SAND STORM

朝ぼらけ

2009年10月11日

Gameにおける残虐表現 – 正確な描写こそが学びをもたらす

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 06:43

注:これは元はSoF2のreviewに付随して書かれたものです。

◇残虐表現を規制するのではなく、むしろ正確に表現することを義務づけるべきだ

かつての抽象的な表現ならともかく、映画と変わらないほどrealな描写になっているのに、武器などを人に対して用いたことによる結果だけがまるで大したことでないかのように抑制・隠蔽されてしまうのは逆によくないことだ。

残虐表現規制の名の下に、鉄pipeで殴ろうが、銃で撃とうが、車で轢こうが火花がでたり人形のように吹き飛ぶだけでなんら大した被害は受けない、そんな現実と乖離した表現を行う作品が横行している。

「臭いものに蓋をしておけば済む」的な発想、特に”残虐”表現を消してしまいさえすれば後は何でもアリといった発想は完全な間違いで、人に対して武器を用いることがいかに残虐な結果をもたらすのか、暴力的な犯罪行為を犯すことが、被害者とそれをやったものに社会的にどのような結果をもたらすか、それらがまるで大したことでないかのような偽の絵を表示することの方が余程”悪影響”を与えるだろう。

仮想とはいえ3Dの世界で自由に犯罪も行えるgameではそれを行った結果被害者がどうなり、犯罪者が社会的にどうなるかが同様にrealに示されるべきであり、銃などの武器を使った際もそれを使った結果被害を受けた側がどうなるかを正確に表示するのは大事なことで、銃を撃てばこうなってしまう、犯罪を犯せばこうなる、ということを正しく伝えてこそ”間違わない認識”をもたせることができる。

実は重要なのは残虐な表現や犯罪gameがあることで逆に学びが得られ、現実にはそれを行わない(さらに言えば、そのような行為とそれを取り巻く要素を適切に扱える)人間を創る効果があることなのである。

◇学習によるPLUSの効果を考えれば、仮想世界の中だけで済ませられることだからこそ残虐表現のあるgameは存在すべき

例えば麻薬を体験してみてその害を悟る、などということは現実にやればその害を受けてしまう。しかしgameでrealな表現をすれば、押し付けの形で教えるより、擬似体験や試行錯誤を行いながら余程効果的に学ぶことができる。その際、麻薬患者の悲惨な有様を「残虐表現」として規制してしまっては本末転倒だろう。そこに遊びの要素があるからといって不謹慎というべきではない、結果として「学べる」ことこそが重要なのだ。

いい例として「闇金ウシジマくん」という漫画があるが、その中で行われる表現はrealで残虐、悲惨だ。だからこそ闇金だけには手を出しちゃいけないなという学習が生まれる。

残虐表現の隠蔽・消去、その悪影響を謳う人間は、gameに学習効果があることを認識しておらず、表面的なことだけをあげつらってあるかないかもわからない負の部分だけを強調する。一方自由にgameをやりたい側はその不正確さをあげつらうだけで、gameが正の効果を発揮していることの検証や、より正の効果を発揮するようになる提言はなされてこなかった。

◇犯罪や銃器を扱った残虐なgameの存在自体を規制すべきか

(あまりにも悪質であるとか、実際にそれによって犯罪多発などの社会問題が起きているとかいうならともかく)可能な限りこれもしてはならない。必要なのは臭いものに蓋をすることではなく、現実にそういったことが存在し、人間の中にはそれを行わせる衝動があるのだから、衝動の解放の場を与え、同時にそれを”現実にやったらこうなる”という教育効果をもたせることである。遊びと試行錯誤の中で人間は最も効果的にそれを行える。規制による隠蔽は学びの機会を消してしまうだけで実際には逆の効果を発揮してしまう。

[結論]

残虐表現/Crime game大いに結構。だがそれをやったら被害者にどのような結果をもたらすか、そして捕まればどのような社会的制裁を長期・一生に渡って受けるか、そういったことを正確に描くならだ。

規制すべきは犯罪をthemeに扱ったgameでも残虐な表現でもなく、むしろそれに正しい結果を表示することを義務づけることである。

その上で残虐な表現のあるgameは、残虐表現があるとの明確な表示と適切な年齢制限を掛けさえすればよい。学習効果を考えれば年齢制限は無闇に高くする必要はないだろう。


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