◇Oxford English Dictionary ‘will not be printed again’ @ Telegraph
“The printed book is about to vanish at extraordinary speed. I have two complete OEDs, but never consult them – I use the online OED five or six times daily. The same with many of my reference books – and soon with most.
“Books are about to vanish; reading is about to expand as a pastime; these are inescapable realities.”
英国の権威ある英英辞典Oxford English Dictionalyはもう紙で出版されることはない。すべてdigitalに移行する。その理由は簡単だ。digitalの方が紙とは比較にならぬほど圧倒的に利便性が高いからに決まっている。
一方日本では、「紙があって、よかった」 日本新聞協会が一斉広告 電子化に必死の抵抗などと紙のbusiness modelに依存する出版業界がdigitalの方が紙のそれより高いという狂った価格を押し付けながら、必死の妨害宣伝活動を行い、老害文化人は紙で教育しないと人格が歪むなどと狂った言説をぶちまけている。
「紙の新聞や本がなくなってよかった」、狭い家屋に住む日本人の多くがそう思える日はまだ遠い。
◇カタカナ英語の原語表記化を進める戦略的方法論 – 「カッコワルイ」と「ヤバイ」の利用
個人levelにおける、つまり下からの原語表記を進める上で、「もう日本がこれだけ落ち目で世の中global化してるのにカタカナ英語なんて使ってるのヤバくね?」というヤバイの感覚とともに、「カタカナ英語なんて使ってるのカッコ悪くね?」のカッコワルイの感覚を社会に充満、横溢させていくことが効率的だと考へる。
下からの原語表記の主体となるのは若者・若手の現役世代であり、合理的な選択や、いつになるかもわからない上からの押し付けに頼るより、集団感覚や空気に従わせる方が移行は遙かに容易い。
◇hearing
hearingにはずっと取り組んでいて、知らない英単語を覚える時は必ず音と一緒に知るようにしているのだが、それで着実にbaseは増えていくものの、人の発音は千差万別で辞書的な発音がそのまま当て嵌まることは少ない。辞書的な聞き取りやすい発音であったり、同じ人の喋りをずっと聞いていると聞き取れるようになることが多いが、映画などでそれぞれまるで別の声を持つ俳優がバラバラに喋ると聞き取りから英語を再生するのは一苦労で、もちろん大半は理解できるものにならない。
人間が言葉を話すとは、音をどのように異ならせて言葉として表わしているかなのだが、基本的にはその生態に合った太い軸があって、そこからの僅かな差で言葉を表現している。野太い中年の声を持つ男性がいきなり、オカマの様な高い声を出すことはあまりない。高い声調を基本として持つ若い女性がいきなり低い声を出すこともほとんどない。軸を中心にわずかに発音を変えているだけだ。
この話者ごとの軸を取って、そこからの差異で言葉を識別する方法はさまざまに異なる発声を聞き取る上で有効な手段だと思ってやっていたが、普段意識していなかった母国語の発音からの認知をあらためてよく見ると、軸など何も意識しておらず、むしろ周縁を自然に受け取ってよどみなくimageに転換している。
これはやはり、言葉と全身で関わる状況と発音が一体となった経験の積み重ね為せる技であって、その様な経験が決定的に欠如している外国語を聞き取るというのは、中々難しいことだと思わざるを得ない。
◇学習とはなにか
・学びは肉体への意味の結合
学ぶ対象はそもそもその個体にとって意味のあるものでなければならない。それは肉体がその意味を求め受け入れる態勢を整えているからである。
・学びは神経・筋肉を含む肉体全域との関連性の確立、生きるに際して意味を発揮する新しい肉の獲得である
・学びが既存の肉への新たな関連の確立である以上、それは全身経験、五感などより多い感覚との共時経験であればあるほどよい。逆に全身やより多くの感覚から切り離された学びは肉に定着しない。
・定着しない学びとは、「そもそもその個体にとって意義がない」、「既存の肉・神経に結合する回路に欠けている」
・学びは肉の身である生体が、この世からより意義を獲得するための手法を見いだし、盗み、身につけることである。
・現象世界の真理を知ることと、目前的欲求を果たす為の手段を身につけ効率化すること、その二つを統合してより高度な意義獲得の道具・手法・体系をつくり身につけることが本来の学び。
・通常「勉強」と呼称される、組織への埋め込みとしての人間加工を学びと勘違いしている。
・個体にとって無意義な行為は無意味としか知覚されず、無駄で苦痛に満ちた作業として通り過ぎる。有意義な行為は学びとして肉体に回帰し肉体をより意義有るもの、意義あるものを獲得するものへと変容していく。
◇より積極的、より合理的
カタカナ英語をなくすことと英語学習の両方を書いていくことにした。元からこの二つは一体で、合理的な選択として当たり前のことをやったら、”カタカナ英語を使わない”ということになる。
◇大文字か小文字か
日本語とくらべると”っぁぃぅぇぉ”など小文字に見えてしまう関連から、見づらいとおもって全て文中に出てくる英単語も最初の文字を大文字で書いていたが、最近は文頭や固有名詞以外小文字で記述するようにし始めた。
・文法に沿っている
・手間がかからない
・そもそもカタカナ英語など使っていない海外日本語話者の文中英語表現を見ると小文字である
などの理由による。これを文法規定として、極端にこだわる必要はなく、見づらい場合は大文字で記述すればいいと思う。
◇TV
ふと家人が見ているTVを見かけると、年寄りが「テイクアウト」などカタカナ英語の意味がわからないことを笑って、「時代についていけてないよアンタがたは」とでも言いたげな番組をやっていた。もう終わりが見えている腐った泥沼の感覚を披露しているのは、番組を作ったり、こんなものを垂れ流している方なのだが、カタカナ英語が”カッコイイ”だとか時代の先端だとか何の疑いもなく信じている存在があまりに下なので驚いた。
こだわりを感じますな。
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Comment by さい — 2010年7月22日 @ 00:18