常が日常(の社会的付き合い)を奪い断ち切る。

作品としてのgameとそれと向き合う己という個対個の関係は、本、映画などのような個人Mediが世を風靡した中で発生したため、まるでそれが当たり前かのように受け取られているが、そもそも遊びの一部としてのgameのほとんどは多人数との関わりとの中で生まれ、使われ、発展してきた。game、即ち遊びでありながら個対作品という関係を築くこと自体がここ数十年になって許された人類史の中でも特殊な現象だろう。

以下、雑考宿題

・個が相互に作用し合う作品の付き合いは、宗教的営みの中で育まれてきたもの

・そもそも作品を表すということ自体が宗教的な行為ではないか?

・game作品は誰かがArtとして表現したものに、他者がplayによってArtを現そうと関わるものではないか?

・つまり、作品に関わる、関わろうとする事自体が宗教的行為ではないか

・game作品で体験され得るものは受動と能動がまぜこぜになっており、しかもどれをどの程度能動的/受動的に使うかはplayerに任されているため、それが”大衆的関わりの中での消費”や、gamerとしての論評、適当に流して見た目を重視した評価などに分化する

◇博士の異常な鼎談 – 町山智浩

詳しく知らなかったが、これがVietnam: Black Ops 2の元ネタ。

◇Vista

VistaはAVGNにreviewさせたい。

◇米議会はMicrosoft幹部を召喚せよ

「米議会はTOYOTAを欠陥問題で議会に呼び出すぐらいなら、MSを呼び出してその欠陥まみれの商品を送り出す体質を詰問し、さまざまな問題の改善を強制せよ」とVistaを触りながら思った。

◇博士の異常な鼎談 – 宇多丸

RHYMESTERの宇多丸がGuset。後半は硬い批評の話に入っているので最初から見た方が面白い。

都市と地方の違いとしては、地方に映画館はないに等しい。というか歩いて行ける範囲にないと無意味化する。美術館なども同様か。わざわざ見にいかなければならず、日常には組み込まれない。

地上波RadioもようやくInternetで流れるようになるんだっけか?mediaとして死んでいたな。

◇生態系という見方、関わり方

最近は人間の関わる物事をすべて生態系で見て、その生態を意識して関わっていくことに夢中だ。

この生態系でものを見るというのは、今まで知ってきた決定的に優れた、おそらく真を突いた見方であるので、以後も自分が世を見、人と社会と関わっていく上での基軸となるだろう。

まだこれに基づいたInteractを多くしていないので語ることは多くないが、例えばものがたり一つを取っても、「風の谷のナウシカ」であれほど素晴らしい話が成り立つのは、あの世界が生態系として考え抜かれているからだ。人のみならず、腐海の植物や虫など仮想世界の生態系を深く構築しているからこそ、あの世界における生のrealityが生まれ、人を感動させる物語も成り立つのである。

この生態系を意識した上での構築は昔流行ったSci-Fi maniaの空想世界における科学的整合性などとは次元が違う。

◇1 to 1

常に頭の中に複数のやろうとする事が浮かんでくる並列思考が自分の通弊だった。これを廃棄して新しいやり方を打ち立てなかった事が低生産性の原因だったと今では断言できる。

現実の物事を処理するのはすべて順番であり、1 to 1、ひとつひとつだ。どんなに散らかってややこしいことであっても、目の前の片付けられる一つだけに全身を集中すればいい。それは目の前に落ちている丸めた紙くず一つを片付けるということでもそうだ。それは結局やらなければならないことの一つであり、ただそれを全神経を以てやればいい。

これを簡単なことだと思って何かしながらやろうとすると、不正確でむしろ時間がかかってしまう。酷い場合はいつまで経っても進まない。何ヶ月経とうが何年経とうがだ。所が経ったひとつのもっともEasyなことに肉体と精神を集中してやると秒速で速やかに解決する。

