SAND STORM

朝ぼらけ

2017年1月20日

投資日記 2017.01

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 16:37

◇初取引

去年末に立花を見習ってすべて手仕舞ったが、特にその必要ななかった。というのも立花は年中うねり取りの玉操作を繰り返しており、それを一旦物理的にも精神的にも0(マル)にするために手仕舞っていたのだから。

年末のannomalyから正月一旦上げたのだが、相場はHard BrexitやTrump就任が迫っていることもあって、円高回帰が進みDO30/NK225ともに20,000に迫っていたのは遠ざかる。この間、自分は旅に集中しており取引どころではなかった。結局、「休むも相場」で集中できないなら手仕舞っておくのは筋だろう。

旅の後も、風邪に取り憑かれたのを直していたので、まったく取引はせず。場帳の構築をしながらようやく値動きに身体をならしていく。

2020 亀田製菓を試し玉で上げ潮、下げ波の所で一枚だけ買ってみる。翌日、期待以上に上げたが、stop lossの売りを設定したつもりが逆指値になっておらず、即座の売り処分となってしまった。結局取引から離れてボケているということで、試し玉でやったのはまったくの正解だった。しばらく亀田で二枚分割で取引を続ける。

第一に、四六時中相場に関わる愚は避ける、と決めている。だからわたしはしょっちゅう株を現金化し、取引を離れて頭を冷やす。特に市場の方向に自信が持てない場合、次の流れが定まるのを待つことにしている。相場が変化すると推論されながら、それがいつ、どんな規模で生起するか読み切れない時、取引を手じまい、時期を待つわけだ。

第二に、大半の相場師が手ひどい打撃を被るのは、大きな潮の交替期だと肝に銘じている。後から見ればたわいない間違いから、市場の動きを正反対に解したり、反対の立場をとったりして深手を負うのだ。市場の流れに変化が起き始めているという自分の判断を確認するために、わたしは小口の取引で打診するという方法をとっている。「売る」にしろ、「買う」にしろ、わずかな額から始め、自分の判断が正しいかどうか試すのだ。

「わたしは『抵抗の最も少ないライン』という逕路をつねに求めている。だから”大衆””集団”に混じって相場を張ることも決して珍しくはない。」

「大衆というのは主導されたがっている。何々をどうせよという指示を待ち望んでいる。安心を求めている。そして動く時は大挙して行動する。だれもが群れの中にいることで安心するのだ。単独で行動すれば心理的負担は一人の身にかかってくるが、集団で行動すれば心理的負担も恐怖も集団の中に吸収されていく。”逆張り”という危険に満ちた厳しい広野を一人で行くより、それは楽だと思う」「相場師にとってはここが正念場だ。群れから離れる恐怖より、潮目の変化が見えながら従来の流れに乗って進むほうがよほど怖い。みんなと心中するわけにはいかないから、short(売建て)をしている場合以外、さっさと乗り合いから降りることになる」

『世紀の相場師ジェシー・リバモア』 pp.196-197

トランプゲームより単純なマネーゲームがなぜむずかしいのか。

    単純なルールのゲームほどやり方(こつ)が覚えにくい(身につかない)
    入りやすい(誰にでもできそうな)ものほど万年下手が多い(上達しにくい)
    可能性の大きい(大きい利益を得られそうな)ものほど無理しやすい
    お手本のない(上手な人のを見ることができない)ものは自分勝手(自己流)にやりやすい
    選択肢(種類)が多いほどあれこれやって慣れがこない
    単純な(簡単にできる)ものほど基本が大切なのにおろそかにする

相場技法はおどろくほど簡単で、「分割売買」と「時期選択(時期を待つ)」であり、あとはいままで述べた心理的なことにすぎない。

その「分割」は、

    1.試し玉の活用
    2.本玉の分割

に分かれる。

そして、それも心理的には「早く、大きく」儲けよう、との欲から失敗しやすい。

試し玉を発明した人はなんと頭のよい人なのだろう。あるいは、損して損して、地獄のような状態の中でひらめいた血みどろの経験の結果なのだろうか。

その発明で、現在、世界中の人が救われているのだから、発明した人を祀る神社があっても当然、と思うくらいなのである。

林輝太郎 『財産づくりの株式投資』 pp.88-89


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2016年12月20日

投資日記 2016/12

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 10:55

◇相場というのは

人は金儲け以外の目的でも取引するのか?
答えはもちろんYesだ。強迫観念に取り憑かれている者もいる。一方、相場を一つの挑戦と見る者もいるのだ。

相場というのは、一つの生きざまである。奴隷とも主人ともなりうる。
相場は諸刃の剣である。夢を実現する手段ともなるし、また粉々に打ち砕くこともある。
相場は舞台だ。群像劇でどんな役を演じるかは本人次第だ。
相場は一層の高みに至ることができる思索の場である。
相場では本当の自分となって試行錯誤することができる。常に次なる機会がある。
相場は今日の問題を越え、明日の約束の地へと続くものだ。
相場師は、頭を雲の上に出しながら足は鍛錬された思考と行動という確たる基礎の上に立つ。
相場は大きな危険を伴う。宇宙に挑むようなものだ。
相場は将来への希望とともにある。必ずや実現されるという保証もないが、手の届かぬところにあるわけでもない。
失敗することもあろうけれど、同じ過ちを繰り返すことは避けるよう努めねばならない。
相場は手に入れたいもののために対価を払う場だ。金を儲けるために金を使う術だ。
恐れが最大の罪となり、諦めが最大の過ちとなる。失敗を受け入れることが勝利への第一歩となる
相場はいつか見つかるとわかっていながら探しものをするような、そう、開かれるとわかっていながら扉を叩き続ける行為なのだ。
相場は個々人自らの腕だ。人の数だけ取引のやり方がある。
相場では勇気が必要な時は大胆になり、進退これ谷(きわ)まれリと思われたときにも優れた判断を下し、用心が必要な時は慎重たらねばならない。
生き残るためには時には風に流される適応性も必要だ。逆境に耐え、傲慢にならぬこと。他人から学ぶことは常に可能だ。
相場は、嘘をつくこと、特に自らを欺くことが世の中で最も危険と教える。
最大の愚行は願望を事実に置き換えることだと理解し、事実に目を向けること。相場では、賢人たらねばならない。知恵と行いが一つに合わさっていることこそが正しい。
世の中で最も潜在的な力ー正しく前向きの思考を使う術。最大の、次なる機会を活かすのだ。最大の勝利ー克己を手にするのだ。
最大の障害ー自惚れ、最も高くつく道楽ー憎悪、そして、最も馬鹿馬鹿しい性(さが)、似非の自尊心に打ち勝つことだ。
最大の痛みは金の損失ではなく、自身の喪失である。そして、もっとも必要とされるのは常識である。

馬鹿な人は相場を安全な賭けだと考え、利発な人は危険を伴った仕事だと考える。

息が詰まり、会社に飽きる―というように自分が鏡の館にいると気づいた時には、鏡を割ることだ。窓を穿ち、新鮮な空気を吸い込むのだ。新しい眺望を獲得するのだ。そうすれば、自由に考え、自由に行動できるようになる。

Roy W Longstreet “Virepoint of a Commodity Trader”
ロイ・W・ロングストリート 『相場のこころーマーケットの見方・考え方』pp.161-164

Q.すべてのトレーダーは勝ちたいんじゃないのですか?
勝っても負けても、皆自分の欲しいものを相場から手に入れる。負けるのが好きなように見える人もいる。だから、彼らは負けることによって手に入れるんだ。
Ed Seykota(エド・スィコータ)

俺が必要なのは単なる金ではない。金は必要だ。それは不具者にとり、やり続ける強制因となりはする。
自己と世界に対する、肌を地面とすり合わせるように踏み込んだ自己制御のための知覚、逃避的な哲学や歴史の知識を実態次元で肉付ける必要がある。
歴史には経済という血の流れが現に世界を動かし、人々の決断を支配し、行動を制御していることがあまりに軽視されている。超人を追求し、大衆を無視する・・・
哲学は真理に迫ろうとしてあまりに身勝手に現実から遊離したものが多過ぎる。相場書と同じぐらい出鱈目で使い物にならない部分が多い。
そして、今これからすべてが覆っていく、人間の機械律的な手法とやり方がどこまで通用するのか、言い換えればどこまで影響するのかも。
真実に対する知覚と制御が骨となり、経済活動への知覚と関与が肉となり、技術が手足となり、そして人々の内心からの動きとそれへの関与という血が必要だ。
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2016年11月22日

投資日記 2016/11

Filed under: 未分類 — Tags: — sajin @ 09:56

◇大損

すべての玉を処分することにした。損失は40万円にはなるだろう。Trump前後で唯一儲けた分をすべて吹き飛ばし、さらに損を拡大した。

なまじ頭がいいから、かき集めた材料を分析して創った「理由」を目の前の相場の流れを無視・軽視して優先させる。病気や現実の人生の困難などで頭(認知、意志、決断力)が働かなくなると、目の前の動きを受け入れての転換を行うことができなくなり、創り上げた「理由」により一層すがるようになっていく。頭は意識して動いている部分よりも、意識できてない上手く動いてない部分の方が遥かに行動に強く影響する。自分では動いているつもりでも、震える身体で指先だけ動かしているようなものなのだ。

結局、十一月の取引において、自分は運動中に落下して打撲した辺りからおかしげな取引を増幅させ(というより管理できなくなっており)、風邪を引いてから明らかに狂った取引を信用まで使ってやった挙句、認知と転換がまるでできなかったためここまでに至った。切る機会は何日も何回もあったのに「理由」が転換を阻み続けた。

今月は当然取引を完全に停止し、翌月からは資金の一部だけを使ってしばらく練習売買に専念する。当てようとしたり、儲けようとするのは当分やらない。
肉体や体調がどれほど悪く影響するか、頭で理解しているつもりでも自分はまったく見えていなかった。それ以前にもっと多くのことが見えていない、できていない。
ひたすら練習しつつ、外の敵と内なる敵の両面にやられないように造り上げ、鍛え上げていくほかない。無意識次元でそれができるようになっていないと、いつまで経ってもやられる。
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