ひとつひとつの処理を心がける、というより身体全体で実行していくと、それまで上手く行かなかったことが着実に片付いていく。1 to 1でやって行く時に、複雑高度に見えることと、低俗安易なことに何も違いはない。それが結果として複雑高度なことも成し遂げるというだけだ。

何百kmも自転車で漕いだり、とんでもないゴミの山を片付けたり、あきれかえるような汚い場所を清掃して使えるようにしたことも、結局ひとつひとつを行えばいいだけであった。結果は自然と導かれるのだ。

いきなり全体を解決しようとすると何も進まない。自分が意識して目の前のひとつひとつを着実に解決していくと、そこにより正しい順番が必然的に表れてくる。ゴミをひとつひとつ片付けていくと自然と遊びだろうと仕事だろうと学びだろうと行える環境が表れる。

◇地獄の底

地獄の底は 素晴らしい場所

己にまとわりついた不要な物を 幾らでも 捨てることができる

日本にはなぜ自販機が多いのか 李京姫

上は日本語・日本文化研修プログラム 研修レポート集 第 18 期(2002年10月~2003年9月)を一挙収録した物で、その中の”日本にはなぜ自動販売機が多いのか?” by李京姫は自販機をその創生の歴史から振り返り、世界に類例を見ない自販機大国と化した日本の2003年時点における現状、唯一日本に匹敵する自販機大国米国との国際比較、そこから日本をこのような自販機大国にし得た要因を外からの目で探っていく。

そもそも日米以外の国の人間から見れば街の至る所に自販機があって、やたらとそれで物を買うのは異様な光景であり、それだけで比較文化学の研究対象となる。生まれた時から自販機まみれの環境にドップリ浸かっている日本人だと見えない外からの視点が豊富で、もちろんちゃんとした研究であるため普段から自販機に興味を持っていようといまいと読んで損のない論文だ。

内容も論文調の硬いものではなく、写真やGraphが多い新書のような記述なので読みやすい。

◇愚か以前

愚かというのは判定基準の質が悪いということなんだけど、愚か以前というのがあって、そこをちゃんと見つめて踏まえていかないと愚かというのも直らない。目を引くような上っ面の知識を追うだけになってしまう。

◇無線LANとInternet

CG-WLR300NNH-UというのはrouterであるCG-WLR300NNHと子機のCG-WLUSB300AGNが一緒になったもの。それとは別に安い子機CG-WLUSBNMを買って離れの方の2nd PCで試したら検索してもAccess pointがでてこない。やはり家を隔てて離れていると駄目だと思い、Bridgeで連携しようと思ってもう1SetCG-WLR300NNH-Uを買ってCG-WLUSB300AGNの方を挿すと、別にBridgeしなくてもAccess pointが表示された。子機の性能で差が出たらしい。

初めて組むせいか無線LANは本当に苦労させられる。

◇VistaとXPの正規品を両方持っていないとXPのダウングレード使用は不可能

電話でやりとりした結論から言うと、XP ProとVista Pro/Ultimate(期限付きだが、7Pro/Ultimateも可)の両方の正規media/serial keyを持っていないと、XPをdowngradeして使用することはできない。XP Proのmediaだけあったので、それをinstallに用いて、正規購入したVista Ultiimateのkeyで認証できると思っていたが、ここまで馬鹿げた規定があるとは驚いた。XP Proの正規mediaとkeyを持っているならdowngradeしないでもそのまま使えるだろうが!

Sub MachineではVistaの様なゴミOSを使わざるを得ないようだ。MSは一刻も早く打倒せよとの思いを新たにさせられる出来事であった。

◇静かにしていなさい

よろしく己を見てみるに九割九分は愚かで無自覚無能である。肝要なのは静かにしていることであり、おのれに対して黙っておくことである。

◇Twitterはやめた

1-2ヶ月ほど使ってみて生産的方面にいかないので止めた。一方、そのenergyを現実の環境の改善に当てると素晴らしく生産性が向上している。

あれは一方的InfluenceのToolとして広めたい人が使えばいいToolだろう。


関連記事

No Comments »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URL

Leave a comment


sand-storm.net